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「エリアナ嬢、今日は来てくださってありがとうございます」
ジェフリー様が馬車を降りようとしたわたしに手を差し伸べる。わたしはその手に自分の手をのせると、「こちらこそお誘いありがとうございます」と微笑んだ。
今日はジェフリー様と手紙で約束していた観劇の日であり、馬車で宿舎まで迎えにきてくださったので、連れ立って劇場を訪れていた。
ジェフリー様が予約してくださっていたボックス席に座り開演を待つ間、わたしは入り口でもらったパンフレットを食い入るように見つめる。今日の演目は悲劇のようだ。数百年前に実在したお姫様と彼女の護衛騎士との身分違いの恋をもとにした恋愛物語だという。
「ふふっ……エリアナ嬢は観劇に来るのは初めてでしょうか?」
「はい」
顔に出てしまったかしら、と少し恥ずかしくなる。
ジェフリー様の言う通り観劇に来るのは初めてだった。伯爵家にいた頃は義姉が観劇に行くたびにわざわざわたしの部屋に来て自慢をしてきたので、心の中で密かに憧れていたのだ。
こうして念願叶って見にくることができ、劇場に入ったときからソワソワとする気持ちを抑えようとなんとか平静を装っていたけれど、やはり態度に出てしまっていたらしい。
「今日の演目は、ご令嬢たちの間で今とても人気のあるものみたいですよ」
「そうなんですね。楽しみです」
そうして始まった舞台にわたしは引き込まれ、そして最後には――号泣していた。
「少し落ち着きましたか?」
わたしはハンカチで目頭を押さえながらその言葉に頷いた。
ジェフリー様は観劇の後、涙が止まらず真っ赤に泣き腫らした目になってしまったわたしを気遣い、近くのカフェに案内してくれたのだ。
「申し訳ございません。少し感動してしまって」
「大丈夫ですよ。とてもいいお話でしたから」
「はい。特にクライマックスの、お姫様を守るために護衛騎士が犠牲になったシーンがとても切なくて……」
「あそこは演技も演出も素晴らしかったですよね。私も思わずグッときました」
「でも二人はもう結ばれることはないなんて、とても悲しい終わり方ですよね」
創作の部分はあれど、あの二人はかつて実在した二人をもとにした物語なのだ。
もしあの立場だったらとても耐えられないと思うと、また目が潤みそうになる。
わたしは生まれてから今まで、誰かのことを好きになったことはない。だけど、あんなに悲しい思いをするのが恋だというなら、それはとても恐ろしいものなのではないかと思ってしまった。
「私は悲しい物語だとは思いませんでした」
「え?」
「少なくとも愛する人を守りきって亡くなった護衛騎士にとっては幸せな人生だったでしょう」
「結ばれることがなくても、ですか……?」
「ええ。もしかしたら、私が騎士だからなおさらそう思うのかもしれません」
そう言って微笑むジェフリー様はなんだかとても大人びた顔をしていた。
「それにしても、エリアナ嬢は美しいだけでなく、とても可愛らしい方のようですね」
急にそんなことを言ってくるジェフリー様に、思わず「揶揄わないでください」と小さく声を上げる。
しかし、目の前のジェフリー様はすぐさま頭を振った。
「揶揄っているわけではありません」
そして予想外に真面目な顔をわたしに向けると、少しだけ緊張したような様子で問いかけてくる。
「……この間の夜会では団長とかなり親密なご様子でしたが、どのようなご関係なのでしょうか?」
「彼は……友人です」
「そうですか」
彼はしばらくその言葉の真意を確かめるようにわたしのことをじっと見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「それでしたら、私から正式にエリアナ嬢に婚約の申込みをしてもよろしいでしょうか?」