第3話 祠の欠片
翌日の朝、空の糸は霞に溶け、ほとんど見えなくなっていた。
けれど、ルークの掌には確かに残っている――あの夜拾った黒い欠片。
触れるたび、石の奥から低く響くような音がする。まるで遠い鼓動だ。
「見張りを増やせ。教団の偵察が森に入った」
村の柵の外で、エンデが部下たちに指示を飛ばしていた。
その声は、鋼のように冷たく強い。
「数は少ないが、油断するな。やつらは“祈り”で刃を研ぐ連中だ」
ルークはそのやり取りを聞きながら、手の中の欠片を見つめていた。
黒曜石のような滑らかさ。だが、陽の光にかざすと、内部に淡い紋様が浮かぶ。
それは、祠の石板に刻まれていた“輪と線”の一部と同じだった。
「……残りの欠片を見つけて、繋げろ、か」
誰に頼まれたわけでもない。ただ、その声がまだ耳の奥に残っている。
*
昼過ぎ、村の子どもたちが井戸のそばで騒ぎ出した。
「兄ちゃん、変なのが出てきた!」
駆けつけると、井戸の縁に銀色の泡が浮いていた。
泡は一瞬、光を帯び、やがて水面の上に“光の模様”を描いた。
それは地図のようにも見えた。
谷の西、岩山のふもと――そこに印が灯っている。
モナ婆が杖をつきながら目を細める。
「呼んでるねぇ。祠の仲間だよ」
「仲間?」
「祠は一つじゃないさ。この窪地に七つあるって言われてる。糸はそれを繋ぐための道なんだよ」
ルークは息を呑んだ。
七つの祠――それが神々の血脈。
なら、この欠片は、その“鍵”か。
「行こう」
「一人でかい?」モナ婆の声には不安が滲んでいた。
「エンデにも話してみます」
「気をつけるんだよ。教団の目は“光るもの”に集まる」
*
その夜。
ルークはエンデの天幕を訪ねた。
隊長は地図を広げ、部下と小声で話していた。
焚き火の光が彼の横顔を照らす。疲労の影が深い。
「……祠を、探したいんです」
エンデは顔を上げた。「祠?」
「井戸の水が示しました。西の岩山です。欠片を……取り戻さないといけない気がします」
「気がする、か」
「説明できません。でも放っておくと、この光が――」
ルークは掌を見せた。淡い白い線が浮かび上がっていた。
「――止まらなくなりそうなんです」
沈黙のあと、エンデは地図を指でなぞった。
「確かにこの辺り、昔“神祠”があったと記録にある。だが今は崩落地だ。教団の信徒も潜む。危険すぎる」
「それでも行きます」
「ならば護衛をつけよう。俺も行く」
「隊長が? ここを離れたら――」
「心配するな。村は副官に任せる。お前の言う“光”が本物なら、放っておくほうが災いを呼ぶ」
エンデは剣を取った。
「無能のルーク。お前の道に付き合ってやる」
*
翌朝。霧の中を二人は歩いた。
谷を抜け、岩肌が露出した山道を登る。
風が強く、砂が頬を打つ。
途中、ルークの手の欠片がかすかに光った。
導かれるように進むと、岩壁の裂け目に出た。
そこには、古びた石柱が並び、中央に半ば埋もれた祠があった。
「これが……」
祠の前には、崩れた像と、焦げた匂いが残っていた。
誰かがここを壊そうとした形跡。
エンデが剣を構えた瞬間、背後の茂みが揺れた。
「動くな」
現れたのは、白い法衣を纏った男だった。
胸には金の太陽紋――聖王教団の印。
「その石を、渡してもらおう」
エンデが剣を前に出す。「やはり来たか」
男は笑った。「“天の欠片”を持つ者よ。汝は神の名を盗んだ背信者だ」
「盗んでなど――」
「神の声を聞くと言ったな。それこそ罪だ」
男が杖を掲げると、足元から光の陣が広がった。
空気が震え、砂が舞う。
ルークの胸の紋が共鳴した。
「エンデさん、離れて!」
光が弾けた瞬間、ルークは欠片を掲げた。
胸の中から熱が走り、掌から糸が伸びる。
それは祠の中心に突き刺さり、土と石を縫い合わせた。
轟音。
岩が割れ、祠の奥から黄金の光が吹き上がる。
教団の男が悲鳴を上げ、光の中に吸い込まれた。
眩しさの中で、ルークは確かに見た。
欠片が祠の中心に吸い込まれ、そこに新たな紋が刻まれる。
――“二の祠、息を継ぐ”
声が、風の中に響いた。
光が収まると、祠の前には一枚の石板が残されていた。
古代文字が刻まれ、淡い光を放っている。
エンデが慎重に拾い上げた。
「……これが、お前の探していたものか」
「多分、そうです」
ルークは掌を握りしめた。
糸は再び空へ伸び、祠を繋いでいる。
そして、彼の背後で風が囁いた。
――あと五つ。
ルークは深く息を吐いた。
「行かないと」
「戦になるぞ」
「それでも、行かなきゃ。世界が……息を止めてる気がする」
エンデは頷いた。
「いいだろう。ならば、次の祠まで、俺が付き合う」
風が糸を揺らす。
空の向こうで、微かな光が瞬いた。
それは、まだ遠い神話の呼吸だった。
(第3話 了/次話「沈む祠と白い影」へ)




