不穏な噂
村を囲むアマミの森は、今日も濃い緑に包まれていた。
だがその奥深く、剣士たちの視線は森の向こうへと向けられていた。
白嵐流の若手剣士――ナナイとルークを含む数名は、村の外で「商隊護衛訓練」に臨むことになった。
これは白嵐流に伝わる実地稽古の一つ。剣だけでなく、地竜を乗りこなし、商人や旅人を守る術を身につけるための訓練である。
広場に並んでいたのは二種類の地竜。
がっしりとした体躯で竜車を牽くマダル種と、剣士が跨る俊敏なサラブ種。
サラブ種は流麗な体躯に鱗を纏い、赤い瞳で騎乗者を選ぶ。
乗りこなせなければ牙を剥くこともあるという。
剣士隊長が訓練生に告げた。
「まずは地竜を乗りこなせ!出来なければ一人前の剣士とは言えん。この護衛訓練で、地竜を駆る技術を磨け!」
ナナイは初めて地竜に跨る。
小柄な体は鞍にすっぽり収まり、緊張で手綱を握る手が汗ばむ。
だが不思議なことに、地竜は彼を拒まなかった。
「ほぉ……ナナイの竜は素直だな」
ルークが目を細め、驚きの声を漏らす。
「地竜は人を試すそうだ。そいつはお前を認めたんだな」
「ようし!俺も……」
ルークも地竜に跨った。
「よしよし、大人しくしてくれよ」
ブルルッ、と地竜が顔を横に振り、体を後ろに大きく傾ける。
「おわっ、とっと!頼む!やっとケガが治ったばかりなんだ!振り落とすのは勘弁してくれっ!」
地竜は嘲笑うかのように二度跳ねた。
「ルーク!しっかりしろ!」
剣士隊長の低い声が響く。
やがて地竜は跳ねるのをやめた。必死にしがみつくルークを認めたのか、諦めたのか、大きな鼻息をひとつ吐くと、静かに体を落ち着けた。
「あ、ありがとよ、相棒。俺はお前を好きになれそうだ……」
ルークは額の冷や汗を拭い、地竜の首筋をポンポンと撫でた。
「ようっし!じゃあ!まずは挨拶だな……お前らに護衛を頼む商隊長のバルガスだ!よろしく頼むぜぇ!」
護衛する商隊の主は、バルガス・ドルヴァン。
剛力族特有のずんぐりした体型に豊かな髭を蓄え、片目を細めて笑うその姿は、豪快そのものだ。
だが、ただの商人ではない。
二つ名《千里眼のバルガス》――情報収集の才を持ち、各地の噂や裏事情を集める情報屋としても知られていた。
「おう、白嵐の若造ども。ワシらの荷を守ってもらう代わりに、道中、耳寄りな話をたっぷりくれてやる。楽しみにしとけ!」
バルガスの声は豪快でありながら、底知れぬ鋭さを含んでいた。
バルガス率いる『髭面の商団』は、織物や武具、珍しい工芸品まで幅広く扱う。
だが、真に価値あるのは「情報」だ。
各地の商人もまた、その情報を求めて彼の周りに集まる。
その傍らに立つ美しい女戦士に、ナナイは目を奪われた。
名はライラ。
剛力族の若き娘で、バルガスの養子。
赤褐色の肌は陽光を受けて輝き、筋肉質ながらも彫刻のように引き締まった肢体は、見る者を圧倒する美しさを誇った。
背に大きな戦斧、腰に鞭を携え、周囲を守るその姿は、まるで戦場の女神のようだった。
「父さん、こいつらほんとに戦えるのか? 腰抜けそうな顔してるけどさ」
豪快に笑うライラに、ナナイは顔を赤らめる。
だがその瞳の奥には、父を慕い、仲間を守る優しさが宿っていた。
豪放な言葉の端々(はしばし)に、隠しきれない女性らしさが滲んでいる。
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訓練の休憩中、焚き火を囲んでいた時のこと。
バルガスは酒瓶を傾け、声を潜めて言った。
「お前ら、最近“異形種”って噂を聞いたことはあるか?」
「異形種……?」
ルークが眉をひそめる。
「ああ。黒い触手を持ち、獣とも虫ともつかぬ化け物だ。
商隊を襲い、村に入り込み、病をもたらす……そういう話を、西の街で耳にした」
炎に照らされる彼の顔は、普段の豪胆さを失い、ただ深刻だった。
「まだ真偽は分からねぇ。だが、この目と耳に狂いはねぇ。《千里眼のバルガス》が言うんだ。覚えておけ」
焚き火の影の中、ナナイの背筋に冷たいものが走った。
その時はまだ、噂が現実になるなど、想像もしていなかった――。




