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【短編】異世界恋愛!

婚約者が非常識さを誇るので、わたくしは規格外なことを隠さない。

作者: ぽんぽこ狸



 このリーザディア王国には、竜の落とし子の伝説がある。


 魔力が豊富で人間以外の種族も暮らしているこの国だからこそ好意的に受け入れられている話だが、人間の中に混ざるように生まれるそれは本来であれば恐怖や嫌悪の対象であっただろう。


 同じ動物の群れの中に別の生き物が混じり、いつその秘めたる力をふるうかもわからない、その状況は人々に酷い不安を与えるはずだ。

 

 それはなにも特別、落とし子だけに限った話ではない、同じ人間同士だとしても突然危害を加えてくるかもしれないという不安を誰に対しても感じている。


 だから、入念にコミュニケーションを取ってお互いに話の通じる人間同士であり乱暴なことなどしてはいけないそういう常識を、当たり前で大切なことだと確認する。


 それは、平民の間では、主婦たちの井戸端会議や職人たちの仕事場で行われており、貴族たちの間ではもっぱら社交界がその役目を果たしているだろう。


 しかしハリエットの婚約者、今目の前にいる男ウィリアムは何故だかそれにそぐわない行動をとるのだ。


「おいおい、ゲームをするなら俺を忘れてもらっちゃ困るな?」


 彼はそう言いながら同世代の男達が集まって賭けトランプに興じようとしているところに割り込んだ。


 ハリエットはそれを隣からじっと見ていた。


「ひっ、リルバーン伯爵子息殿……」

「いやいや、忘れていたというわけでは……なぁ?」

「ああ、僕たちのような下級貴族の遊びに突き合わせるなど申し訳ありませんし……」

 

 彼らは視線を交わして大急ぎで言い訳を考える。楽しいパーティーでのささやかな娯楽を邪魔されて彼らはぎこちない笑みを浮かべている。


 そうしてウィリアムを慮っているようなセリフを言ってはいるものの、彼らの顔には厄介な男に見つかった、しくじったと書いてある。


「なに、遠慮するなってゲームと言ったら俺だろ? お前らのことも楽しませてやるよ」

「いやぁ……」

「えっとぉ」


 しかし彼らのそんな反応など気にせずに、ウィリアムは割り込んでいってソファーにどっかりと座る。


 パーティーを彩る美しい演奏が流れていて、ウィリアムの行動を周りの貴族たちは無関心なふりをしつつも注意を払って観察していた。


 その瞳には、また彼かという呆れのような感情が含まれていた。


「いーからいーから、始めようぜ、俺たちの仲だろう? それに、品のいい連中とおしゃべりなんかしているよりも俺はずっとこう言うのが好きなんだ。なんでろうな?! やっぱり血っていうか? 荒くれ者の血が騒いでんのかな?!」

「はははっ、きっとそうですよ、さ、流石はリルバーン伯爵家……」

「ええ、そうですね……」


 彼らはウィリアムの押しの強さに引きながらも、テーブルのそばに立ったままのハリエットをチラリと見つめて助けを求めてくる。


 婚約者のハリエットならば、なんとかしてくれるかもしれないという希望を抱いてのことだと思う。


 しかしハリエットも自分が常識的であることに関しては気を払っているけれど、人に常識を説けるような立場にないのだ。


「ほら、俺の血筋も元はお前らと同じような下級貴族の出身だっただろ? ま、お前らと違うところは、この腕っぷしが、あるかどうか……か?」


 ウィリアムは鼻につくような笑みを浮かべて、なぜか肩を回す。


 彼が言っていることは間違っていない。彼の祖父の代で魔獣討伐によって功績をあげ、伯爵位を手に入れ急速に力をつけているのがリルバーン伯爵家だ。


「それにどこよりも治安の悪い場所で育ったからか? 昔っから血の気も多くて、侍女たちに怪我をさせたこともあったな?」

「……」

「……いやぁ、すごいですね」

「そんなことはない、お前らだって俺の様になれるさ! なんなら今ここで指導をつけてやってもいいぞ、ほらよく見てろっ、シュッ」


 言いながら彼は、向かいに座っていた下級貴族の顔面に向かってパンチを寸止めで打ち込んで、それに驚いた下級貴族の少年はびくっと反応して流石にその様子にハリエットは口をはさんだ。


「ウィリアム、どうしてそう人を驚かせるようなことをするんですの。ごめんなさいね。いつも言ってはいるんですけれど」

「あ? もしかして俺、やり過ぎちゃったか? 悪い悪い! 常識がなくて! こんな上品なパーティーに参加しているような奴らからすると非常識だったか!」

「そうです。非常識ですよ」


 彼の言った言葉に、わかっているじゃないかとハリエットは思う。


 非常識なことをするというのは良くないことだ。せっかく交流をするためにこの場にやってきているというのに、非常識であったら、距離を置かれて危険視されてしまう。


 たくさんの人間が暮らしている群れの中に危険分子がいるとなれば、彼らは気が休まらない。


 自分だってそんなふうに思われたくないだろう。


 そう考えてハリエットは彼の言葉の非常識だといった部分を取り上げて復唱したのだ。


 しかし、ハリエットの言葉の意図は正しい形で届かなかった様子で、彼はにんまり笑って、なぜか調子にのってしまう。


「悪い悪い! お前らとはほら、ここの作りから違うんだ」


 そう言って自分の人差し指で脳天をさしてなぜか満足げだ。


「俺らはやりあうことぐらいしかコミュニケーション? ってのが取れないっつうか、な? っていうかハリエット、お前いつまでいるんだよ。いつもいつも社交界でつきまといやがって、しつこい女は嫌われるぞ?」

「……わたくしはあなたが非常識なことをするのを止めたいのです」

「はぁ、そんなことを言って、独占欲が丸見えだぞ? 恥ずかしい女だな」

「ちょ、公爵令嬢殿に……そんな言い方は……」


 彼の発言に、さすがに貴族としての序列や関係を考えて一人の下級貴族が声をあげる。


 しかしその言葉にもまたウィリアムは楽し気に笑って、悪いと思っていなさそうな態度で謝りながら、非常識だからと言ったのだった。



 



 そんなハリエットの婚約者だが、彼はなぜ非常識だと自身で言いながらも隠さないのだろう。


 別の舞踏会の日に休憩スペースに置かれているソファーセットに座りながらハリエットは考えていた。


 癖で魔法具のブレスレットを指でいじりながら彼のことを眺める。


 目の前にいる彼は、女性を侍らせていて、こんな公衆の面前で昼間から濃厚なキスをしていた。


「ンッ、あ、ダメよ。こんな……ウィリアム様、婚約者様が見ている前でぇ」

「ほら、そんな御託はいいだろ。本当は俺に触られたいくせに」


 彼女はリリアナと言ってウィリアムと良い関係にある女性だが、たまにこう言いつつも見せつけるようにハリエットの前で逢瀬を重ねることがある。


 ただ、そんなことについては特に何を想っているということもない。


 公衆の面前だということが問題だ。


 こんなにたくさんの人がいる状況で、貴族の男女が乱れているなど品位を疑うような行為だ。


 いい加減、分別の無くなってきた彼にハリエットは、不可解な顔をしながらも聞いてみた。


「ねぇ、ウィリアム。どうしてあなたはそう、非常識なことばかりをするのかしら?」

「アッ、くすぐったいわ」

「ハハッ、可愛い奴め……おっと、ハリエットはリリアナに嫉妬しているらしい」


 おちょくるように彼は言って、ハリエットは真剣に話をしているんだけどなと考える。


 しかし話が通じないのはいつものことだ。仕方がないので、さらに問いかけた。


「嫉妬ではありませんわ。わたくしはいつも、あなたのことを非難しているのに……このままでは共にやっていくだけの自信がありません」

「なんだそれ? 脅しのつもりか? このままじゃ婚約破棄をするって?」

「んフフッ、もうっ、やめてよぉ」

「はぁ、そこまで言われるとつらいな、でもわかるだろ、俺たちは元からこうなんだ。だからこそここまで来られたっていうか? ただ、お前らと違って必死に生き抜いてきた記憶がここに」


 言いつつも彼はハリエットを見て自分の胸元を指さす。


 それから、また片方だけ口角をあげる鼻につく笑みを浮かべて、続ける。


「残ってるんだ。魂ってやつが、だからお前らからすると非常識だなんて言われるんだろうなっ?」


 そうして言われた言葉にハリエットはやっと理解した。


 ウィリアムがどうしてそんなふうなのか、普通の人達とともに当たり前のコミュニケーションを取れないのは何故なのかとずっと考えていたが、答えはシンプルなのかもしれない。


 ……誇っているのですね。常識的でないことを、非常識なことをかっこいいと思っているのかしら。


 そう考えると目の前にいる男は酷くちっぽけであり、同時にその考えは間違っていると思う。


 人というのは群れる生き物だ。群れて、助け合い補い合うそういう性質のあるよい生き物だ。


 だからこそ大陸中のどこにでもいて、次から次に新しいものを生み出していく。


 ハリエットはそういうところが好きだ。けれどもやはり彼に、常識的であるべきだと諭す様な立場にハリエットはないのだ。


「……わかりました。そういうことなら……」


 けれどもハリエットにできることはある。彼が常識的でないのはきっと他人のことを過小評価して、決して害されるなどと考えていないからだろう。自分が一番強く周りはくだらない矮小な生き物だと思っている。


 だからこういう場でのコミュニケーションをないがしろにする。


 そうするべきではなくて、世の中は案外広めなのだと知ってもらおうとハリエットは人生で初めて思い立ったのだった。






 父や母に、そのことを告げると彼らはこう言った。


「ハリエットがそうするべきだと思ったのならそうしなさい」

「わたくしたちはなにもあなたを縛っているわけではないのよ」


 優しい彼らのことだ、ハリエットがきちんと悩んで出した結論だということを理解してそう言ってくれたのだと思う。


 騎士団の訓練場を使用するために、予約を取ってくれて、もう一人きちんと報告をあげておかなければならない人の元へとハリエットは向った。


 その人がいる場所は魔法協会のリーザディア王国支部である。


 リーザディア王国は、土地の魔力も強く多くの問題が起こるので魔法協会の支部も大きく、王城ほどではないけれど立派だ。


 そこの魔法具の研究者であり、担当のアンディへ連絡を取り会いに行き事情を説明した。


 とても大きな応接室で、過ぎたもてなしを受けながらも、ハリエットは彼の反応を少し心配していた。


 アンディは少し難しい顔をして考えた後で、小さく笑みを浮かべて口を開いた。


「まずは、きちんと事前に連絡をしてくださってありがとうございます。ハリエット様」

「それは……当たり前のことですもの」

「ええ……ですがそうおっしゃってくださること、そうしてあなた様が人間の側に義理を立ててくれること、これは私たちにとってとても嬉しいことなのです」


 ハリエットの無理な申し出に困り果てると思っていたが、行動を起こしてみると父も母もそうだったように彼もハリエットの意見にきちんと耳を傾けてくれる。


 しかしハリエットは思うのだ。


 もっと対等でいい、もっと普通でいいのだ、だってハリエットはずっとそれを望んでいる。


「少し腑に落ちないかもしれませんが、理不尽に奪い去るものも多く人間同士ですら争いの絶えないこの世界で、分かり合おうとしてくださること。それはとても嬉しいことです」

「そう、ですか」


 ハリエットがそう望んでいても、彼らからすると心の底からそう思うらしく、その価値観をハリエットは真の意味では理解できない。


 これからもずっとそうだろう。


「それに……本来なら私たちの側が配慮をするべきでした。ハリエット様」

「いいえ、普通を望んだのはわたくしですもの。当たり前に貴族令嬢として生活をして、親の決めた婚約者のもとへと、嫁に行く、その過程で生じた問題にわたくしが対処をしたいそう望んだのですから」

「そうでしょうか。……あなた様の言う、普通の令嬢ならばもっと早く行動を移していてもおかしくありませんでした」

「……」


 たしかに、婚約者のウィリアムの行動は目に余る。侮辱されていると感じたこともあったし、婚約者として尊重されていない。


 普通の令嬢であればもっと自信の持てる積み重ねてきた人間らしい力……例えば、知識だったり素晴らしい魔法だったり、そういうものがあれば多くの伝手なんかを駆使して彼をどうにかしようと考えていてもおかしくなかった。


 すでに行き過ぎるほどに、ウィリアムの行動は社交界でも問題視されていて、ハリエットが動かなくともいつかはハリエット以外の人間も動くことがあるだろうと考えるほどだ。


「私たちの為に堪えてくださっていたのでしょう?」

「……それだけというわけではありませんわ。彼がどういう行動原理でそうしているのかわからないという点もありましたから」

「きちんと婚約者様に向き合っていらっしゃったのですね」

「……」


 アンディの言葉はハリエットを異常にほめたたえているようで、気恥ずかしい。

 

 堪えるならば最後まで堪えろと言われてもおかしくなかったのに、彼は……彼ら人間は皆、ハリエットに優しいのだ。


「けれどあなた様は、竜の落とし子……伝説の人の形を生まれ持つ竜なのですから、持つ力のほんの少しを使うこと、それを誰も咎めることなどできません」


 ……そう、かもしれませんわ。わたくしは竜、人ではないもの。


 それでも、生まれた時からこちらの姿で、人の世で生きる。それを選んだ。


 でもその力を、守ってきた、守られてきた秘密を暴露しては普通に生きることは叶わない。それだけが気がかりだった。


「……けれど、私の真実を見せれば後戻りはできません。それがわたくしは少し悲しい」

「悲しい……ですか」

「ええ、普通に生きて普通に……恩を返す、母や父にそれが望みでしたのよ」

「具体的に言うと、どういうことでしょうか」

「……令嬢の恩返しと言えば、わかっていただけるかしら」


 少し切なくなって彼にそういうと、納得したようにコクリと頷いて、またしばらく考えた。


 それから、ならば、と提案してくれる。


 その彼の思いやりを嬉しく思いつつも、やはり人というのはいいものだと思ったのだった。







「な、なんだよ、こんなところに呼び出しやがって」


 ウィリアムはとても警戒した様子で、腰に剣を携えて、騎士団の練習場の中心でハリエットと向き合っていた。


 その周り、すこし離れたところには騎士たちだけではなく多くの貴族が見物にやってきている。


 下級貴族が多いようだが、彼らは見たものを自分たちの派閥の上級貴族にきちんと伝えてくれるので彼らがいれば問題はない。


 騎士たちだけを呼んで森の奥でひっそりと行おうかとも考えたが、そうしたとしても力をつかうところを騎士たちに見られた時点で話は広まるだろう。


 人の口に戸は立てられないとはよく言ったもので、その噂が広まり、なにか勘違いや、妙な噂が立つよりも多くの人に見られ、ただしい情報が広がった方がいい。

 

 ハリエットの存在はなにも後ろめたいものではない。


「というか、上級貴族の権限まで使って、お上品な騎士様たちに囲まれて俺に仕返しか? そんな連中は所詮、訓練訓練で実際の戦闘で俺らみたいには役に立たない高貴なる方々だろ?」


 彼は斜に構えた態度でいつもよりも饒舌だ。この状況に若干の焦りを覚えているらしい。


 しかし騎士にまでそんな言葉を言うとは、驚きだ。


 たしかに、王都の騎士は森の深い地方の魔獣がよく出る土地の騎士たちに比べて経験という面では劣るが立派に武芸を鍛錬し、研鑽を積んでいるつわものたちだ。


 それを簡単に、自分の家系と比較して劣っているなどというのは失礼だろう。


「そんなもんに頼って俺に牽制かよ。ダサいにも程があるだろ。女だから許されるが男だったら笑いものだぜ?」

「あなたはこんなふうに牽制をされるようなことをしていたと自覚しているのですわね」

「あ? まあ、そこはほら俺からにじみ出てしまうようなお前らとは違う雰囲気に当てられて? そういうふうにしたくなる奴もいるだろうなって話だ」

「ウィリアム……あなたは自身のそのことを……非常識さを誇っているように思いますが、それは間違いですわ。けれどそれをわたくしは、あなた達の側から語ることはできませんの」

「は? あのな、お前がなにを言おうとも、お前に俺は変えられない。諦めろ。女は所詮女だ、男のこのたぎりや血の騒ぐ感覚をなんてわからないんだろう」

「……そうですか。とりあえず剣を構えてください」


 彼にはただの令嬢であるハリエットがなにを言っても無駄な様子で、やはり言葉だけでは伝わらない。


 問答を続けたところで長引くだけなのでハリエットは彼に歩み寄って、意味不明だとばかりに視線を向けてくる彼の手を取った。


「なにをするつもりか知らないが俺に剣を握らせたこと、後悔するぞ?」


 腰の剣に導こうとすると彼はハリエットの手を振り払って、自分でその剣をとり、片方の口角をあげる笑い方をした。


「……わたくしは、あなた達とは、根本的に違うので、あなた達の側から常識的にきちんとしたコミュニケーションをとる大切さを解くことはできません」


 言いつつも、ハリエットはブレスレットの魔法具の留め具を外す。


 小さな魔法の光がきらりと舞い散って、外したその手で彼の構えている剣に向かって手を差し出す。


 それから中指を親指で抑えてぐっと力を入れてから、ぱちんとはじき出した。


 すると、ドカンと火薬が爆発したような音が鳴って、グオッと風が前に吹き出す。


「おおっ、これは!」

「まさかこれほどとは……」


 背後に居た騎士たちが声をあげる。その時には既にウィリアムは放物線を描いて飛んでいた。


 きれいにぽーんとボールのように飛んでいったので、重力を感じない不思議な光景だったが、ドシャッと地面にうちつけられて、地面に血が飛び散っていて現実味を帯びた。


 それから彼は剣を手放し、鼻血を出しながら上半身を起き上がらせる。


 ぶるぶると体は震えていて、混乱した様子で目を見開いてハリエットのことを見つめていた。


 彼の元までゆったりと歩いていきそのたびに、風が吹いて髪が乱れる。


「わたくしは、常識を守ることであなた方を、怯えさせないように必死ですわ。普通の人間で同じ規律を守るものとして、どうか信用してほしいと望んでいますの」


 あまり恐ろしいと思われるのは悲しいので、少し笑みを浮かべて髪を耳にかける。

 

 彼はまったくなんの言葉も発さずにただ、ハリエットを見つめて、すぐそばまでくると「ひっ」と声をあげてどうにか後ずさった。


「常識とは一つの物差しですのよ。それを守って生きられるだけの理性を持った人間かどうか、それを判断するための物差し」

「っ、はっ、ま、くくるなっ」

「多くの人間はそれを破れない程、脆弱で、あなただけが特別なのではありませんの。あなたは他人を侮り過ぎですわ。ほとんどは破れるほどの力があって、それでも非常識にならないように生きている」


 後ずさる彼の移動スピードなどたかが知れていて、ハリエットは歩みを進めて距離を縮めた。


「皆、知っていますのよ。自分よりも力の強い人間も姑息な人間もいて、自分が一番ではないこと、だからこそお互いを尊重し合っている。だからわたくしもすこし人より力が強いだけなのだから、その輪に入れて欲しい。常識的であることを選んでそうしていますの」


 少しかがんで目を見つめる。彼の瞳は怯え一色だった。


「あなたはそのことすら知らずに力を誇示して、たくさんのことをないがしろにしましたわね。言葉で言ってもわからないだろうと思いましたから、こうしてわたくしが……常識では計れない規格外であることをお見せしました」

「っ、」

「わかっていただけたかしら。これからは、あなたも……せっかく人間なのですから、人のよいところを見つけて補い合いながら、楽しく人を尊重して生きていってくださいませ」


 起き上がれるように手を差し伸べようとしたが、彼はその手を攻撃だと勘違いしたらしくびくっと反応して「悪かったっ、許してくれ!」と咄嗟に叫んだ。


「ごめん、ごめんなさい! 調子に乗ってす、すみませんっ!!」

「……」

「っ、クソ、クソォ! っ、助けてくれ! 化け物だ!! こんな女、化け物だろ!!」


 謝罪とそれから本音が見え隠れしていて、彼は、騎士団や周りにいる貴族たちの方へと視線を向ける。


 彼の叫び声に貴族たちは少し動揺したように顔を見合わせる。


 中央から移動して彼らと近い位置にいたので、話は聞こえていたと思うが、それでもそういう反応になることは理解していた。


 苦々しい気持ちが広がるが、それもまた仕方がないことだろう。


 ハリエットは常識的な範疇では計れるものではないことを露見させてしまったのだから。


 半ばあきらめのような気持ちが大きくなって、肩を落とす。


 しかし、聞き覚えのある声が響いた。


「い、いや! 正当だろ! ハリエット様の方が正しいですよ!」

「……そ、そうだ! ハリエット様はリルバーン伯爵子息の横暴に手を下しただけです! た、たしかに見たことない魔法ですが……」


 そういう彼らは、とあるパーティーでウィリアムの非常識さに困り果てていた下級貴族たちだ。


 一人が声をあげると、たしかに、それもそうかというような雰囲気が広がっていく。


「そうだ! この方については後日王族からも正式な発表がある! 大きな力を持っているが、誰も彼に危害を与える様な方ではない! それは多くの貴族が知っているだろう。それを化け物などと……」


 背後から騎士たちが援護してくれて、再度ウィリアムに視線を戻すと彼は忌々し気にハリエットを見つめていて、ぐうの音も出ない様子だった。


 周りの人間はきちんと、今までのハリエットもウィリアムも見ていた。


 その結果が今出たそれだけのことだった。

 

「さぁ、こい。リルバーン伯爵子息、騎士団本部の救護室で癒してやろう。その後はもちろん我々とも一戦、交えようじゃないか。侮辱した結果どうなるか目にもの見せてやる」


 騎士たちは、大人らしく笑みを浮かべていて、ウィリアムに肩を貸して起き上がらせて連れていく。


 その笑みの中に少々黒い感情が入っていたのは、ウィリアム自身のまいた種なのだから仕方ないだろう。


 その背中を見送って、ハリエットはかばってくれた下級貴族たちや、納得してくれた彼らと少し交流して帰宅したのだった。






 ハリエットは想像していたよりもずっと、多くの貴族に受け入れられたことに対して、忙しく対応しながらもうれしく思っていた。


 しかし、忙しすぎるのも困りもので、案の定ウィリアムからは慰謝料を相場の倍以上は支払いをするので婚約破棄をしてほしいという申し出があった。


 それ以来、ウィリアムは王都の社交界に顔を出していない。風の便りで聞いた話によると女性を見ただけで挙動が不審になるほど怯えるようになったらしい。


 そしてそのせいで伯爵家の第二夫人を狙っていたリリアナと大喧嘩になり騎士団のお世話になったのだとか。


 やりすぎてしまっただろうかと思うが、そのぐらいしなければ彼の悪癖は治らなかっただろうと思うのでよしとする。


 まぁ、そういうわけでそれだけならば予想通りの展開なのだがその事実を知った多く貴族が、ならば自分がハリエットの婚約者にと名乗りを上げて、対応をする毎日だ。


 対応すると言ってもあたらしい相手を考えて真剣に対応しているというわけではなく、好意を向けてくれている彼ら一人一人に丁寧にお断りをしている。


 だからこそ少し気疲れするというのもある。


 なんせハリエットには一番にそれを提案してくれたゆかりの深い人がいるのだからその人以外はもう考えられない。


 会うために魔法協会支部へと向かうが、いつもと違って忙しなく下働きの男たちが荷物を運び出していた。


 研究室からどうやら家具すらも荷物を運び出している様子で、開けっ放しの扉をノックして中にいる彼に視線を送る。


 するとアンディはぱっとこちらを見て柔らかい笑みを浮かべた。


「ハリエット様! すみませんあわただしくしていて、応接室の方に……」

「いいえ、少し顔を見に来ただけですもの。お気になさらず」


 彼の言葉をさえぎって気にしなくていいと口にする。突然会いに来たのはハリエットの方なのだから彼が気を遣う道理はない。


 最近は結婚に向けてお互いに周辺の整理や、手続きが多くきちんと会う機会が設けられなかった。


 だからこそほんの少しでも顔を見て話が出来たらそれでいい。


 ウィリアムに対して行動を起こすときに相談に言ったあの時、力を封じているブレスレットを外し怪力を見せてしまえば、きっともう人間の誰とも番うことは出来ないと思っていた。


 それでは大切に娘として育ててくれた父や母に申し訳がない。

 

 それが悲しいのだというと彼は「私でよければ」と提案して安心させてくれたのだ。


 研究者という立場ではあるが、彼は立派な爵位を賜っている貴族でもある。


 土地も所有せずに、魔獣などの研究に明け暮れていたのでお相手も元からいない。


 どうせハリエットは研究対象であるし、担当のアンディならばこれからも共に過ごすし貰ってくれるというのならそれほどよい相手もいないだろうという。


 そう考えて婚約破棄をされた時にお願いしますと改めて話したのだ。


 それから結婚の為にいろいろと準備中だが、どうやら今日は住まいにしていた研究所から荷物を運び出し、いよいよ王都へと移り住む準備を始めているようだ。


「荷物は王都の新居へ運び出すのですか?」

「ええ、こうなるといよいよ実感がわいてなんだか不思議な気分ですが、ハリエット様と生活を共に出来るなど嬉しい限りです」


 ……結婚に前向きだとは思っていたけれど、こうも直球に嬉しいと言われると少し照れますわ。


 彼の飾らない素直な言葉にハリエットはなんだかむず痒い気持ちになってなんと返したらいいのかわからなくなったがアンディは続けて言った。


「なんせ日常から記録が取り放題ですから。今までは出来なかった研究もたくさんしていきましょう」


 続いた言葉にハリエットはキョトンとして、なんだそういう意味かと気が付く。


 ……根っからの研究者ですものね。


 納得しつつも自分が勝手にドギマギしていたことがおかしくなってくすくすと笑った。


「っ、ふふっ、ええ、存分に研究してくださいませ、アンディ。ふふっ」

「……え、ええと。それほど面白いことを言ったつもりは無かったのですが……ハリエット様に許可をいただけて嬉しいです……?」


 彼はなぜハリエットが笑っているのかよくわからない様子で、視界の端で運び出されていくなにかの家具を見て「あ、それは少々丁寧にお願いしますっ」と声をかけてそれからまたハリエットに視線を戻した。


 それからぱっと思い立ったように、持っていた本を開いて言う。


「ああそうだ、面白いことと言えば、この本見てください。ハリエット様」


 アンディはパラリとページをめくってハリエットに見えるように広げた。


 そこには、なにやら珍妙な魚の絵が描いてあり、どう面白いのかと首をかしげるとアンディは補足するように言った。


「この魚、とある南の方の島にいる魚だそうで、そこではタツノオトシゴと呼ばれているそうですよ」

「……! あら、じゃあこの子とはわたくし兄弟かもしれませんわね」

「ふふっ、本当にもしかしたら水生の竜の落とし子かもしれませんよ。世の中案外わからないことばかりですから」


 彼はニコニコと笑いながらそんなふうに言って、本を運ばれていく箱の中に積んだ。


 そのたくさんある本は、伝説上の存在でしかなかったはずの竜の落とし子であるハリエットが生まれて、彼が知るために調べてくれたたくさんの証だ。


 竜の落とし子の伝説を世界中の様々な場所から集めて、ハリエットが人とともに生きられるように魔法具を作り出し道を示してくれた人。


 彼がいるからハリエットは今でも、友人たちと当たり前に交流して父や母と共に暮らしている。


 人の営みの中で自分も同じ常識を守るものだと示し続けていられる。


 そう思うとたくさんの人の助けがあったからこそこうしていられるのだと思えて、なんだか今までの人生を妙に壮大に感じた。


 親元を離れて結婚するということで少し感傷的になっているだけかもしれないが、間違ってはいないだろう。


「そうだ、流石にここにずっといるというのも忙しないですし、よければ新居を見に行きませんか。……えと、……で、デートもかねて」

「はい。もちろん」


 デートだなんていう言葉に、またきっと、ハリエットが想像しているのとは違う意味で使っているのだろうと考えつつもどちらともなく手を取ってつなぐ。


 それから研究室を出る。


 これからも人の営みの中で生きていけることを感謝しつつ、新しい一歩を踏み出したのだった。







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