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第1話:ステルス令嬢と運命の『踏みつけ』 ~処刑回避のために土下座しただけなのに~

第1話:ステルス令嬢と運命の『踏みつけ』

~処刑回避のために土下座しただけなのに~


 1.


 ウィップス子爵家の次女、チコリア・ウィップスには特技があった。

 それは『気配を消すこと』である。

 もっとも、忍びのように修行をして身につけたわけではない。貴族らしさのかけらもない平凡な顔に生まれた私の十六年間の人生において、女神のようなゴージャスな美しさを持つ婿取り要員の姉に全ベットしている家族から徹底的に無視され、かける予算は無いとし、いないものとして扱われてきた結果、環境に適応してしまっただけの悲しい進化だ。

 屋敷の廊下ですれ違っても、両親は私に気づかない。

 食堂に私の席はないし、私の部屋は屋根裏の物置だ。

 使用人たちでさえ、たまに私を見て、今日はどこの担当を…とシフトを割り振られる始末である。

 そんな私が、この国の貴族令嬢として『デビュタント』の日を迎えることになったのは、行政的な手違い……ではなく、単に父が貴族名鑑からの削除申請を忘れていたからだった。

 いないものとするならば、その辺もしっかりして欲しかった。


「チコリア! いつまでグズグズしているの! さっさと馬車に乗りなさい!」


 屋敷の玄関先で、ヒステリックな声が響いた。

 姉のエラリアだ。十八歳になる姉は、金髪に近い美しい髪と、宝石のような青い瞳を持っている。ウィップス家の自慢の娘であり、両親の愛を一身に受けて育った、我が家の女王様である。


「申し訳ありません、お姉様。……あの、靴が」

「あら、文句を言うの? お母様がわざわざ用意してくださったのに」 


 私は口をつぐんだ。

 用意されたドレスは、姉が三年前に流行遅れだと言って捨てたもの。サイズ直しもされていないので、胴回りがブカブカだ。胸元に至っては、詰め物をしてもまだ隙間風が吹く。

 そして何より問題なのが、靴だった。

 姉のお下がりのヒールは、私の足には大きすぎる。歩くたびに踵が浮き、パカパカと情けない音を立てるのだ。


「エラリア、そんな薄汚い娘にかまうな。私たちの馬車の空気が悪くなる」

「そうね、お父様。チコリア、あなたは後ろの幌馬車に乗りなさい。荷物と一緒にね」


 父と母、そして美しく着飾った姉は、紋章入りの豪華な馬車へと乗り込んでいった。

 残された私は、野菜や肥料を運ぶための幌馬車へ、よじ登るようにして乗り込んだ。


「……お嬢様、大丈夫ですか?」


 御者台から声をかけてくれたのは、我が家で唯一、私を貴族令嬢扱いしてくれるメイドのララだった。彼女は私の専属侍女という名目だが、実際には私と一緒に雑用をこなす同志のような存在だ。今日もこっそりついてきてくれたらしい。


「平気よ、ララ。むしろ幌馬車の方が落ち着くわ。羊の匂いがするし」

「お嬢様、それは貴族のセリフじゃありませんよ。……ほら、これ」


 ララが布に包んだ何かを渡してくれた。開けると、焼き立てのパンが入っている。


「厨房からくすねてきました。朝ごはん、まだでしょう?」

「ありがとう、ララ! 貴方がいなかったら私きっと飢えてこの年まで生きてなかったわ!」


 私はガタゴトと揺れる荷台の隅で、パンをかじった。

 今日の目標はただ一つ。王宮の広間にある芳名帳にサインをして、誰の目にも留まらず、空気のように帰ってくること。

 私のステルス能力があれば、造作もないことだ。

 そう、この時はまだ、そう信じていた。


 2.


 王宮は、目がくらむほど煌びやかだった。

 シャンデリアの輝き、磨き上げられた大理石の床、香水の香り。

 色とりどりのドレスをまとった令嬢たちが、蝶のように舞っている。

 私は壁の花どころか、壁のシミになるべく、柱の陰を選んで進んだ。

 幸い、誰も私になど注目していない。ブカブカのドレスも、時代遅れのデザインも、私の存在感のなさの前では些細な問題だった。


(よし、順調ね。あとはあの大階段を降りて、ホールでサインをすれば任務完了……)


 目の前に、王宮名物の大階段が現れた。

 赤絨毯が敷き詰められた長い階段は、デビュタントの令嬢たちが最も美しく見えるように設計されているらしい。

 だが、私にとっては処刑台への階段に見えた。

 

 一歩、足を踏み出す。

 カポッ。

 右足のヒールが浮いた。


(慎重に、慎重に……)


 ドレスの裾を踏まないように少し持ち上げ、すり足気味に降りる。

 周囲では、エスコート役の男性と腕を組んだ令嬢たちが、優雅に談笑しながら降りていく。私は一人、手すりにしがみつきながら、リハビリ中の老婆のような速度で移動していた。

 その時だった。

 後ろから来た誰かが、私のドレスの裾を軽く踏んだのだ。


「あ」


 小さな衝撃。

 けれど、サイズの合わない靴を履いた私には、致命的な一撃だった。

 重心が崩れる。

 右足が靴の中で滑り、足首がグキリと嫌な音を立てた。


「きゃっ……!」


 視界がぐるりと回転した。

 体が宙に浮く浮遊感。

 次の瞬間、私は重力に従って、大階段を転がり落ちていた。


(死んだ。これ絶対死んだ)


 走馬灯のように、昨日の夕飯のメニュー(具のないスープ)が脳裏をよぎる。

 硬い石段に叩きつけられる痛みを覚悟して、私はギュッと目を閉じた。


 ――ドンッ!


 鈍い衝撃があった。

 けれど、予想していた硬さと痛みではない。

 何か、弾力のある温かいものに受け止められたような感覚。


「ぐっ……!?」


 頭上から、押し殺したような男性のうめき声が聞こえた。

 恐る恐る目を開ける。

 そこには、至近距離に男の人の顔があった。

 整った顎のライン。涼しげな切れ長の目。太陽の光を閉じ込めたような金髪。

 王国の誰もが知る英雄、北部の守護者、エスム・リバシブル辺境伯その人だった。

 彼は階段の下で警護にあたっていたらしく、落下してきた私をとっさに受け止めてくれたのだ。


「あ……あ、ありがとうござい……」


 お礼を言おうとした、その時。

 私は自分の足元に違和感を覚えた。

 私の右足。脱げかけたブカブカの靴。その鋭利なピンヒールが、あろうことかエスム伯爵の太もも――それも、内側のかなりきわどい部分に、全体重を乗せて突き刺さっていたのだ。


 ブスリ。


 そんな効果音が聞こえた気がした。


「ッ~~~~~~~~~~!!!」


 エスム伯爵の碧眼が、カッと見開かれた。

 彼の喉の奥から、言葉にならない声が漏れる。

 美しい顔が紅潮し、額に青筋が浮かび、わなわなと小刻みに震え始めた。


(や、やっちまったあああああああああ!!)


 私の脳内で警報が鳴り響いた。

 国の英雄を足蹴にした。しかも、男として一番大事な急所の近くを、ピンヒールで踏み抜いたのだ。

 これは不敬罪? それとも傷害罪?

 いや、即時処刑レベルの大罪だ!

 伯爵の震えは止まらない。

 彼の口元が歪み、荒い息が漏れる。


「はぁ、はぁ……貴様……なんて、ことを……」


(怒ってる! 激怒してる! 血管切れそうなくらい怒ってるわ!)


 彼が私を殺そうと剣を抜く前に、やらなければならないことがあった。

 私は反射的に彼から飛び退くと、赤絨毯の上にひれ伏した。

 子爵家での不遇な生活で培われた、土下座のスキル。

 額を床に擦り付け、手のひらを上に向け、五体投地に近い完璧なフォームでの謝罪だ。


「申し訳ありませんんんんんッ!!!」


 ホール中の視線が突き刺さる。

 しかし、今の私にとって恥などどうでもよかった。命がかかっているのだ。


「く、靴のサイズが合わず、足を踏み外してしまいました! 閣下に怪我を負わせるつもりなど毛頭なく、すべては私の不徳の致すところ! ど、どうかお命ばかりはご慈悲を!」


 一息にまくし立てると、私は顔を上げずに後ずさった。

 チラリと見ると、エスム伯爵はまだ太ももを押さえてうずくまり、肩を激しく上下させている。顔は真っ赤で、目は虚ろだ。痛みのあまり意識が飛びそうなのかもしれない。


「け、怪我をしましたので帰ります! 衛兵さん、ごめんなさい!」


 私は近くにいた呆気にとられている衛兵に叫ぶと、脱げた靴を拾う余裕もなく、片足裸足のまま脱兎のごとく駆け出した。

 背後から、エスム伯爵の「ま、待て……! その痛み……まだ……!」という怨嗟の声(に聞こえた)が響いたが、振り返れば石化の魔法にかかると信じて、私は全速力で王宮を後にした。


 3.


 翌日。

 私は処刑人が来るのを震えて待っていた。

 けれど、朝になっても憲兵は来なかった。

 もしかして、影が薄すぎて私の身元が割れていないのだろうか?

 あるいは、エスム伯爵があまりの屈辱に、昨日の出来事を記憶から抹消したのかもしれない。


(そうよ、きっとそう。あんな恥ずかしい事故、英雄様の経歴に傷がつくもの。無かったことにしてくれたのね)


 私は自分にそう言い聞かせ、いつも通りボロボロの作業着に着替えた。

 今日の日課は、屋敷の裏手にある牧草地の掃除と、羊たちのブラッシングだ。

 動物はいい。人間のように私を蔑んだりしないし、鞭一本あれば言葉が通じるから。


「さあ、みんな。今日もいい毛並みね」


 私は腰に下げた革の鞭を手に取った。

 これは亡くなった祖父が持っていたもので、私の唯一の宝物だ。

 羊たちが散らばろうとするのを、軽く鞭を振るって制する。

 空気を裂く鋭い音が鳴ると、羊たちはピタリと足を止め、整列した。

 叩くのではない。音と、わずかな接触による刺激で、こちらの意思を伝えるのだ。


「そこ、はみ出さない。……よし、いい子ね」


 その時だった。

 屋敷の表門のほうが騒がしい。

 蹄の音。それも、一頭や二頭ではない。軍馬の隊列が奏でる、重厚で威圧的な響きだ。


「お嬢様! 大変です、大変です!」


 ララが血相を変えて走ってきた。口の周りにクリームがついているので、つまみ食いの最中だったらしい。


「どうしたの、ララ? 借金取りでも来た?」

「違います! 軍隊です! 騎士団が、屋敷を包囲してます!」

「えっ」


 私の心臓が早鐘を打った。

 来た。やっぱり来たんだ。昨日の今日で、私を捕まえに来たに違いない。

 不敬罪で即刻打ち首? それとも地下牢で拷問?


「ど、どうしよう……」

「お嬢様、とりあえずその干し草の山に隠れてください! 私が時間稼ぎをしてきますから!」

「ありがとうララ! 今度とっておきのチーズあげる!」


 私は羊小屋の隅にある干し草の山にダイブした。

 ステルス機能全開。息を潜め、気配を消す。私は草。私はただの干し草……。 


 4.


 屋敷の玄関ホールでは、異様な光景が広がっていた。

 父と母、そして姉のエラリアが青ざめた顔で整列している。

 その前には、漆黒の軍服に身を包んだ屈強な騎士たちがズラリと並んでいた。

 そして、その中央に立つのは――。


「エスム・リバシブル辺境伯閣下……。こ、このようなむさ苦しい場所に、何用でございましょうか……」


 父の声が震えている。

 エスム伯爵は、昨日の礼装とは違い、機能的な軍服を着ていた。腰には剣を帯び、その表情は氷のように冷徹で厳しい。

 だが、その瞳だけは、獲物を探す獣のようにギラギラと輝いていた。


「ウィップス子爵。単刀直入に言おう。私は昨日、運命の出会いをした」


 エスム様のよく通るバリトンボイスが響く。

 干し草の隙間から覗き見ていた私は、心臓が止まるかと思った。


 運命の出会い。


 それはつまり、『俺的絶対に許さないリスト第1位のわたしを見つけた』という意味だろう。


「う、運命……?」


 姉のエラリアが、頬を染めて一歩前に出た。

 彼女は勘違いをしたようだ。北部の守護者、独身、大富豪、そして超絶美形のエスム様が、自分に求婚しに来たのだと。


「まあ、閣下。昨日のデビュタントで、私を見初めてくださったのですね? 恥ずかしいですわ、こんな大勢の騎士を引き連れてプロポーズだなんて」


 姉は扇子で口元を隠し、媚びるような上目遣いを送った。

 普段ならどんな男もこれでイチコロなのだが、エスム様は眉一つ動かさなかった。

 それどころか、姉の存在すら視界に入っていないようだった。


「誰だ、お前は」

「えっ……ウィップス家の長女、エラリアですけれど……」

「知らん。どけ」


 一刀両断だった。

 姉がショックで固まる中、エスム様は鋭い視線で屋敷を見渡した。


「私が探しているのは、昨夜、王宮の大階段で私に……極上の痛みを与えてくれた女性だ」


 シーン、と場が静まり返る。

 両親と姉は顔を見合わせた。痛み? 何の話だ?

 けれど、私だけは意味を理解していた。

 やはり、あの『踏みつけ』の件だ。極上の痛み=死ぬほど痛かった、という皮肉に違いない。


「あのような鋭い一撃……、迷いのない踏み込み……。あんなことができるのは、ただ者ではない。私は一晩中、あの衝撃が頭から離れず、眠れなかった」


 エスム様が熱っぽく語る。

 隠れている私の背筋に冷たい汗が流れる。

 一晩中、怒りで眠れなかったなんて。どれだけ恨まれているの。


「出てきてくれ! 私の……運命の人よ!」


 エスム様が叫んだ。

 騎士たちが一斉に捜索を始める。


「庭を探せ!」「厩舎もだ!」「屋根裏も改めろ!」


 私のステルス能力も、プロの騎士団相手では分が悪い。

 やがて、一人の騎士が羊小屋に近づいてきた。


「閣下! こちらに人の気配が!」


(終わった……)


 私は観念して、干し草の中からのそのそと這い出した。

 髪はボサボサ、服は干し草まみれ。昨日のドレス姿とは似ても似つかない、みすぼらしい恰好だ。


「ひっ、あ、あの……ごめんなさい……」


 震える私を見て、姉のエラリアが嘲笑した。


「なによチコリア、そんなところに隠れて。汚らしい」


 父も顔をしかめる。


「閣下、これは次女ですが、使用人のようなものでして……。無礼を働いたなら、即刻処分いたしますので」


 家族に売られた。

 私は絶望して目を閉じた。さようなら、私の短い人生。来世は平和な牧場の羊に生まれたい。

 カツ、カツ、カツ。

 軍靴の音が近づいてくる。

 私の目の前で、音が止まった。

 見上げると、エスム様が私を見下ろしていた。

 その顔は――。 


 真っ赤だった。


 そして、なぜか荒い息を吐いていた。


「……見つけた」


 エスム様は、その場に片膝をついた。

 まるで、女神を崇める信徒のように、私の手を取る。

 その手は熱く、小刻みに震えている。怒りで震えているに違いない。


「昨夜の、あの一撃。……見事だった」

「は、はい……?」

「的確に急所を捉え、全体重を乗せるバランス感覚。そして、やった後に見せた、あの美しい土下座のフォーム。完璧だ」


 私は瞬きをした。

 ……褒められている?

 いや、待って。これは高度な尋問テクニックかもしれない。上げてから落とすやつだ。


「君の足技に、私は感銘を受けた。君のような人材を、私はずっと探していたんだ」


 人材?

 私は混乱した頭で必死に考えた。

 足技。急所。体重移動。 


 ……もしかして。


 この人は、私の『キック力』を評価しているのしら?

 北部の辺境伯といえば、魔物との戦いが絶えない激戦区。

 そこで必要とされているのは、強い兵士。あるいは、兵士を鍛える教官。


(そうか! これはスカウトなんだ!)


 私の思考は、斜め上の方向へ全力疾走した。

 あの階段での事故を、彼は「素晴らしい攻撃」と誤解……いや、評価してくれたのだ。

 処刑じゃなくて、軍の格闘技師範、あるいは特殊工作員としての勧誘?


「私の名はエスム・リバシブル。……君の名は?」

「ち、チコリアです。チコリア・ウィップス」

「チコリア……。ウィップス(鞭)か。素晴らしい。名前にまで運命を感じる」


 エスム様は私の泥だらけの手を、両手で包み込んだ。

 そして、うっとりとした瞳で私を見つめ、衝撃の一言を放った。


「私の屋敷に来てほしい。そして、君のその力で、私を導いてくれないか? ……私だけの女王様として…」


 周囲の空気が凍り付いた。

 姉のエラリアは白目を剥いて倒れかけ、両親は口をパクパクさせている。騎士たちは「ついに閣下が……」と涙ぐんでいる。 


 私はゴクリと唾を飲み込んだ。 


 『女王様』。それは軍隊における最高司令官、あるいは絶対的な指導者を指す隠語に違いない。

 私のような地味な女に、そんな大役が務まるだろうか。

 でも、このまま家にいても未来はない。

 それなら、この変わった熱血漢の元で、新しい仕事(軍事指導)に挑戦してみるのも悪くないかもしれない。


「……微力ながら、努力させていただきます。閣下」


 私が恐る恐る頷くと、エスム様はパァァッと顔を輝かせた。

 その笑顔は、まるで新しい玩具を買ってもらった子供のように無邪気で――そして、どこか底知れぬ狂気を孕んでいた。


「ありがとう! すぐに出発しよう! 荷物は? いや、何もいらない。全て私が用意する!」


 こうして、私は拉致されるようにして、エスム伯爵の馬車に乗せられた。

 どさくさに紛れて「私も行きます! 現地のお菓子が食べたいので!」と乗り込んできたララと共に。

 これが、私の波乱万丈な、そして壮大な勘違いに満ちた『女王様生活』の始まりだった。

 私が彼の本当の性癖(ドM)に気づくのは、まだ少し先の話である。


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