17話
霧が、静かに夢界を包み込んでいく。
唯斗と瑠衣の姿が、遠ざかっていく。
音が消え、色が薄れ、
世界が、灰色の静寂に沈んでいく。
夢界は、ひとりになった。
「……さてと」
彼は、ポケットからノートを取り出した。
『残響記録』――
自分が見てきた記憶の断片を、
誰にも見せずに書き留めてきたもの。
そのページが、勝手にめくれ始める。
風もないのに、まるで誰かの手が触れているように。
そして、止まった。
そこには、こう書かれていた。
**『支えることしかできなかった自分』**
「……やっぱ、来るよな」
夢界は、ゆっくりと顔を上げた。
霧の奥から、もうひとりの“夢界”が現れた。
けれど、その姿は――
あまりにも静かだった。
制服のまま、手ぶらで立っている。
表情は、何もない。
目は、どこも見ていない。
「……お前、誰だよ」
夢界が問う。
影の夢界は、答えない。
ただ、ぽつりと呟いた。
「……俺は、誰でもない。
誰にも見られなかった、
誰にも気づかれなかった、
“お前のままの俺”だ」
「……は?」
「唯斗の隣で、
瑠衣の背中を見て、
いつも笑って、
いつも軽くて、
でも、何も言えなかった。
何も、届かなかった。
それが、俺だ」
夢界は、言葉を失った。
影の夢界は、ゆっくりと歩き出す。
その足音は、まるで心臓の鼓動のように響いた。
「お前は、支えることしかできなかった。
ふたりの間に立って、
空気を読んで、
気配を消して、
それで満足したふりをしてた」
「……違う。
俺は、ふたりのことが――」
「好きだった。
でも、言えなかった。
言ったら、壊れる気がした。
だから、黙ってた。
だから、何も変えられなかった」
夢界は、拳を握った。
「……それが、悪いのかよ」
「悪くない。
でも、それは“選ばなかった”ってことだ。
お前は、選ばなかった。
だから、今も“脇役”のままだ」
影の夢界が、手を伸ばす。
その指先が、夢界の胸に触れた瞬間――
記憶が、溢れた。
---
放課後の教室。
唯斗と瑠衣が、窓際で話している。
夢界は、少し離れた席で、
笑いながらそれを見ている。
でも、心の奥では――
何かが、静かに崩れていた。
(……俺は、ここでいい)
(ふたりが笑ってるなら、それでいい)
(俺は、支える側でいい)
そう思い込もうとしていた。
でも、本当は――
(俺も、誰かに見てほしかった)
(俺も、誰かに必要とされたかった)
(俺も――選ばれたかった)
---
「……それが、俺の本音か」
夢界は、ゆっくりと目を開けた。
影の夢界が、目の前に立っていた。
その目には、何の色もなかった。
「……お前の言う通りだよ。
俺は、選ばなかった。
怖かったから。
壊れるのが、怖かったから。
だから、支えることしかできなかった」
影は、何も言わない。
ただ、じっと見つめている。
「でもな――
それでも、俺はここにいる。
ふたりの隣に、今も立ってる。
それは、俺が“選ばなかった”ままじゃないってことだ」
夢界は、ノートを閉じた。
その手に、光が集まる。
「俺は、もう“支えるだけの存在”じゃない。
俺は、ふたりと一緒に、
この世界を守るために戦う。
それが、俺の選んだ道だ!」
光が、夢界の体を包む。
その目に浮かぶ紋章が、深く輝いた。
影の夢界が、初めて表情を変えた。
その目に、わずかに色が戻る。
「……なら、託すよ。
“俺”のすべてを」
影が、光に変わって消えていく。
その光が、夢界の胸に吸い込まれていく。
「……ありがとう。
俺の中にいてくれて」
夢界は、静かに呟いた。
---
霧が晴れていく。
唯斗と瑠衣の姿が、戻ってくる。
「夢界……!」
「大丈夫?」
夢界は、ふたりに笑いかけた。
それは、いつもの軽い笑顔じゃなかった。
ちゃんと、心からの笑顔だった。
「……お待たせ。
俺も、ちゃんと戻ってきたよ」
唯斗と瑠衣が、頷く。
「これで、三人そろったね」
「うん。
ここからが、本当の戦いだ」
三人は、並んで立った。
塔の奥から、黒い風が吹いてくる。
“奴等”の本体が、目を覚まそうとしていた。
でも、もう迷いはない。
唯斗は、剣を構えた。
瑠衣は、羽衣を広げた。
夢界は、ノートを開いた。
「行こう。
この世界を、
そして、俺たち自身を――守るために」




