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無能と蔑まれた少年、神々の血統だった〜辺境で育てた村が、いつの間にか神話の舞台に〜  作者: 妙原奇天


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第5話 氷の谷の祈り

 北へ。

 吹きすさぶ風は刃のように頬を裂き、雪の粒が砂よりも鋭く肌を叩いた。

 ルークとエンデは、凍結した渓谷の中を進んでいた。

 足跡はすぐに風に消される。吐く息は白く、視界は淡い青に染まっている。


「この先が“氷の谷”だ。昔は交易路だったが、三十年前の大雪で閉ざされた」

 エンデの声が凍気にかき消される。

「人はもう、住んでいないはずだ」


 しかし、ルークは首を振った。

「……います。糸が、そう言ってます」

 彼の掌で、欠片がかすかに光っていた。光は脈打つように強弱を繰り返し、導く方向を示す。



 谷の最奥に、小さな集落があった。

 雪に半ば埋もれた家々。だが、かすかに煙が立ちのぼっている。

 人が生きている。


 扉を叩くと、中から少女が現れた。

 白い毛皮を羽織り、目は氷のように透き通っていた。

「……旅の方?」

「そうです。僕はルーク。こちらはエンデ。祠を探しています」

 少女は小さく首を傾げた。

「祠……なら、氷湖の底にあります」

「底?」

「凍ってしまって、もう誰も近づけません」


 少女の名はリア。

 彼女はこの谷で、ただ一人生き残った民だった。

 十年前、教団の巡礼が来て以来、村は雪に閉ざされたままだという。

 リアの家には、古い木箱が置かれていた。

 蓋の裏には祠の印と同じ“輪と線”の模様。


「これを……母から預かりました」

 リアは震える指で、箱の中の布包みを開いた。

 そこには、欠片とよく似た青い石があった。

 しかしその表面には、ひびが走っている。


「……祈りの石。祠の心臓なんです。でも、凍って動かない」

 ルークは石を手に取った。

 冷たい。けれど、奥にかすかな鼓動を感じた。

 彼は掌を当て、目を閉じる。


 ――眠いよ。寒いよ。

 子どものような声がした。

 ――目を覚まして。

 ルークは囁いた。

 光が石の奥で瞬き、温度が少しだけ上がった気がした。


「まだ、生きてます」

 リアが息を呑んだ。「本当に……?」

「でも、呼吸が浅い。……祠まで行かないと」


 エンデが外を見た。「雪が強くなってきた。行くなら今だな」

 リアは躊躇したが、やがて頷いた。「私も行きます。祠は……私たちの村の心ですから」



 氷湖は、風の音も凍らせるように静かだった。

 湖面は白銀に覆われ、その中心に黒い影――祠の屋根がわずかに覗いている。

 ルークたちは慎重に氷を踏みしめ、祠へ向かった。


 その時、空がざわめいた。

 白い霧の中から、影が現れる。

 法衣に包まれた人影――教団の追っ手だった。


「やはり来たか、天の欠片の持ち主よ」

 祈祷師の仮面の下から、冷たい声が響く。

「その石は“神の息”。人間が触れる資格はない」


 ルークは前に出た。「神は、息を止めるために生きたんじゃない」

「神を語るな。貴様のような無能が!」

 祈祷師の杖が氷を叩く。

 氷面が割れ、黒い風が吹き上がった。


 リアが悲鳴を上げる。

 ルークはとっさに彼女を庇い、掌を氷に当てた。

 ――起きて。ここを守って。

 胸の紋が輝く。糸が走る。


 氷の下で、何かが息をした。

 ひび割れた湖面が光を帯び、祠がゆっくりと持ち上がる。

 祠の扉が開き、氷の柱が立ち上がる。

 中には、眠るように横たわる少女の姿があった。


 リアが叫んだ。「……姉さん!」

 彼女の双子の姉――教団の儀式で“祠の巫女”として捧げられ、氷に封じられていた存在だった。

 その胸の上に、青い石が光っている。


「まさか……人を封印に?」

 ルークが振り返ると、祈祷師が嗤った。

「神の器に血を捧げる。それが真の祈りだ」


「それが祈りか!」

 ルークの怒号が氷原に響く。

 糸が彼の背後で裂けるように光り、掌から風が吹き出した。

 土も水もないこの地で、光は氷を溶かす。

 祈祷師が叫び、仮面が砕けた。


 光の渦が祠を包み、青い石とルークの掌が一体化する。

 眩しさの中、ルークは見た。

 氷の巫女が微笑み、リアに手を伸ばす。


 ――ありがとう。もう、寒くない。


 光が消えた。

 祠の氷は完全に溶け、湖の水が静かに満ちていく。

 空は晴れ、糸が北の空へ一本伸びていった。


「……姉さんは?」

 リアの問いに、ルークはそっと答えた。

「祈りになりました。この谷を包む風の中に、今もいます」

 リアは泣きながら笑った。


 ――四の祠、息を継ぐ。


 その声は、もう誰のものでもなかった。

 ただ、風のように優しく、凍った世界に春の匂いを運んでいた。



 エンデは雪の上に腰を下ろし、深く息を吐いた。

「まったく……お前の旅は休む暇がないな」

 ルークは微笑んだ。

「すみません。でも、もう少しで“全て”が繋がります」

「全て?」

「七つの祠を結べば、“神話の記憶”が蘇る。

 きっとこの世界が、なぜ息を止めたのかも分かるはずです」


 エンデは苦笑した。

「お前の言葉、半分も理解できん。だが、悪い気はしない」

「ありがとうございます」


 リアがそっと欠片を手渡した。

「これ、姉さんの祈りの欠片です。持って行ってください」

 ルークは受け取り、胸に当てた。

 暖かい光が掌を包む。


「……ありがとう。必ず、すべてを繋ぎます」


 空には、五本の糸が輝いていた。

 残り、三つ。

 世界の息は確かに強くなりつつあった。


(第5話 了/次話「祈りの残響と黒の都」へ)

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