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 年齢と時間の感じ方は反比例するのだと、どこかで聞いたことがある。

 子供の頃はとてつもなく長く感じた一年という時間も大人になるとあっという間に過ぎていく。それは日々の忙しさに追われているせいでもあるのだろうし、たぶん感動が減っているからでもあるのだろう。

 恋と同じだ。経験を重ねて賢くなる対価として、感動を手放す。だから時として、若いころのキラキラした感動が無性に愛しく、尊いものに思えることがある。


「ねぇ! それ、なぁに?」


 顔を上げると、浴衣を着た小さな女の子が瞳を輝かせていた。

 世間はお盆休み。私は支店からほど近い公園で行われる地域のお祭りに焼きそばの売り子として参加している。もちろん、趣味ではなく仕事でだ。これも銀行の地域振興の一環で、例年、町内会が主催する焼きそばの屋台のお手伝いに駆り出されるのだ。三日間の日程の最終日に行われる花火大会には、うちの銀行も協賛企業としてしっかりと名を連ねている。


「どれ?」


 周囲のざわめきに負けないよう大きな声で女の子に問い返すと、女の子は私が持っている大きなタッパーを指さした。


「それ!」

「ああ、これ? これはね、紅ショウガだよ」

「べにしょうが?」

「うん」

「きれーだねぇ」


 言われてみれば、たしかにきれいな色をしている。でも、それが紅く色づけされた生姜だと知っている私には、紅い生姜以外の何かに見えることはない。

 テントから漏れだす光が女の子の瞳に反射して、少し眩しいくらいだった。


「きれいな色だけど、食べるとちょっとピリッてするんだよ」

「からいの?」

「うん。おとなの味なの」

「おとな? 四さいになったらたべれるかな?」


 ということはつまり、この女の子は三歳なのだろうか。

 そういえば小さい頃はひとつ年齢が上がるだけで、ぐんと大人になったような気がしていた。だから女の子にとって四歳は自分よりもずっと大人に思えるのだろう。身長もどんどんと伸びていく時期だから、あながち間違ってもいないのかもしれないけど。


「うーん、もう少し大きくなったら、かなぁ」

「五さい?」

「もう少し」

「六さい?」

「もう一声」

「七さい?」

「もうちょっと」


 とたんに女の子は困ったような顔をする。


「十三までしか、かぞえられないの」

「十三歳くらいになったら、食べられると思うよ。もしかしたらもう少し早く、食べられるようになるかも」

「そうなの?」

「そうだよ。楽しみにしててね」

「うん!」


 女の子が元気にうなずいたところで、人ごみの中から「あやちゃん、一人であちこち行っちゃダメって言っただろ?」という声がして男性が姿を現し、女の子をひょいと抱き上げた。女の子は甘えるように男性の首に手を回し、先ほど知ったばかりの紅ショウガのことを男性に伝えようと高い声を上げている。

 男性が女の子から視線をはずしてこちらに向いた瞬間、お互いに「あ」と声をあげた。


「あれ? 上澤?」

「……入交いりまじりくん?」

「そうだよ。久しぶりだなぁ」


 男性は高校時代の同級生だった。彼も変わらない。

 当時の女友達に会うと皆それぞれに変わっていて、「綺麗になったねぇ」と言い合うのが常なのに。女友達が変わるのは、化粧のおかげかもしれない。


「上澤……家、この辺だっけ?」

「ううん。今日は仕事で」

「ああ、そうか。上澤、銀行だったっけね」

「うん。その子……入交くんの?」

「いや、姉貴の子だよさすがに。俺はまだ独身」

「そっか」

「あやちゃん、ちょっと先にばあちゃんとこ戻っといて」


 入交くんがそう言って女の子を下ろし、糸ヨーヨーを渡すと、女の子は元気にうなずいて人ごみをすり抜けていく。鮮やかな赤の浴衣に黄色の兵児帯。浴衣や着物にはてんで詳しくないけど、ああいうのを「絞り」と言うんだったか。しわしわ、ヒラヒラとした帯が、金魚みたいに泳いで人の波に消える。

 その背を見送ってから、彼はこちらを向いて懐かしそうに微笑んだ。私は抱えていた大きなタッパーを開け、紅ショウガを目の前の小さな器に補充する。


「ほんと、ひさしぶりだな」

「うん。入交くんはたしか就職先、大阪だっけ?」


 紅ショウガの香りが鼻に抜ける。


「そうだよ。盆休みで帰省中」

「そっかそっか」


 タッパーを閉じ、ふたの上に小さなトングを乗せて脇のテーブルの上に置いたところで、一緒に売り子をしている支店の先輩から声が掛かった。


「上澤さん、お友達?」

「あっはい。高校の同級生です」

「あ、じゃあちょっと早いけど休憩にしたら?」

「えっ」

「今ちょうど空いてるし」


 大丈夫です、そう答えようとして入交くんに視線をやった。

 彼は神妙な顔でこくんとうなずいた。

 何か話したいことでもあるのだろうか。入交くんは、彼――上村一成――の、仲の良い友人だから。


「では、お言葉に甘えて。十分くらいで戻ります」


 そう言うと先輩はにっこりと笑った。


「うん、行っておいで」


 この人からよく香っていた腐りかけのフリージアは今はどんな香りになっているのか。笑顔が本物なのかどうかを知る術はない。

 エプロンを外して長机に置き、テントから離れた。

 入交くんと並んでゆっくりと歩き出す。

 鼻先をくすぐるのは、焼きそばのソースの匂いだけだった。




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