10話
塔が現れてから、世界は少しずつ、音を失っていった。
最初に消えたのは、蝉の声だった。
次に、風の音。
そして、校庭を走る部活の掛け声や、
昇降口で交わされる挨拶のざわめきまでもが、
まるで水の中に沈んでいくように、遠ざかっていった。
唯斗は、校舎の屋上に立っていた。
授業は中止になり、生徒たちは体育館に集められていたが、
彼は気づけば、足が勝手にこの場所を選んでいた。
遠くに見える、あの塔。
黒く、細く、空を貫くように立っている。
まるで、空の奥にある“何か”と地上をつなぐ、
巨大な杭のように。
「……あれが、夢の中の塔……」
声に出してみても、現実感は戻ってこなかった。
けれど、胸の奥では、確かに何かが騒いでいた。
懐かしさと、恐怖と、焦燥。
それらが混ざり合って、言葉にならないざわめきとなっていた。
「唯斗」
背後から声がした。
振り返ると、そこには瑠衣がいた。
制服のスカートが風に揺れている。
その目は、まっすぐに塔を見つめていた。
「……来ちゃったね」
「……ああ」
「夢の中で見た通り。
でも、現実に現れるなんて、思ってなかった」
「俺もだよ。
でも、あれを見た瞬間、
“ああ、やっぱり”って思った」
ふたりは、並んで立った。
風が吹いている。
けれど、どこか冷たくて、
肌の奥にまで染み込んでくるような感触だった。
「……“奴等”が来る」
瑠衣の声は、震えていた。
でも、それは恐怖だけじゃない。
何かを思い出しかけているような、
そんな不安定な響きだった。
「瑠衣、君は……知ってるのか? あれが何なのか」
「……ううん。
でも、夢の中で、何度も感じたの。
あの塔が現れるとき、
“あれ”が来るって。
私たちの記憶を、
心を、
全部、飲み込もうとする何かが」
唯斗は、拳を握った。
夢の中で見た“みるい”の言葉が、頭の中で反響する。
――これは夢じゃない。記憶だよ。
「……じゃあ、あれは、俺たちの記憶が呼んだってことか?」
「わからない。
でも、もしかしたら……
私たちが“思い出した”から、
あれが目を覚ましたのかもしれない」
ふたりは、黙った。
塔は、ただそこにあるだけだった。
けれど、その存在感は、空気を圧迫していた。
見ているだけで、胸が苦しくなる。
目を逸らしたくなる。
でも、逸らせない。
そのとき――
「おーい、何してんだよ、こんなとこで」
屋上の扉が開き、夢界が顔を出した。
彼の表情は、いつも通りの軽さを装っていたが、
その目の奥には、明らかな緊張があった。
「……お前ら、あれ見たんだろ」
唯斗と瑠衣は、頷いた。
「夢で見た。
あの塔も、“奴等”も」
夢界は、ふっと息を吐いた。
そして、ポケットから何かを取り出した。
それは、小さなノートだった。
表紙には、彼の字でこう書かれていた。
**『残響記録』**
「……これ、俺が見た“残響”をメモしてたやつ。
最近、やたらと強くなってきててさ。
でも、今日のは……桁が違った」
「見たのか? あの塔の記憶を?」
「いや、塔じゃない。
“あれ”が来る直前、
誰かの記憶が、俺の中に流れ込んできた。
それも、めちゃくちゃ強いやつ」
夢界は、ノートを開いた。
そこには、走り書きのような文字が並んでいた。
『塔の出現は、記憶の重なりによるもの』
『瑠衣の中にある“みるい”の記憶が鍵』
『唯斗の想いが、境界を開いた』
『“奴等”は、忘却の化身――記憶を喰らう存在』
「……これ、全部、俺が見たこと。
でも、意味はまだわかんねぇ。
ただ、ひとつだけ確信してる」
夢界は、ふたりを見た。
その目は、まっすぐだった。
「お前らが、何かを思い出したとき――
世界が、動き出したんだよ」




