月の見える夜に① 誘い
ちょっとした長編です
夜の校舎は、昼間とはまるで別の場所のようだった。
窓の外に広がるのは、静まり返った街と、
その向こうにそびえる黒い塔。
唯斗は、屋上の扉をそっと開けた。
風が、制服の裾を揺らす。
空には、雲ひとつない満月。
「……来てくれるかな」
彼は、ポケットの中のメッセージカードを握りしめた。
昼休みに、瑠衣の机にそっと置いたもの。
“放課後、屋上で待ってる”――それだけの短い言葉。
(来なかったら、それはそれでいい)
(でも、もし来てくれたら……)
唯斗は、塔の方角を見た。
夜の闇に溶け込むように、塔は静かに立っていた。
まるで、世界の記憶を見守る番人のように。
そのとき、屋上の扉が、そっと開いた。
「……来たよ」
振り返ると、瑠衣が立っていた。
制服の上に、薄いカーディガンを羽織っている。
月明かりが、彼女の髪をやさしく照らしていた。
「……寒くなかった?」
「ううん。
でも、ちょっとだけ、風が冷たいね」
「……ごめん。
急に呼び出して」
「ううん。
来たかったから、来たの」
ふたりは、屋上の柵のそばに並んで立った。
しばらく、言葉はなかった。
でも、その沈黙は、どこか心地よかった。
「……月、きれいだね」
「うん。
塔も、よく見える」
「……ねえ、唯斗。
どうして、今日呼んでくれたの?」
唯斗は、少しだけ迷ってから、
ポケットからもう一枚の紙を取り出した。
それは、夢界のノートの切れ端だった。
そこには、唯斗の字でこう書かれていた。
**『君と、ちゃんと話がしたい。
“今の気持ち”を、言葉にしてみたい。』**
瑠衣は、それを読んで、
そっと紙を胸にしまった。
「……うれしい。
私も、そう思ってた」
唯斗は、深く息を吸った。
そして、ゆっくりと話し始めた。
「俺さ、
あの戦いが終わってから、
ずっと考えてたんだ。
“みるい”のこと、
“瑠衣”のこと、
そして、今の君のこと」
瑠衣は、黙って聞いていた。
その横顔は、月明かりに照らされて、
どこか儚く、でも強く見えた。
「俺は、たしかに“みるい”が好きだった。
でも、今の俺が好きなのは――
“瑠衣”なんだって、ちゃんとわかったんだ」
瑠衣の目が、わずかに揺れた。
でも、その揺れはすぐに静まり、
彼女は、ゆっくりと頷いた。
「……ありがとう。
それ、聞けてよかった」
「でも、君は……どう思ってる?」
「私?」
「うん。
君の中には、“みるい”の記憶がある。
だから、俺のことを知ってた。
それって、ずるいって思わなかった?」
瑠衣は、少しだけ笑った。
その笑みは、どこか寂しさを含んでいた。
「思ったよ。
ずるいなって。
でも、それ以上に――
“今の唯斗”に惹かれてる自分がいることに、
気づいたの」
「……今の俺?」
「うん。
記憶があったから、
あなたの優しさに気づけたのかもしれない。
でも、好きになったのは、
今のあなたの声で、
今のあなたの歩き方で、
今のあなたの、ちょっと不器用なところ」
唯斗は、目を伏せた。
そして、そっと手を伸ばした。
瑠衣の手に触れる。
その指先は、あたたかかった。
「……じゃあ、これからも、
“今の俺”で、隣にいていい?」
「もちろん。
私も、“今の私”で、隣にいるよ」
ふたりの手が、静かに重なる。
その瞬間、塔の先端が、
月明かりを受けて、わずかに光った。
でも、ふたりは気づかない。
今はただ、
**この手のぬくもりを確かめることがすべてだった。**




