記憶
放課後。
校門を出た瑠衣は、まっすぐ帰らずに、
塔の見える坂道を歩いていた。
この道は、あの夏、
“みるい”として何度も通った場所。
でも今は、“瑠衣”として歩いている。
制服の袖を風が撫でる。
春の匂いの中に、どこか懐かしい気配が混じっていた。
(……あのときも、こんな風だった)
ふと、記憶が重なる。
唯斗と並んで歩いた帰り道。
何も言わずに、ただ並んでいた時間。
その沈黙が、心地よかった。
でも今は――
「……私は、瑠衣」
小さく呟いてみる。
声が風に溶けていく。
“みるい”の記憶は、確かに自分の中にある。
でも、それがすべてじゃない。
今の自分は、“瑠衣”として生きている。
あの記憶を抱えたまま、
今の名前で、今の歩幅で。
(それでも、たまに怖くなる)
もし、あの記憶がなかったら。
もし、唯斗と出会っていなかったら。
私は、今ここにいなかったのかもしれない。
(……それでも)
瑠衣は、坂の途中で立ち止まり、
遠くにそびえる塔を見上げた。
黒く、静かに、空を貫くその姿。
まるで、記憶そのもののように、
そこに在り続けている。
「……ありがとう。
でも、私はもう、
あなたの中に戻らない」
風が吹いた。
桜の花びらが、ひとひら、瑠衣の肩に落ちた。
彼女はそれをそっと指でつまみ、
空に放った。
「私は、私の足で帰るよ。
“今”を歩くって、決めたから」
そう言って、瑠衣は坂を下り始めた。
その背中は、
春の光を受けて、
まっすぐに伸びていた。
(終わり)




