月の見える夜に③ 名前のない約束
塔の影が、夜の街に長く伸びていた。
その影の端に、ふたりの影が重なっていた。
唯斗と瑠衣は、屋上の柵にもたれながら、
つないだ手をそっとほどき、
それぞれの指先に残るぬくもりを確かめていた。
言葉は、もう十分に交わした。
でも、**言葉のあとに残る沈黙**こそが、
ふたりにとっては、いちばん大切な時間だった。
「……ねえ、唯斗」
瑠衣が、月を見上げたまま言った。
「うん?」
「“好き”って、言葉にしないまま、
伝わることってあると思う?」
唯斗は、少しだけ考えてから答えた。
「あると思う。
でも、言葉にしないと、
届かないこともあると思う」
「……そっか。
じゃあ、私たちは……どっちなんだろうね」
「たぶん、両方じゃないかな。
言葉にして、届いたこともあるし、
言葉にしなかったから、守れたものもある」
瑠衣は、ふっと笑った。
その笑みは、どこか安心したようで、
でも少しだけ、切なさも混じっていた。
「……私ね、
“みるい”だったとき、
あなたともっと話したかったんだ」
「うん」
「でも、話せば話すほど、
“終わり”が近づいてくる気がして、
怖くて、言葉を飲み込んでた」
唯斗は、静かに頷いた。
「わかるよ。
俺も、あのときは何も言えなかった。
言ったら、壊れそうで……
言わなかったら、守れる気がしてた」
「でも、結局、言わなかったことが、
いちばん後悔に残るんだよね」
「……うん。
だから、今は、ちゃんと話したいって思った」
「ありがとう。
私も、ちゃんと聞きたかった。
“今の唯斗”の声で、
“今の気持ち”を」
ふたりは、再び視線を交わした。
その目には、もう迷いはなかった。
でも、ふたりとも、
“好き”とは言わなかった。
それは、**言わなくても伝わると信じているから**かもしれないし、
言葉にしてしまうことで、
何かが変わってしまうのを恐れているからかもしれない。
けれど、ふたりの間には、
確かに**名前のない約束**が生まれていた。
---
風が、塔の方角から吹いてきた。
春の夜風は、まだ少し冷たくて、
でもどこか、やさしい匂いがした。
「……ねえ、唯斗」
「うん?」
「このまま、時間が止まったらいいのにって、思わない?」
「思うよ。
でも、止まらないってわかってるから、
今が大事なんだって思えるのかも」
「……そっか。
そうだね」
瑠衣は、カーディガンの袖を引き寄せて、
自分の腕を抱いた。
唯斗は、そんな彼女の様子を見て、
そっと自分の制服の上着を脱いだ。
「……ほら、寒いだろ」
「えっ、でも……」
「いいから。
俺、暑がりだし」
「ふふ、うそばっかり」
瑠衣は、唯斗の上着を受け取って、
肩にかけた。
「……ありがとう。
あったかい」
「それ、俺のぬくもりだからな」
「うん、知ってる」
ふたりは、また黙った。
でも、その沈黙は、
まるで音楽の“間”のように、
意味のある静けさだった。
---
しばらくして、瑠衣がぽつりと呟いた。
「……ねえ、唯斗。
もし、また塔が目を覚ましたら、
私たち、どうするんだろうね」
「……戦うよ。
また、君と夢界と一緒に。
でも、できれば……
もう、誰の記憶も消えないでほしい」
「うん。
私も、そう思う。
でも、たぶん――
また、何かが起きる気がする」
「……わかる。
俺も、そんな気がしてる」
「それでも、
あなたと一緒なら、
私は、大丈夫だと思う」
唯斗は、瑠衣の手をそっと握った。
「俺も。
君が隣にいてくれるなら、
どんな記憶でも、受け止められる」
ふたりの影が、月明かりの下で重なった。
その影は、塔の影と交わるように、
静かに、でも確かに、
**未来へと伸びていた。**




