日常
春の午後。
校舎の裏手にある、誰も来ない小さな中庭。
桜の花びらが、風に乗って舞っていた。
夢界は、ベンチに寝転がって空を見ていた。
制服の上着を枕にして、ノートを胸に乗せて。
その横に、唯斗と瑠衣が並んで座っている。
「……なあ、最近、塔の夢見た?」
唯斗がぽつりと聞いた。
「いや、見てないな。
あれ以来、ずっと静かだ。
まるで、眠ってるみたいに」
夢界が目を細めて、空を見上げた。
雲がゆっくりと流れていく。
その向こうに、塔の先端が、かすかに覗いていた。
「でも、あれがあるだけで、
なんか、世界が“仮”みたいに感じるよな」
「うん……。
いつまた、何かが起きてもおかしくないって思っちゃう」
瑠衣が、スカートの裾を押さえながら、
舞い落ちる花びらを見つめていた。
「でも、今は静かだ。
それって、すごく貴重なことだと思う」
夢界が、ノートを開いた。
そこには、今日の記録が書かれていた。
**『2026年4月12日。
昼下がりの中庭。
風は穏やかで、桜はまだ散りきらない。
唯斗はあくびをして、瑠衣は花びらを追っている。
俺は、空を見ている。
塔は、今日も黙っている。』**
「……なんか、詩人みたいだな」
唯斗が笑うと、夢界は肩をすくめた。
「詩人じゃないさ。
ただの“記録守”だよ。
でも、こうして書いておかないと、
また何かに飲まれて、忘れちまいそうでさ」
「忘れたくないんだね」
「うん。
忘れたくない。
この時間も、
この空気も、
この距離感も」
瑠衣が、そっと目を閉じた。
「……私も。
今が、すごく大事だって思う。
だから、ちゃんと覚えていたい」
唯斗は、ふたりの顔を見て、
少しだけ照れたように笑った。
「じゃあ、俺も書こうかな。
記録、ってやつ」
「お、いいね。
じゃあ、ページを分けてやるよ。
“唯斗のページ”ってタイトルつけとく」
「やめろ、恥ずかしいだろ」
「“唯斗の観察記録”でもいいけど?」
「もっとやめろ!」
三人の笑い声が、風に乗って広がっていく。
塔は、遠くにそびえていた。
その影は、まだ世界に落ちている。
でも、今日の空は、どこまでも青かった。
(終わり)




