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ノヴァムカイワールド  作者: フィのー
二章 ムカイヒュージョン
20/50

6話

放課後、校舎の裏手にある小さな中庭。

誰も通らない、ひっそりとした場所。

風が吹くと、木の葉がさらさらと音を立てる。

その音が、まるで誰かの気配を隠すように、空気を揺らしていた。


夢界は、そこに立っていた。

手には、まだ開いていない缶コーヒー。

足元には、落ち葉がいくつか転がっている。


やがて、足音が近づいてきた。


「……呼び出すなんて、珍しいね」


瑞希が現れた。

制服のリボンが、風に揺れている。

その姿は、どこか“ここにいない誰か”のように見えた。


「悪いな。ちょっと、話したいことがあってさ」


夢界は、缶コーヒーを差し出す。

瑞希は少し驚いたようにそれを受け取った。


「ありがとう。……でも、どうしたの?」


夢界は、少しだけ笑った。

でも、その目は笑っていなかった。


「単刀直入に聞くけどさ――

 お前、本当に“瑞希瑠唯”なのか?」


瑞希の手が、ぴたりと止まった。

缶コーヒーのプルタブにかけた指が、わずかに震える。


「……どういう意味?」


「そのまんまの意味だよ。

 お前、唯斗といるとき、たまに“今”の人間じゃない顔するんだよな。

 目の奥が、遠くを見てる。

 まるで、ここじゃないどこかを思い出してるみたいに」


瑞希は、何も言わなかった。

ただ、風の音だけが、ふたりの間を吹き抜けていく。


「俺さ、そういうの、けっこう敏感なんだよ。

 空気のズレとか、人の目の動きとか。

 だから、気づいちゃうんだよ。

 お前が、何かを隠してるって」


夢界の声は、責めるようなものではなかった。

むしろ、どこか寂しげだった。


「……唯斗のこと、好きなんだろ?」


瑞希は、ゆっくりと頷いた。


「うん。……好きだよ」


「じゃあさ、教えてくれよ。

 お前は、誰なんだ?」


その問いは、まるで風のようだった。

強くはない。けれど、確かに心の奥に届く。


瑞希は、しばらく黙っていた。

そして、ぽつりと呟いた。


「……私は、“瑞希瑠唯”。

 でも、“みるい”の記憶を持ってる。

 それがどうしてなのか、自分でもわからない。

 でも、確かに覚えてるの。

 あの夏のこと、唯斗くんの声、手のぬくもり――全部」


夢界は、目を細めた。

その表情は、どこか遠くを見るようだった。


「……やっぱり、そうか」


「……怒ってる?」


「怒ってないよ。

 ただ、ちょっとだけ、寂しいだけ」


「寂しい?」


「うん。

 俺、唯斗のこと、ずっと見てきたからさ。

 あいつが誰かを“選ぶ”瞬間なんて、初めて見た。

 それが、お前だったってことが――

 なんか、すげぇ納得できて、でも、ちょっと悔しい」


瑞希は、目を伏せた。

風が、ふたりの間をまた通り抜ける。


「……ごめん」


「謝んなよ。

 お前が悪いわけじゃない。

 むしろ、ありがとうって言いたいくらいだよ。

 あいつの目が、ちゃんと前を向いてるの、久しぶりに見たからさ」


夢界は、缶コーヒーを開けた。

プシュッという音が、静かな空気を切り裂いた。


「でもさ――

 もし、あいつがまた迷ったら、

 そのときは、俺がぶん殴ってでも引き戻すから」


「……うん。お願い」


ふたりは、しばらく黙っていた。

でも、その沈黙は、もう重くなかった。


「じゃ、またな。

 ……明日も、ちゃんと隣にいてやれよ」


「うん。絶対に」


夢界は、背を向けて歩き出した。

その背中は、どこか頼もしくて、でも少しだけ寂しげだった。


瑞希は、その背中を見送りながら、

胸の奥で、ひとつの決意を固めていた。


(私は、“今”を生きる。

 “みるい”の記憶があっても、

 唯斗くんと歩くのは、“瑞希瑠唯”として――)


風が、やさしく吹いた。

その風は、まるで誰かの背中をそっと押すように、

瑞希の髪を揺らしていた。



――――――――――――――――――――――――



(……やっぱり、そうだったか)


背を向けて歩きながら、夢界は思っていた。

瑞希の言葉は、まっすぐだった。

嘘はなかった。

でも、それでもなお、胸の奥に残るこのざらつきは、なんなんだろう。


(“みるい”の記憶を持ってる、か……)


言葉にすれば、簡単だ。

でも、それが意味するものは、あまりにも大きい。

彼女は、唯斗の“過去”を知っている。

誰も知らない、あいつの奥底にあるものを、

すでに知っていて、触れていて、

そして、受け入れている。


(……勝てるわけ、ないじゃん)


そう思った。

別に、勝ち負けの話じゃない。

でも、どこかで自分も、

あいつの隣に立てるんじゃないかって――

そんなことを、ほんの少しだけ、思ってた。


(バカだな、俺)


夢界は、笑った。

誰もいない廊下で、ひとり、声もなく笑った。


(でも、あいつが前を向いてるなら、それでいい)


唯斗は、ずっと何かに縛られていた。

言葉にしないまま、誰にも見せないまま、

何かを背負って、黙って立っていた。


それが、瑞希と出会って、

少しずつ変わっていったのを、夢界は見ていた。


(あいつの目が、ちゃんと“今”を見てる。

 それだけで、俺は……)


少しだけ、寂しい。

でも、それは悪い寂しさじゃない。

誰かが誰かを選ぶって、そういうことだ。

自分が選ばれなかったとしても、

その選び方がまっすぐなら、

ちゃんと祝福できる。


(……それに、俺はまだ、何も終わってない)


夢界は、ポケットに手を突っ込んで、

空を見上げた。


空は、もうすっかり夜の色だった。

でも、どこか澄んでいて、

星がひとつ、瞬いていた。


(俺は、俺のやり方で、ちゃんと見てるからな)


唯斗のことも、瑞希のことも、

そして、自分自身のことも。


(もし、あいつがまた迷ったら――

 そのときは、俺が引き戻す。

 それが、俺の役目だ)


夢界は、そう思った。

誰にも言わない。

言うつもりもない。

でも、心の奥で、静かにそう決めていた。


(……さて。明日も、ちゃんと笑ってやるか)


そう呟いて、夢界は歩き出した。

その背中は、誰にも見えない場所で、

ほんの少しだけ、震えていた。

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