3
その日、わたしは叔母であるルルド侯爵夫人から呼び出されていた。
「それで、エリアナにいい縁談があるの」
「またですか、叔母様。わたしはしばらく結婚するつもりはないと言ったはずですが」
叔母様は父の姉にあたる人物で、かつては王宮で淑女教育の教師をされていたこともある才媛なお方だ。
そのツテを使い、シャペロンとして何度か貴族令嬢と令息との男女の仲をとりもつこともあったと言うが、姪であるわたしにも隙あらばお見合いの話をもってくるので、毎回困り果ててしまうのだった。
「もう、そう言って伯爵家を飛び出して二年になるじゃない。事務官なんて仕事いつまでやってるのよ。あなたは仮にもヴァレンウッド伯爵家の次女でしょ。家のためにも結婚して子を産み家庭を守る、これが女の幸せであり義務なんだから」
「そういう古臭い考えはやめたほうがいいと思います。今は女性でも働く時代ですもの」
「私はあなたのためを思って言っているのよ。それに、エルドもあなたのこと気にしていたわ」
「父はわたしのことを道具としてしか見ていませんよ。あの人にとって大事なのは跡取りのルークと愛する妻に似た娘であるルーナだけです」
「エリアナ……やっぱりそれが家出の原因なの?」
わたしは叔母様のその質問には答えず、目を伏せて静かに紅茶を一口飲む。
束の間静まり返ったその場の空気をとりなすように叔母様は「とにかく!」と声を張り上げると、向かいに座っていたわたしの手を取った。
「次の休みは絶対空けておきなさいね。先方にはわたしから連絡しておくから」
その有無を言わさぬ口調に、わたしはこのお見合いの話が断れないことを悟ったのだった。
そして気もそぞろに仕事をこなしているとあっという間に日々は過ぎていき、とうとう約束のお見合いの日がやってきた。
わたしは当日の朝までなんとか断る方法はないだろうかと思案していたけれど、それを見越したかのように朝早くから叔母様が宿舎の前まで馬車を寄越してきた。
わたしはその馬車でまずルルド侯爵邸へと連れて行かれると、屋敷の侍女たちに手伝われながらなんとか貴族令嬢として見れる程度にまで身なりを整えられる。
すでにこの時点でかなりゲンナリとしていたわたしは、いつもより重い服と心を引きずるようにしてお見合い相手の元へと向かったのだった。
「ふむ。君がヴァレンウッド伯爵令嬢か」
目の前の眼鏡をかけた神経質そうな男は、わたしを値踏みするように頭のてっぺんから足のつま先までじろじろと見つめてくる。
無遠慮なその視線になんとか耐えながら、わたしはオブリー子爵と名乗った目の前の男を見つめる。彼自身も文官で王宮で働いているらしいということだったので、話が合うかもしれないと少し期待していたのだけれど、見るからにわたしとは合わない感じがする。
「従順そうなのは悪くないな」
「ん?」
聞き間違いかな?
そう思い、わたしは首を傾げた。
男は眼鏡の位置を直しながら再び口を開く。
「私は妻には貞淑さを求めている。妻は夫に常に従い、一歩引いて男を立てる。そういうものだと思っている」
その言葉にわたしは自分の顔が盛大に引き攣るのを感じる。なかなか古風な価値観をお持ちの方のようだ。
そんな貞淑さをもつ女性なんて、今時高位貴族の深窓のご令嬢くらいしかいないだろうに。
「ヴァレンウッド伯爵令嬢は確か、王宮で文官として働いているということだったが、結婚したらもちろん仕事も辞めてもらいたい。どうせ女なのだから、たいした仕事はしていないのだろう?」
「あの、せっかくですが、今回のお話はお断りさせてください」
「は? お、おい!」
オブリー子爵の言葉に頭の中でプチン、と何かが切れる音がして、気づいたらお断りのセリフを述べていた。
本来は仲介人である叔母様を通して伝えるのが筋だったのかもしれないけれど、この場にもう少しもいたくなかったわたしは立ち上がり、許可を得ることなくそのまま退出したのだった。
◇ ◇ ◇
わたしはグラスに並々注がれた度数の強いお酒をゴクゴクと喉を鳴らし、一気に飲み干す。
「もう一杯お願いします」
「かしこまりました」
バーに来て早々、勢いよくおかわりを要求するわたしをレイノルドが胡乱な目つきで見つめてくる。
「そんなに飲んで平気なのかよ?」
「今日は飲みたい気分なの!」
あの時代錯誤な男尊女卑思想に染まったナントカ子爵のせいでね、と心の中で付け加える。
お見合いをその場で断り退出してきたわたしは、むしゃくしゃする気持ちを持て余し、いつものバーに来ていた。
二杯目、三杯目も続けて飲み干し頬が火照ってきたのを感じながらわたしはカウンターに突っ伏す。
「やっぱり結婚ってしなきゃいけないのかしら」
「……結婚?」
「ええ。今日お見合いに行ってきたんだけど、そのお見合い相手から女は男を立てるものだとか、どうせ女だからたいした仕事はしていないんだろうとか散々言われてちゃって……」
「結婚なんてまだ必要ないだろ」
レイノルドの呟きにわたしは顔を上げて笑う。
「そう言えたらいいんだけどね」
わたしもできるのなら今みたいな生活をもっと続けたい。
でも、仮にも伯爵家に生まれた者として、一生結婚しないなんてできないこともわかっているのだ。
「それでその男との縁談は断ったのか?」
「ええ、当たり前じゃない。その場でお断りして退出したわ」
「そうか」
なぜか少しだけ安心したようにグラスを傾けたレイノルドを不思議に思いながらも、そういえば、とわたしは彼に視線を向けた。
「レイノルド、あなたは結婚しないの?」
「俺はまあそのうち、な」
「仮にも公爵家の長男なのに……それで大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。うちは優秀な弟がいるし、俺も公爵家継ぐつもりはなかったし」
「なかった、って過去形なのね」
「…………」
なぜか急に押し黙ってしまったレイノルドに首を傾げながら四杯目を飲み終えたわたしは忘れていた。
――お酒はストレスが溜まっているときこそ酔いやすいということを。
そしてその日、わたしは見事に潰れたのだった。
「お前、マジで勘弁しろよ。俺が人を背負うなんて、部下が戦いで負傷して救護室に運んだとき以来なのに」
わたしはその怠そうな声を、ぐわんぐわんと回る頭でどこか遠いことのように聞いていた。
密着している部分が暖かい。冷たい夜風のおかげで、身体に灯っていた熱が幾分か冷めてきたような気がする。
頬を撫でる風に身を任せて目を閉じようとしたとき、やけに真剣なレイノルドの声が耳に飛び込んできた。
「エリアナ、そんなに結婚したいのか?」
「うーん、まあ……」
したいっていうより、しなきゃなのよね。
「……なら、俺と結婚すればいい」
「あなただけはお断りよ」
「なぜ?」
「なぜって……決まってるじゃない。クズだからよ」
「じゃあどんな人ならいいんだ」
「優しくて一途な人、かな……」
わたしはそれだけ言うと、なんとか保っていた意識を手放し、夢の世界へと旅立ったのだった。