11話
夢界は、ひとりで図書室にいた。
塔が現れた直後、校内がざわつき始めたとき、
彼は人混みを避けるように、静かな場所を選んだ。
理由は、自分でもよくわからなかった。
ただ、**“何かが来る”**という感覚が、
胸の奥でざわざわと騒いでいた。
窓際の席に座り、
遠くに見える黒い塔を見つめる。
その姿は、夢界の記憶の中にある“何か”と、
ぴたりと重なっていた。
(……あれ、見たことある。
夢か、記憶か、それとも――)
そのときだった。
視界の端が、にじんだ。
「……またか」
最近、頻繁に起こるようになった“残響”の発作。
誰かの強い記憶が、
まるで自分の中に流れ込んでくるような感覚。
でも今回は、違った。
視界が、真っ黒に染まる。
音が消える。
そして、浮かび上がる“影”。
人の形をしている。
でも、顔がない。
輪郭が、ぼやけている。
まるで、誰かの記憶から抜け落ちた“存在”。
(……これが、“奴等”……?)
夢界は、息を呑んだ。
その影は、塔の方角を向いていた。
そして、ゆっくりと、こちらに顔を向けた――ように見えた。
「……やばい」
夢界は、立ち上がった。
このままじゃ、何かが壊れる。
自分の中の“現実”が、
音もなく崩れていくような感覚。
(唯斗……瑠衣……!)
彼らの顔が、頭に浮かんだ。
今、あいつらがどこにいるのかはわからない。
でも、きっと――屋上だ。
夢界は、図書室を飛び出した。
階段を駆け上がる。
足音が、やけに大きく響く。
それ以外の音が、まるで消えてしまったかのように。
(頼む、間に合ってくれ……!)
---
屋上の扉を開けたとき、
そこには、唯斗と瑠衣が並んで立っていた。
ふたりとも、塔を見つめていた。
その背中に、言葉にできない緊張が漂っていた。
「おーい、何してんだよ、こんなとこで」
夢界は、できるだけ軽く声をかけた。
でも、内心はまったく軽くなかった。
ふたりが振り返る。
その目に浮かぶ驚きと安堵。
そして、すぐに共有される“異変”の感覚。
「……お前ら、あれ見たんだろ」
唯斗と瑠衣は、頷いた。
「夢で見た。
あの塔も、“奴等”も」
夢界は、ふっと息を吐いた。
そして、ポケットからノートを取り出した。
**『残響記録』**
「……これ、俺が見た“残響”をメモしてたやつ。
でも、今日のは……桁が違った」
「見たのか? あの塔の記憶を?」
「いや、塔じゃない。
“あれ”が来る直前、
誰かの記憶が、俺の中に流れ込んできた。
それも、めちゃくちゃ強いやつ」
夢界は、ノートを開いた。
そこには、走り書きのような文字が並んでいた。
『塔の出現は、記憶の重なりによるもの』
『瑠衣の中にある“みるい”の記憶が鍵』
『唯斗の想いが、境界を開いた』
『“奴等”は、忘却の化身――記憶を喰らう存在』
「……これ、全部、俺が見たこと。
でも、意味はまだわかんねぇ。
ただ、ひとつだけ確信してる」
夢界は、ふたりを見た。
その目は、まっすぐだった。
「お前らが、何かを思い出したとき――
世界が、動き出したんだよ」
しばらくの間、沈黙が場を支配した。
「……戻ろう。体育館に」
沈黙を破った夢界の言葉に、唯斗と瑠衣は頷いた。
塔の出現、空の裂け目、“奴等”の降臨――
すべてが現実とは思えないほど異様だった。
けれど、今はそれを確かめるしかない。
自分たち以外の誰かが、無事であることを。
三人は階段を駆け下りた。
校舎の中は、妙に静かだった。
さっきまで聞こえていたはずのチャイムも、
誰かの話し声も、まったく聞こえない。
「……変だな。誰もいない」
夢界が呟く。
唯斗は、心の奥に冷たいものが広がっていくのを感じていた。
(まさか……)
体育館の扉を開けた瞬間、
その予感は確信に変わった。
そこには、誰もいなかった。
広い空間に、整然と並んだ椅子。
置き去りにされたカバン。
途中で止まったままの放送機器。
まるで、時間だけが止まってしまったような光景。
「……嘘だろ……」
夢界が、声を失う。
瑠衣は、ゆっくりと歩き出し、
ひとつの椅子に手を触れた。
「……あたたかい」
「え?」
「さっきまで、誰かが座ってた。
でも、今は……いない」
唯斗は、体育館の中央に立ち尽くしていた。
その目は、天井を見上げていた。
そこには、何もない。
けれど、彼の心には、
夢の中で見た“空の裂け目”が、
まざまざと浮かんでいた。
「……連れていかれたのか?」
「“奴等”に……?」
「でも、どうやって……? いつの間に……?」
三人は、言葉を失った。
そして、同時に気づいた。
――音が、ない。
風の音も、鳥の声も、遠くの車の走行音も。
すべてが、消えていた。
「……外、見てみよう」
夢界の提案で、三人は校舎を出た。
昇降口を抜け、坂を上がり、
校庭の端にあるフェンスの向こう――
街を見下ろす高台へと出た。
そして、見た。
そこには、**“空白の街”**が広がっていた。
車は止まったまま。
信号は点滅している。
コンビニの看板は光っている。
でも、**人がいない。**
歩道にも、交差点にも、
バス停にも、駅前にも――
誰一人として、いなかった。
「……これ、夢じゃないよな……?」
夢界の声が、かすれていた。
「……現実だよ。
でも、現実じゃない。
“あっち”が、こっちに入り込んできてる」
瑠衣の声は、低く、震えていた。
その目は、塔の方向を見つめていた。
「“奴等”は、記憶を喰らう。
人の存在そのものを、
“思い出せなくする”ことで、
この世界から消していく」
「……じゃあ、みんな……」
「まだ、完全に消えたわけじゃない。
でも、もう“境界”は破られた。
このままじゃ、私たちも……」
そのときだった。
風が吹いた。
いや、“風のようなもの”が、三人の間をすり抜けた。
唯斗が振り返る。
そこには、誰もいない。
でも、確かに“何か”がいた。
「……見えない……でも、いる……!」
夢界が、目を閉じた。
そして、ゆっくりと手を伸ばす。
「……残響視、起動」
その瞬間、彼の視界に、
**黒い影の残像**が浮かび上がった。
人の形をしている。
でも、輪郭がぼやけている。
まるで、記憶の中から抜け落ちた“誰か”のように。
「……奴等だ……!」
夢界が叫ぶ。
唯斗と瑠衣も、身構える。
でも、どうすればいいのか、わからない。
「逃げよう。今はまだ、奴等は完全に“形”を持ってない。
でも、こっちを見つけたら……!」
三人は、駆け出した。
校庭を抜け、裏門へ。
その背後で、空気が歪む音がした。
まるで、世界そのものが、
ゆっくりと“書き換えられている”ような音。
唯斗は、走りながら思った。
(これが、“記憶を喰らう”ってことか……
このままじゃ、俺たちも、
誰かの記憶から消えていく……!)




