第6話 ミズホと図書館の謎
朝。目が覚めても、昨日のことは頭の中に残っていた。
……いや、残っていた、というよりも、染みついていた、って感じ。
図書館で聞こえたあの声。
私だけに語りかけてきた“闇の精霊”と名乗る存在。
名前も、正体も分からない。そもそも、あれが何だったのかすら分からないのに――
なのに、あの声は、心のどこかに深く沈み込んで、忘れられなかった。
「起きたわね、お寝坊さん。早く準備しないと遅刻するわよ」
突然、間近から声をかけられて、現実に引き戻された。
目の前には、高貴な立場なのに、どこか庶民的な、私の友達・エリー。
「ふわぁ……おはよう、エリー。今朝の1時間目って、何だったっけ?」
「ホーリーライトの司祭様の授業よ」
「……げ」
眠気が再び押し寄せた。
「うーん……それなら遅刻しても大丈夫かな」
「だーめ!」
エリーはぴしゃりと否定してくる。
「司祭様の話、つまらないかもしれないけど、出席しないと成績に響くんだから」
「うわ、それ本人の前で言ったら大変なことになるやつじゃん。王女様がそんなこと言っちゃっていいの?」
「バレたら怒られるわよ。でも、ここだけの話ってことで」
彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
エリーはシグマランドの王女様。
そんな立場の人が、こうやって私と気軽に話してくれるの、正直最初は信じられなかった。
でも、彼女は――自由だった。
そして、信じていた。光だろうと闇だろうと、すべての魔法には意味があるって。
この学園では珍しい価値観。
光の教団が支配するこの世界で、「闇は悪」と決めつける声が大きい中で、
エリーはそれを信じなかった。少なくとも、私の前では。
……昨日の「闇の精霊」の声。
もしかしたら、彼女になら――
「ミズホ、早く準備しないと遅刻するよ!」
「あ、うん!いま行く!」
言いかけた言葉を飲み込んで、慌てて制服に着替える。
伝えていいのか、分からない。
たとえエリーでも、「闇の声が聞こえた」なんて話をすれば……
私を見る目は、変わってしまうかもしれない。
でも、昨日の出来事を誰にも話さず抱えるのは――正直、怖い。
「お待たせ、行こう!」
「うん。今日は気合い入れてね」
歩きながら、昨日の続きを思い返す。
あの声は確かに「待つ」と言った。でもそれだけじゃ足りない。
私自身、動かなきゃ何も分からない。
私が出会ったのは、精霊? それとも幻?
闇の存在なんて、光の教団からすれば“異端”どころか“災い”だ。
だけど、あの声には確かな知性と、理屈があった。恐怖ではなかった。
むしろ、落ち着いていた。
「そういえばミズホ、昨日はどうだったの?」
「……あー、あれね。地味にヤバい。多分、あと1週間は本の整理で潰れるわ」
「図書委員って、やっぱり大変なんだね。辞める人が多いって聞いたけど」
「うん。でも、それにしても……ね」
「何か気になることでも?」
私は少し言葉に詰まる。
うまく言葉にできない。でも、昨日の違和感がずっと残ってる。
図書館での異様な静けさ。本棚の間に漂う、言いようのない「空気」。
あの空間には、何かある。
「図書委員の入れ替わりが激しいのって、ただ仕事が大変だからだけじゃない気がして」
「え、どういうこと?」
「まだうまく言えないけど……なんとなく、変なんだよね」
本当はもっと詳しく話したかった。
でも、言葉にしてしまったら、自分でも認めざるを得なくなる気がした。
“闇の精霊”という、存在の輪郭がはっきりしてしまうのが、まだちょっと怖い。
「後で、ちゃんと話すね」
「……うん。待ってるわ」
エリーの声には、余計な詮索も、否定もなかった。
それだけで少し、ほっとする。
今日も図書館に寄って、あの“声”の痕跡を探そう。
自分の目で、耳で、確かめる。
あの出来事が夢じゃないって証明するために――