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ノヴァムカイワールド  作者: フィのー
三章 綻び
51/52

5話



放課後の空は、春のくすんだ光に包まれていた。

雲の切れ間から差す陽射しは、どこか頼りなく、

まるで世界そのものが、

**何かを思い出しかけているような**、そんな気配をまとっていた。


唯斗と瑠衣は、無言のまま歩いていた。

目的地は決まっていた。

言葉にしなくても、ふたりの足は自然と、

**塔のふもと**へと向かっていた。


「……今日、またひとつ増えてた」


瑠衣がぽつりとつぶやいた。

唯斗は頷いた。


「黒い蕾、だよな。

 昨日より、明らかに多い」


塔の根元に広がるしずく花の群れ。

その中に、ぽつぽつと混じる黒い蕾。

まるで、白い記憶の海に落ちた、

**忘却のしずく**のように見えた。


「これ、咲いたらどうなるんだろうね」


「……咲いたら、何かが戻ってくるのかも。

 あるいは、完全に消えるのか」


「どっちも、怖い」


「でも、見届けなきゃいけない気がする。

 俺たちが、ここにいる意味って、

 たぶん、そういうことなんだと思う」


瑠衣は、しずく花の中にしゃがみ込んだ。

白い花びらに指を添え、そっと撫でる。


「この花、

 前に見たときより、少し冷たい気がする」


「冷たい?」


「うん。

 なんていうか……

 記憶が、凍っていくみたいな感じ」


唯斗も、隣にしゃがみ込んだ。

そして、黒い蕾に目をやった。


「これ、咲くのかな。

 それとも、咲かせちゃいけないのかな」


「わからない。

 でも、咲いたら、何かが変わる気がする。

 私たちの記憶も、世界も」


ふたりは、しばらく黙って花を見つめていた。

風が吹き抜け、花が揺れる。

その音が、まるで塔の呼吸のように聞こえた。


---


その夜、唯斗は夢を見た。


塔の中。

白い廊下。

無数の扉。

そのひとつが、ゆっくりと開いていく。


中にいたのは――

**誰か**だった。


でも、その顔は見えなかった。

光の中に溶けていて、

輪郭さえ曖昧だった。


「……誰?」


問いかけると、

その“誰か”は、静かに振り返った。


**「まだ、思い出さないで」**


その声は、どこか懐かしくて、

でも、確かに“今の自分”には届かない場所にあった。


唯斗は目を覚ました。

額に汗をかいていた。


(……あれは、誰だったんだ)


スマホを見ると、

瑠衣からメッセージが届いていた。


「今日の黒い蕾、

 少しだけ、開きかけてた気がする。

 明日も、見に行こう」


唯斗は、短く返事を打った。


「うん。行こう」


---


夢界は、塔のふもとにいた。

ノートを開き、

今日の記録を淡々と綴っていた。


**『黒い蕾、観測数:5。

 前日比+2。

 ふたりの接触により、蕾の開花反応に変化あり。

 記録外個体の影響、進行中。』**


彼は、ページの隅に浮かび上がる文字を見つめた。


**『記録外個体、接近中。

 記録守、干渉限界に近づく。』**


「……限界、か」


夢界は、ノートを閉じた。

そして、塔を見上げた。


「俺は、記録することしかできない。

 でも、それでも――

 ふたりの“今”を守るためなら、

 少しくらい、規則を曲げてもいいよな」


彼は、ポケットから小さな紙片を取り出した。

それは、ノートとは別の、

**“記録されない記録”**だった。


「これは、俺の“余白”。

 記録守としてじゃなく、

 “夢界”としての、俺の言葉」


彼は、その紙片に、こう書いた。


**『ふたりが、誰かを忘れている。

 でも、その“誰か”は、まだここにいる。

 記録の外で、静かに、確かに。』**


風が吹いた。

紙片がふわりと宙に舞い、

塔の影に吸い込まれていった。


夢界は、そっと目を閉じた。


「……届いてくれ。

 ふたりの“今”が、

 これ以上、壊れないように」


---


翌朝。

教室に入ると、

黒板の座席表が、また変わっていた。


「……空白、消えてる」


「ほんとだ。

 でも、名前が書いてあるわけじゃない。

 ただ、“空白じゃなくなった”だけ」


「……誰かが、戻ってきてるのかも」


「でも、まだ“誰か”じゃない。

 ただの、影」


ふたりは、顔を見合わせた。

その目に浮かんでいたのは、

**言葉にできない確信**だった。

(続く)

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