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ノヴァムカイワールド  作者: フィのー
三章 綻び
47/50

1話



朝の光が、校舎の窓を透かして差し込んでいた。

春の空気はまだ少し冷たくて、

でもその冷たさの奥に、やわらかな匂いが混じっていた。


唯斗は、教室の窓際の席に座りながら、

ぼんやりと空を見上げていた。

その視線の先には、遠くにそびえる塔の影。

昨日の夜、あのふもとで過ごした時間が、

まだ身体のどこかに残っている気がした。


「……眠そうだね」


声をかけてきたのは瑠衣だった。

彼女は、いつものように静かに席につきながら、

唯斗の横顔をちらりと見た。


「うん、ちょっとだけ。

 でも、悪くない眠気」


「ふふ、わかる。

 私も、まだ夢の中にいるみたい」


ふたりは、それ以上言葉を交わさなかった。

でも、それで十分だった。

昨夜のことは、言葉にしなくても、

ちゃんとふたりの中に残っていた。


教室のざわめきが、少しずつ広がっていく。

クラスメイトたちが登校し、

いつものように笑い声が飛び交う。


でも、唯斗にはその音が、

どこか遠くに感じられた。


まるで、自分たちだけが、

**“昨日とは違う世界”に立っているような感覚。**


---


1時間目の現代文が始まっても、

唯斗の意識はどこか上の空だった。


教科書の文字が、

塔の壁に刻まれた記録のように見えてくる。

意味はあるのに、どこか現実味がない。


「……“記憶とは、個人の中にある物語である”」


教師の声が、教室に響く。


「記憶は、事実の記録ではない。

 むしろ、記憶とは、

 その人が“どう感じたか”の積み重ねだ。

 だからこそ、記憶は歪む。

 そして、時に――綻ぶ」


唯斗は、はっとして顔を上げた。

その言葉が、まるで自分に向けられたもののように感じた。


瑠衣もまた、同じように顔を上げていた。

ふたりの視線が、教室の中で静かに交わる。


“記憶は、綻ぶ”


その言葉が、胸の奥に引っかかった。


---


昼休み。

ふたりは、校舎裏のベンチに並んで座っていた。

昨日の夜、キスを交わした場所。

今は陽が差していて、

あのときの静けさとは違うけれど、

それでも、どこか落ち着く場所だった。


「……ねえ、唯斗」


「ん?」


「今日の授業、ちょっと変だったと思わない?」


「現代文?」


「ううん、じゃなくて……

 クラスの雰囲気。

 なんか、みんなの話してる内容が、

 少しだけズレてる気がして」


唯斗は、少し考えてから頷いた。


「たとえば?」


「さっき、陽菜が“このクラス、女子は15人”って言ってたの。

 でも、私の記憶だと16人いるはずなんだよね。

 ……ひとり、足りない」


「……それって、誰?」


「それが、思い出せないの。

 顔も、名前も、声も。

 でも、“いた”って感覚だけが、残ってる」


唯斗は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「……俺も、似たようなことがあった。

 さっき、理科のプリント配ってたとき、

 “あれ、この席って誰のだっけ?”って思った。

 でも、誰も座ってなかった。

 みんなも、何も言わなかった」


ふたりは、顔を見合わせた。

その目に浮かんでいたのは、

**“確信のない確信”**だった。


「……塔、まだ眠ってないのかもね」


「うん。

 それか、もう目を覚まし始めてるのかも」


---


放課後。

ふたりは、校門を出て、

自然と塔の方角へ歩き出していた。


言葉はなかった。

でも、足が勝手にそちらへ向かっていた。


塔のふもとに着くと、

昨日と同じように、しずく花が咲いていた。

でも、その中に――

**ひとつだけ、黒い蕾が混じっていた。**


「……これ、昨日はなかったよね?」


「うん。

 咲いてないけど、

 なんか……怖い」


瑠衣が、そっとその蕾に手を伸ばしかけたとき、

唯斗がその手を取った。


「やめとこう。

 なんか、嫌な感じがする」


「……うん」


ふたりは、しずく花の群れの中に腰を下ろした。

風が吹き抜けて、花が揺れる。

その音が、まるで塔の呼吸のように聞こえた。


「……ねえ、唯斗」


「ん?」


「私たち、

 このまま“今”を守れるかな」


唯斗は、しばらく黙っていた。

そして、静かに答えた。


「わからない。

 でも、守りたいって思ってる。

 それだけは、変わらない」


瑠衣は、そっと微笑んだ。

その笑顔は、どこか寂しげで、でもあたたかかった。


「……ありがとう。

 私も、そう思ってる」


ふたりは、手をつないだ。

その手のぬくもりだけが、

この世界の“確かさ”を教えてくれる気がした。


---


その夜、夢界はノートを開いていた。


ページの隅に、

見覚えのない文字が浮かび上がっていた。


**『第二綴、準備中』**


夢界は、眉をひそめた。

その文字は、彼の手によるものではなかった。


「……誰が、書いた?」


塔の奥から、

かすかな脈動が聞こえた気がした。

(続く)

毎週土曜日の12:00ごろ更新していきます、

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