6話
朝の教室に、ざわめきが広がっていた。
いつもより少し早く登校した唯斗は、
教室の空気の違いにすぐ気づいた。
「転校生が来るらしいよ」
「え、今の時期に?」
「しかも男の子らしいよ。イケメンって噂」
「どこから来たんだろうね」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
(転校生……?)
唯斗は、なんとなく胸の奥がざわつくのを感じた。
理由はわからない。
でも、**何かが近づいている**気がした。
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1時間目の始業チャイムが鳴ると、
担任の先生が教室に入ってきた。
その後ろに、ひとりの男子生徒が立っていた。
「今日からこのクラスに転入してくることになった、○○くんです。
みんな、仲良くしてあげてね」
その瞬間、教室の空気が一瞬止まった。
そして、すぐにざわめきが戻る。
「よろしくお願いします」
転校生は、静かに頭を下げた。
その声を聞いた瞬間――
唯斗の心臓が、ひとつ跳ねた。
(……この声、知ってる)
隣を見ると、瑠衣も同じように目を見開いていた。
ふたりの視線が交わる。
言葉はなかった。
でも、**同じ記憶の断片が、ふたりの中で揺れていた。**
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転校生は、教室の後ろの席に案内された。
あの、数日前まで“空白”だった席。
誰もが、そこに違和感を覚えなかった。
**ふたり以外は。**
「……あの人、知ってる気がする」
昼休み、屋上で瑠衣がつぶやいた。
「俺も。
でも、どこで会ったのか、思い出せない。
名前も、顔も、全部ぼやけてるのに、
“知ってる”って感覚だけが残ってる」
「夢の中で会ったような……
でも、夢じゃない。
もっと、ちゃんとした記憶のはずなのに」
ふたりは、風に吹かれながら黙り込んだ。
その沈黙は、昨日までのような穏やかさではなく、
**何かを探しているような、張り詰めた静けさ**だった。
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夢界は、ノートを開いていた。
ページの上には、今日の記録が綴られていた。
**『新規個体、教室内に出現。
名簿・記録・記憶、いずれにも該当なし。
教師および生徒の認識に齟齬なし。
唯斗・瑠衣のみ、違和感を認識。』**
彼は、ページの隅に浮かび上がる文字を見つめた。
**『記録外個体、実体化完了。
記録守、干渉不可領域に突入。』**
「……実体化、か」
夢界は、ノートを閉じた。
そして、塔の方を見上げた。
「これはもう、“記録”じゃない。
でも、“物語”でもない。
じゃあ、これは――」
彼は、ポケットから“余白の紙片”を取り出した。
そこに、こう書いた。
**『ふたりが忘れた“誰か”が、
姿を持って戻ってきた。
でも、名前はまだ、記録されていない。
だから、これはまだ“影”だ。』**
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放課後。
ふたりは、塔のふもとにいた。
黒いしずく花の蕾が、
ひとつだけ、**わずかに開きかけていた。**
「……咲くかもしれない」
「うん。
咲いたら、何が起こるんだろう」
「“あの人”の名前が、戻ってくるのかな」
「でも、戻ってきたら――
私たちの“今”が、変わっちゃうかもしれない」
「それでも、
俺は、ちゃんと向き合いたい。
忘れてたことも、思い出すことも、
全部、君と一緒に」
瑠衣は、そっと頷いた。
その目には、**迷いと決意が同時に宿っていた。**
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その夜、夢界は塔の中にいた。
ノートを開き、
“記録されない記録”を綴っていた。
**『名前のない転校生。
ふたりの記憶にだけ残る“懐かしさ”。
塔の呼吸が深まり、
記録の外側が、内側に滲み始めている。』**
彼は、ページを閉じた。
そして、静かに言った。
「……次に名前が現れたとき、
それはもう、“影”じゃなくなる。
そのとき、俺は――
記録守として、何を選ぶんだろうな」
塔の奥で、
**誰かの気配が、静かに目を覚まそうとしていた。**
(続く)




