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「団長っ!?」
わたしよりも先に反応したのはジェフリー様だった。レイノルドはそんな彼のことを無言でひと睨みすると、わたしを腕に抱え上げる。
一瞬で広がった大きなざわめきを背後に、無力なわたしはレイノルドに抱き上げられたまま会場をあとにしたのだった。
「レイノルド、どうしてここに?」
レイノルドはわたしの問いかけには答えずにずんずんと進んで行く。そしてひとけの全くない薄暗い廊下に到着すると、ようやくわたしを下ろした。
「いったいどうしたの?」
地面に足がついたと思った瞬間、腕を掴まれて体を壁に押し付けられ、思わず顔をしかめる。
「お前さ、本気で結婚するつもり?」
ずっと黙り込んでいたレイノルドがやっと口を開いた。
薄暗い廊下の所々に灯されたランプの柔らかな光が、レイノルドの輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。
腕を痛いくらいに掴まれているのはわたしなのに、なぜか目の前の男のほうが苦しげな顔をしていた。
「そうだけど」
「あいつとか? あの男、確か伯爵家の次男だったな」
「いや、そういうのじゃないわ。どうしてそんなに怒っているの?」
「……怒ってる? 俺が?」
「自覚ないの? その顔、どう見たって怒ってるじゃない。ていうか腕、痛いからそろそろ離して。結婚の話もあなたには関係ないでしょ」
「ないよ」
いつも飄々と笑っているレイノルド。その彼が今は、大切な玩具を奪われた子どものような、余裕のない顔をしていた。
揺らめいたランプの光が彼の顔に翳りをつくる。眩しくなったわたしが一度目を瞬かせると、その僅かな間に彼の顔が互いの息遣いが聞こえそうなほど近づいた。
「関係なんて、ない。……でも、お前が誰かのものになるって考えたら、すげー嫌な気持ちになるんだよ」
そう言ってレイノルドは、ポスッと音を立ててわたしの肩に頭を預けた。
さらに、肩口にぐりぐりと頭をこすりつけてくる。
なんだか甘えている犬みたいな仕草だ。
「友人を奪われるみたいに思ってるの?」
「…………」
「別に今すぐ結婚するってわけじゃないわ。そもそもまだ相手もいないもの。それに、結婚しても別にわたしたちの関係は変わらないわよ」
「……そうだな」
横でフッと笑った気配がした。
そしてレイノルドは頭を上げ、わたしをまっすぐに見つめる。
「今度、騎士団合同の御前試合があるんだ。俺も出るから、見に来てくれないか?」
「御前試合? 確か休みだったはずだから、別にいいけれど……」
「そうか」
レイノルドはわたしの返事に嬉しそうに笑うと、「そろそろ遅いからもう帰ったほうがいい」と馬車まで送ってくれた。
レイノルドに見送られながら、馬車に乗り込もうと踏み台に足をかけた瞬間。
「あ……ハンスのこと忘れていたわ」
そこでやっと一緒に来ていた従姉弟の存在を思い出した。その呟きはレイノルドにも聞こえていたらしい。
「俺から言っておくよ」
「でも……」
レイノルドと関わりがあることがばれてしまう。
そう思ったけれど、よく考えたらあれだけの人の前で抱き上げられたのだ。もうすでに噂は回っているだろうし手遅れかもしれない、と遠い目になりながらレイノルドの言葉に頷いた。
「それじゃあ気をつけて。……あと、今日のドレス、とても似合ってる。綺麗だ」
馬車の扉を閉める直前、ふいに聞こえてきたレイノルドの真剣な声音に心臓が大きくびくつく。
静かに走り出した馬車の中。自らの顔を手で覆った私の頬は、赤く染まっていた。
次の日。わたしのもとには二通の手紙が届いていた。
一通目は従姉弟のハンスから。そしてもう一通は、昨日ハンスに紹介してもらったジェフリー様からだった。
まず初めにハンスの手紙を開ける。するとそこには、
『エリアナ姉様が、かの有名なレイノルド・ユスターシュ騎士団長と知り合いだなんて知らなかったよ。紹介なんて余計なことしちゃったかな、ごめんね』
「…………」
無言のままジェフリー様の手紙も手に取り、封を開ける。
『エリアナ嬢。昨日は夢のような時間をありがとうございました。よろしければ今度、一緒に観劇に行きませんか?』
レイノルドに無理やり連れて行かれたとはいえ、昨日の夜会では、ダンスのお誘いを受けている途中で退出してしまったことがずっと気になっていた。
しかし、ジェフリー様の手紙はあくまで紳士的で、こちらを気遣うような文言が並んでいる。
わたしはその心の広さに感動しながら、快諾の返事をしたためるべくペンを手に取ったのだった。