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第2話:北の辺境と薔薇の鞭 ~それは実技試験ですか?~

第2話:北の辺境と薔薇の鞭

~それは実技試験ですか?~


 1.


 王都を出発して五日。

 私たちを乗せた馬車は、北へ向かってひた走っていた。

 エスム・リバシブル辺境伯の用意した馬車は、私がこれまでの人生で見たこともないほど豪華なものだった。

 座席はふかふかのベルベット張りで、衝撃吸収の魔法がかけられているらしく、揺れをほとんど感じない。車内には常に適温の風がそよぎ、テーブルには新鮮な果物や焼き菓子が山盛りになっている。


「んん~っ! このベリーのタルト、最高ですよお嬢様! 北部は食の宝庫というのは本当だったんですね!」


 向かいの席で、侍女のララが両手に菓子を持って至福の表情を浮かべている。彼女は出発してからというもの、起きている時間の九割を咀嚼に費やしていた。

 私はといえば、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていた。

 緑豊かだった平原はいつしか姿を消し、荒々しい岩肌と針葉樹の森、そして遠くには雪を頂いた山脈が見え始めている。


「……寒そうね」

「寒冷地ですからね。でも、カニとサケと乳製品が美味しいらしいですよ。あ、あとお肉も!」


 ララの能天気な声に癒やされつつ、私は隣に座る人物――エスム様に視線を向けた。

 彼は腕を組み、彫像のように美しい顔で目を閉じている。

 だが、時折その碧眼を薄く開けては、私をチラリと見て、また閉じるのだ。


(……監視されている)


 私は背筋を伸ばした。


 やはり、これはただの旅行ではない。私の「スカウト」が正当なものかを見極める、移動中の適性検査なのだ。

 軍の教官、あるいは特殊工作員として雇われた私に対し、彼は「油断ならないか」「環境の変化に耐えられるか」をチェックしているに違いない。


「チコリア」


 不意に名前を呼ばれ、私はビクリとした。


「は、はい! 何でしょうか、閣下!」

「寒くはないか? 膝掛けをもう一枚使おうか? それとも、私が暖めようか?」

「いえ、結構です! 装備は十分ですので!」


 私が即答すると、エスム様はなぜか少し残念そうに、しかし恍惚としたため息をついた。


「そうか……。君はやはり、自身を律することに長けているな。その冷ややかな拒絶、たまらない……」

(……? 北部の軍人は、寒さへの耐性を『冷ややかな拒絶』と詩的に表現するのね。勉強になるわ)


 私は心の中でメモを取った。

 彼の言動はいちいち独特だが、それも辺境という過酷な環境が育んだ文化なのだろう。郷に入っては郷に従えだ。

 やがて、馬車は巨大な城壁に囲まれた都市へと入った。

 リバシブル辺境伯領の都、『ノースガルド』。

 質実剛健な石造りの街並みは、王都の華やかさとは違う、武骨な力強さに満ちていた。

 そして、その中心にそびえ立つのが、これから私の職場兼住居となる辺境伯邸だった。


 2.


 屋敷に到着すると、使用人たちが総出で出迎えてくれた。

 執事長のセバスという老人は、私を見るなり「おお、やっと……やっと旦那様を受け止めてくださる方が……」と涙ぐみ、メイド長は「救世主様、どうぞこちらへ」と私の手を握った。

 どうやら、エスム様の人材不足は深刻だったらしい。それほどまでに、ここの軍事指導は過酷なのだろうか。


 通されたのは、本館の二階にある広々とした客室だった。

 荷解きするものも無いので、エスム様に呼び出された私は、すぐ彼の執務室へと向かった。

 重厚な扉を開けると、そこには暖炉の火が燃える落ち着いた空間があった。

 エスム様は机の前に立ち、何かを愛おしそうに手に持っていた。


「来てくれたか、チコリア」

「はい、閣下。今後の業務内容についての説明でしょうか?」


 私が尋ねると、彼はゆっくりと頷き、手に持っていたものを私に差し出した。


 それは、一本のむちだった。


 ただし、私が羊追いに使っていた革の鞭とは訳が違う。

 持ち手には宝石が埋め込まれ、しなやかな革の部分には、茨のような棘の意匠が施されている。そして先端には、真紅の薔薇の飾りがついていた。

 美術品のように美しく、そして凶悪なオーラを放つ逸品だ。


「これは……?」

「我が母の形見、『薔薇のローズ・ウィップ』だ。リバシブル家に代々伝わる、家長を戒めるための……いや、真のあるじの証だ」


 エスム様は一歩近づき、私の手にその鞭を握らせた。

 そして、私の耳元で甘く、熱っぽく囁いた。


「チコリア。君にこれを託したい。この鞭で、私を……いや、思う存分、君の好きに振るってくれ。君の支配下に、私を置いてほしいんだ」


 彼の瞳が潤んでいる。頬は紅潮し、荒い息遣いが聞こえる。

 私は鞭を見つめ、そしてエスム様を見つめ返した。

 数秒の沈黙の後、私の脳内でピコーンとある考えが閃いた。


(なるほど、読めたわ)


 これは、『実技試験』だ。

 「母の形見」という大事なものを預けることで、私の責任感を試している。

 そして「好きに振るってくれ」「支配下に置いてくれ」というのは、この領地の抱える問題


――おそらくは統制の取れていない家畜や、新兵たちの管理を私に一任するという意味だ。


 「私(エスム様)を含めたこの領地全てを、君の手腕でコントロールしてみせろ」という、最高難易度のミッションなのだ。

 吹けば飛ぶような弱小貴族令嬢の私をそこまで買って下さっている。

 私は鞭のグリップを握りしめた。

 手に吸い付くような革の感触。重心のバランスも完璧だ。これなら、どんな暴れ馬でも指先一つで操れるだろう。


「……承知いたしました、閣下」


 私はキリッとした表情で答えた。


「この鞭に誓って、期待以上の成果をお見せします。徹底的に、厳しく、管理させていただきますので」

「ああ……っ! 『厳しく』……! なんて甘美な響きだ……!」


 エスム様はその場に崩れ落ちそうになりながら、自分の胸を抑えて悶絶した。

 北部の人は、仕事への情熱を全身で表現するらしい。私も負けてはいられない。


 3.


 翌朝。

 私はさっそく「現場」へ向かった。

 ララは「朝食のビュッフェにカニのグラタンが出るそうなので、私は戦略的待機をします」と言って食堂に消えたので、一人での出陣だ。

 屋敷の裏手には、広大な牧草地と厩舎があった。

 さすがは国境を守る辺境伯領、飼育されているのは羊だけでなく、軍用のウォーホースが多い。

 だが、現場の空気はどこか殺伐としていた。


「おい! 暴れるな! 落ち着け!」

「ダメだ、オリオンの機嫌が悪い! 近づくな、蹴られるぞ!」


 厩舎の前で、数人の屈強な男たちが一頭の巨大な黒馬に手を焼いていた。

 『オリオン』と呼ばれたその馬は、筋肉隆々の巨体を震わせ、誰彼構わず威嚇し、後ろ足で空を蹴り上げている。

 男たちは手綱を掴むことすらできず、遠巻きにオロオロするばかりだ。


(なるほど……。あれが最初の課題ね!)


 私は『薔薇の鞭』を手に、静かに歩み寄った。

 ステルス機能が働いているため、男たちは私の接近に気づかない。


「どいてくださる?」


 私が声をかけると、男たちは「うわっ!?」と驚いて飛び退いた。


「な、なんだ嬢ちゃん! 危ないぞ、ここは猛獣の檻みたいなもんだ!」

「オリオンは気性が荒くて、俺たち厩務員でも手が付けられないんだ! 下がってろ!」


 忠告を無視して、私はオリオンの前に立った。

 黒馬が私を睨みつける。鼻息が荒い。

 ヒヒィィィン! といななき、巨大な前足が私の頭上に振り上げられた。


 ――ビュッ!


 空気を切り裂く音が響いた。

 私の振るった『薔薇の鞭』が、オリオンの鼻先数センチの空気を叩いた音だ。

 その鋭利な音に、オリオンがビクリと動きを止める。


「足、下ろしなさい」


 私は低い声で告げた。

 オリオンはまだ反抗的な目をしていたが、ゆっくりと前足を地面につけた。

 私はそのまま一歩近づく。


「暴れているのは、性格のせいじゃないわね。……ここでしょう?」


 私は鞭のの部分を使い、オリオンの右肩の付け根をグイッと押した。

 そこは馬の筋肉が凝り固まりやすいツボだ。

 オリオンが「ブフッ」と情けない声を漏らし、膝を折った。

 痛いのではない。凝りがほぐれて、力が抜けたのだ。


「ずっと重い鎧を着せられて、ケアもされていなかったのね。可哀想に。右の後ろ足も庇っているわ」


 私は流れるような動作で馬の背後に回り込むと、今度は鞭の先端で、後ろ足の腱をピシリと軽く叩いた。

 マッサージ代わりの刺激だ。

 オリオンの目が、次第にとろんとしてくる。 


「気持ちいいでしょう? 私の言う事を聞けば、もっと楽にしてあげるわ」


 私は鞭の柄をスルスルと撫でるように動かし、馬の全身のツボを優しく、時に強くグリグリと刺激していく。

 数分後。

 あれほど暴れていた凶暴な軍馬は、私の肩に頭を擦り付け、甘える猫のようになっていた。


「よしよし、いい子ね。……さて、次はあっちの羊たちね」


 私は振り返り、牧草地に散らばる羊の群れを見た。


 「整列!」


 ビュッ! ビュッ!


 鞭が空を叩く音だけで指示を出す。羊たちは私が四方に鞭を振るい鳴らす「音の結界」に恐怖し、軍隊のような正確さで一列に整列した。


「右向け右! そのまま小屋へ行進!」


 羊たちが整然と行進していく。

 厩務員たちは口をあんぐりと開けて、石像のように固まっていた。


「す、すげぇ……」

「オリオンがあんなに大人しく……」

「羊が……行進してる……」

「牧羊犬が引退してからこんな羊達を見るのは久しぶりだ…」


 私は汗をぬぐい、満足げに頷いた。

 これで実技試験はパスだろう。

 そう確信して振り返ると――屋敷の二階のバルコニーに、人影があった。


 4.


 バルコニーからその光景を見ていたエスム・リバシブル辺境伯は、手すりを握りしめて震えていた。

 隣には、副官の青年騎士が呆れた顔で控えている。


「……閣下。鼻血が出ております」

「見ろ、カイル。見たか、あの鞭さばきを……!」


 エスムはハンカチで鼻を押さえながら、熱に浮かされたように呟いた。


「あの獰猛なオリオンを、暴力でねじ伏せるのではなく、的確な『痛み』と『快楽』の制御で支配したんだ。あの冷徹な眼差し……、慈悲深くもサディスティックな手つき……。ああ、私は今、オリオンになりたいと切実に思った……!」

「馬になりたい領主など聞いたことがありません。正気に戻ってください」


 副官のカイルは淡々とツッコミを入れるが、エスムの耳には届いていない。


「彼女は天才だ。女王の素質がある。あの『薔薇の鞭』があんなに喜んでいるのを、私は初めて見た」

「鞭は無機物です、閣下」

「見てみろ、あの羊たちの統率された動きを。恐怖政治ではない、圧倒的なカリスマによる支配だ。彼女こそが、この荒れ狂う北部(と私の性癖)を統べるに相応しい!」


 エスムの興奮は最高潮に達していた。

 彼はチコリアが「家畜の世話」をしているだけだとは露ほども思っていない。

 彼女がやっているのは「支配のデモンストレーション」であり、自分に対する「これくらいお手の物よ」という誘惑アピールだと受け取っていたのだ。


「カイル、夕食は最高級のものを。そして私の寝室に、もっと頑丈な鎖を用意しろ」

「……警吏を呼びますよ?」

「違う! 彼女が私を躾けるための準備だ!」

「医者を呼んだ方が良さそうですね」


 その時、下の牧草地から、仕事を終えたチコリアがこちらを見上げ、ニコリと爽やかな笑顔で手を振った。

 逆光に照らされたその姿は、エスムには後光が差す女神に見えた。


 5.


 夕方。

 私は執務室でエスム様に業務報告を行っていた。

 ララは「おやつの時間です」と言って、どこからか調達した焼きトウモロコシを部屋の隅で齧っている。


「閣下、ご報告いたします。厩舎のオリオンと、放牧地の羊百五十頭、すべて掌握いたしました」

「……素晴らしい。早いな、仕事が」


 エスム様は机越しに身を乗り出した。その瞳はキラキラと輝いている。


「どうだった? 『薔薇の鞭』の使い心地は」

「最高でした。グリップの握り心地も良く、先端の重みもちょうどいいです。あれなら、どんな頑固な相手でも思い通りに動かせます」


 私が正直な感想を述べると、エスム様は「ふぅぅ……」と熱い息を吐いた。


「頑固な相手……。つまり、私のような、一筋縄ではいかない男も、ということか?」

(ん? 突然の自分語り?)


 私は首を傾げたが、すぐに理解した。

 これは「自分(領主)の補佐もできるか?」という問いかけなのだわ。軍人は体が資本。激務で体が凝り固まった彼を、マッサージで癒やすのも部下の務めということなのね。


「もちろんです、閣下。オリオンよりも手強いかもしれませんが、私の鞭にかかればイチコロですよ。ツボというツボを攻め抜いて、骨抜きにしてみせます」


 私が自信満々に答えると、エスム様は顔を両手で覆い、机に突っ伏した。

 肩が激しく震えている。


「骨抜き……! 攻め抜く……! ああ、チコリア、君は私の夢だ……!」

「はあ。……あの、採用ということでよろしいでしょうか?」


 彼が顔を上げた。その表情は、愛と狂気と期待で満ち溢れていた。


「採用? 違うな。これは『契約』だ。生涯にわたる、魂の契約だ」

「契約…試用期間ですか。まあ、最初はそのほうが気楽ですね」


 私は安堵した。


 正規雇用への道は遠そうだが、とりあえず衣食住付きの仕事は確保できた。

 ララも「この屋敷、夜食にパスタが出るらしいですよ」と満足そうだ。


 (そういえばララはいつ仕事してるのかしら?なんだか食べてばっかりだけど。追い出される様子もないからいいのかしらね)


 こうして、私の『薔薇の鞭』を使ったお仕事生活が幕を開けた。

 エスム様との会話が絶妙に噛み合っていないことに気づくのは、もう少し先のこと。

 そして次回、私は彼が単なる健康オタクではなく、もっと「深刻な症状」を抱えていることを知ることになる。


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