3話
夢界は、昼休みの教室でノートを開いていた。
ページの上には、黒いインクで描かれた記号や線、
そして、誰にも読めないような文字の連なり。
彼の手は止まることなく動いていたが、
その目は、教室の隅に座るふたりを追っていた。
唯斗と瑠衣。
ふたりは、言葉を交わさずに弁当を食べていた。
でも、その沈黙は、他の誰よりも親密だった。
(……いい距離感だな)
夢界は、そっとペンを止めた。
そして、ノートの余白に、こう書き加えた。
**『ふたりの沈黙、春の光に溶ける。
言葉よりも深く、確かなもの。』**
それは、記録というより、詩に近かった。
でも、夢界にとっては、
**こうして書き留めることが、記録守としての“祈り”だった。**
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夢界が記録守になったのは、
いつのことだったか、もう思い出せない。
気づいたときには、ノートを持っていた。
塔のふもとに立ち、
「ここにいるべきだ」と、自然に思った。
誰かに命じられたわけでもない。
でも、彼は知っていた。
**「記録を守る者が必要だ」**
**「誰かが見ていなければ、物語は消えてしまう」**
だから、彼は書き続けた。
誰にも読まれないかもしれない記録を、
誰にも気づかれないまま、静かに綴ってきた。
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でも、最近――
その“静かな仕事”に、
**小さな異変**が起きていた。
ノートのページに、
自分の知らない文字が浮かび上がるようになったのだ。
最初は、インクのにじみかと思った。
でも、違った。
それは明らかに、**誰かの意志を持った“記述”**だった。
**『第二綴、準備中』**
その文字は、夢界の筆跡ではなかった。
インクの色も、質感も違っていた。
まるで、**“記録の外”から書き込まれたような感触**。
(……誰だ?
俺以外に、ノートに触れられる存在なんて――)
彼は、塔の方を見た。
その先端は、春の霞に包まれて、
まるで夢の中の幻のように揺れていた。
(塔が、動き出してる。
でも、これは“目覚め”じゃない。
もっと静かで、もっと根深い……“呼吸”だ)
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放課後。
夢界は、校舎の屋上にいた。
風が強く、ノートのページがめくれるたびに、
彼はそっと手で押さえた。
(唯斗と瑠衣。
ふたりは、今、ちゃんと“今”を選んでる。
それは、記録守として見ていても、すごいことだ。
でも――)
彼は、ページの隅に目をやった。
そこには、また新しい文字が浮かび上がっていた。
**『記録守、交代準備中』**
夢界は、目を細めた。
その文字は、まるで“通知”のように、
淡く、でも確かにそこにあった。
「……交代? 俺が?」
彼は、しばらく黙っていた。
そして、そっとノートを閉じた。
「まだ、渡さないよ。
ふたりの記録は、俺が見届ける。
最後まで、ちゃんと」
その声は、風にかき消された。
でも、その決意は、
塔のどこかに、きっと届いていた。
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夜。
夢界は、自室の机に向かっていた。
ノートを開き、今日の記録を整理していた。
ふたりの会話、表情、沈黙。
それらを、言葉に変えて綴っていく。
**『昼休み、ふたりは言葉を交わさずに笑った。
その笑みは、昨日よりも少しだけ深く、
でも、どこかに影を落としていた。』**
ページの端に、また文字が浮かび上がった。
**『記録守候補、観測中』**
夢界は、眉をひそめた。
(……候補? 誰のことだ?)
彼は、ふと唯斗の顔を思い浮かべた。
そして、次に瑠衣の顔を。
(まさか……)
ノートのページが、ひとりでにめくれた。
そこには、見覚えのない記録があった。
**『記録外個体、再接続準備中』**
夢界は、息をのんだ。
「……おいおい、
それは、まだ早いだろ」
彼は、ノートを閉じた。
そして、深く息を吐いた。
(続く)




