月の見える夜に⑦夜明けのまえに
夢から覚めたとき、
空はまだ夜の色をしていた。
でも、空気の匂いが変わっていた。
草の湿り気に、ほんの少しだけ朝の気配が混じっている。
遠くで鳥の声がひとつ、かすかに響いた。
瑠衣は、ゆっくりと身を起こした。
隣にいる唯斗も、同じように目を覚ましていた。
「……おはよう、かな?」
「まだ“おやすみ”かもな。
でも、たぶん、どっちでもいいんだと思う」
ふたりは、しばらく黙って空を見上げた。
塔の先端は、まだ夜の闇に溶け込んでいたけれど、
その輪郭は、少しずつ明るみに浮かび上がってきていた。
「……夢、すごかったね」
「うん。
同じ夢を見るなんて、初めてだった」
「“第二綴”って、なんだったんだろう」
「わからない。
でも、あの言葉――
“まだ、終わっていない”ってやつ、
あれは、たぶん……」
「うん。
私たちに向けて、言われた気がした」
「……怖い?」
「少しだけ。
でも、それ以上に、
“また始まるんだ”って思った」
「俺も。
でも、今度は――
君と一緒にいるから、大丈夫だと思う」
瑠衣は、唯斗の手をそっと握った。
その手は、夜の冷たさを少しだけ含んでいたけれど、
芯の部分は、ちゃんとあたたかかった。
「……ねえ、唯斗」
「うん?」
「もし、また塔が動き出して、
記憶が揺れて、
世界が変わってしまっても――
私たち、ちゃんと“今”を守れるかな」
唯斗は、少しだけ考えてから答えた。
「……守れるかどうかは、わからない。
でも、守りたいって思ってる。
それだけは、はっきりしてる」
「……うん。
私も、そう思う」
「それに、俺たち、もうひとりじゃないしな。
夢界もいるし、君もいる。
それだけで、前よりずっと強い気がする」
「ふふ、たしかに。
夢界、きっと今ごろノートに“ふたりは塔のふもとで野宿”って書いてるよ」
「やめてくれ、それは恥ずかしい」
「でも、きっと“しずく花の夜”ってタイトルつけてくれるよ」
「……それは、ちょっといいかも」
ふたりは、くすくすと笑い合った。
その笑い声は、夜明け前の空に溶けていった。
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しばらくして、ふたりは立ち上がった。
草の上に残った体温の跡が、
夜露に濡れて、ゆっくりと消えていく。
「……帰ろうか」
「うん。
朝になっちゃう前に」
ふたりは、塔に背を向けて歩き出した。
でも、数歩進んだところで、瑠衣が立ち止まった。
「……ねえ、唯斗」
「ん?」
「この夜のこと、
ずっと覚えててくれる?」
唯斗は、振り返って頷いた。
「もちろん。
忘れるわけないよ。
君と過ごした夜だもん」
「……ありがとう。
私も、忘れない。
この空の色も、
しずく花の白さも、
あなたの声も」
「じゃあ、約束しようか」
「約束?」
「うん。
もし、また何かが起きても――
この夜を思い出して、
“今の気持ち”を信じるって」
瑠衣は、少しだけ目を細めて、
唯斗の手をぎゅっと握った。
「……うん、約束」
ふたりは、指切りをした。
子どもみたいに、でも真剣に。
「指切った」
「嘘ついたら――」
「塔のてっぺんから落ちる」
「……それは怖すぎる」
「ふふ、でもそれくらいの覚悟で、ね」
ふたりは、もう一度笑い合った。
その笑顔は、夜明けの光に照らされて、
ほんのりと金色に染まっていた。
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空が、青くなり始めていた。
夜と朝の境目が、ゆっくりとほどけていく。
塔の先端が、朝日を受けて、
かすかに光を返していた。
それは、まるで――
「見ているよ」と、
「忘れていないよ」と、
そう言っているようだった。
でも、ふたりはもう振り返らなかった。
今はただ、
**手をつないで、朝へ向かって歩いていく。**




