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「はあー、やっと終わったわ」



 室長に頼まれていた仕事をなんとか終わらせ誰もいなくなった経理部の執務室を出たときには、すでに日が落ちていた。


 わたしは少し逡巡したのち、宿舎ではなく街のほうへと足を向ける。


 王宮の周りは、貴族たちが住む落ち着いた雰囲気の貴族街と、主に平民たちが住む賑やかな下町に分けられる。わたしは夜でも賑やかな下町の繁華街を通り抜けながら慣れた道を歩く。


 下町の中でも珍しく静かな通りに位置する店の門をくぐると、馴染み深い雰囲気に出迎えられわたしはやっと肩の力を抜くことができた。



「おつかれ。今日は遅かったな」



 すでにカウンターに座ってお酒を飲んでいた男がわたしに気がつき声をかけてくる。


 わたしはその隣に腰を下ろすと、店主にお酒を注文してから大きくため息を吐いた。



「ガーデンパーティーの予算案を組み直すことになったんだけれど、その資料を今日中にまとめてほしいって室長に言われて断れなくて」

「仕事ができるやつは大変だな」

「あなたは仮にも騎士団長でしょ。もっと仕事したほうがいいと思うわ。今日騎士団に書類渡しに行ったら、騎士団長がいなくなったって部下の人が困ってたもの」



 そう、目の前にいるこの男は、まごうことなき騎士団のトップ、騎士団長だった。今日騎士団の補佐官が探していたのもこの男だったわけなのだが、本人は部下の苦労などどこ吹く風で涼しい顔をしている。



「俺は忙しいんだ」

「よく言うわよ。王宮の中庭で綺麗な女性と逢引きしてたでしょ」



 騎士団からの帰りに見かけた、ガゼボで嘯き合う男女。青みがかかった艶やかな黒髪をした男の後ろ姿に、わたしは嫌というほど見覚えがあった。



「見られてたか」



 たいして気にしたふうもなく男が言う。



「どうせあれも恋人ってわけじゃないんでしょ? ほんと女好きなのね」

「俺が女に寄っていってるんじゃなくてさ、女から俺によって来るの」

「よく言うわ」

 


 わたしは呆れながらそう言ったが、腹立たしいことにこの男の言うことは真実だった。


 この男の名前はレイノルド・ユスターシュ。ユスターシュ公爵家の長男で、二十五歳という若さで騎士団長を任されている。


 地位もお金もそろっているうえに、顔もいい。青みがかかったサラサラの黒い髪と美しくきらめくアイスブルーの瞳をもつ彼に微笑まれて落ちない女性はいないと言っていたのは、同僚の女性事務官だっただろうか。


 見目の良い男性ばかりだとされる騎士団の中でも最も美しい顔だと評されるその男は、私の頬からあごにそっと手を滑らせると、わたしの顔を無理やり自分のほうへと向かせ、妙に色気のある顔で笑った。



「何言ってるんだよ。お前もこの顔好きだろ。初めてこの店であったとき俺の顔に見惚れてたのばれてんぞ」

「確かにあなたの顔がいいのは認めてあげるわ。でも、それを上回るクズさに日々驚かされるわよ」



 そう言ってあごにかかっていた手を容赦なく振り払う。



「俺のどこがクズだっていうんだよ」

「全部に決まってるでしょ。女好きだし、仕事サボるし、外面はいいけれど口悪いし、賭博場に出入りしてるし」

「おい、賭博場のは任務の一環だって言っただろ」

「どうだか。その後も騎士服脱いで賭博場に出入りしてたの見たって人がいたらしいわよ」

「お前のその情報網、いったいどこからくるんだよ……」

「女には色々とツテがあるの」

「おーこわいこわい。まあでも、今更生き方も変えられないしな」

「まあ、そうね。ほんと呆れるくらいのクズだけど、あなたとここで呑む時間は悪くないわ」



 わたしはそう言って手に持ったグラスをレイノルドが持っているグラスにカツンとぶつけた。


 口数の少ない店主とその奥さんによって細々と経営されているこのバーは、落ち着いた雰囲気でお客さんもそれほど多くないところが気に入っている。


 仕事でいつも気を張り続けている中、唯一自分の立場や現実を忘れて気を抜けるのがこの場所だった。 


 身分があり高給取りだろうレイノルドがなぜこんな高級店ではない、普通のバーにいるのかは聞いたことがないが、やはり彼も自らの立場などに思うところがあるのかもしれない。


 そもそも、しがない伯爵家のわたしと由緒正しい公爵家の長男であるレイノルドがこうやって気安く話すのなど、王宮では考えられないことだろう。


 レイノルドと偶然このバーで出会ったのは1年ほど前になる。

 互いにあけすけにものを言う性格なので出会ってすぐに意気投合し、今も週一のペースでこのバーに集まっている。

 当初、彼の正体に気づかなかったわたしはズケズケと遠慮なく今のような口調で話しかけてしまったのだけれど、彼がそれを咎めることはなかった。


 仲良くなってしばらく経った頃、彼が王国でも一、二を争うほどの有名人だと知ったときにはさすがに度肝を抜かれたが、今さら態度を変えることも難しく、また彼からも「もう取り繕っても無駄だろ」というお言葉をいただいたので、ありがたくそのままの態度を貫かせてもらっている。


「そろそろ行くか」


 今日も仕事の愚痴を聞いてもらったり、たわいない話をしてほろ酔いになった頃、レイノルドがそう言ってグラスに入ったお酒を呑み干した。


「ほら、早く準備しろ」


 そう言って私のことも急かすと、横に並んで王宮の端に位置する宿舎へと足を向ける。レイノルドの住まいは貴族街にあるユスターシュ公爵家の屋敷なのだけれど、いつものようにわたしを宿舎まで送ってくれるらしい。


「別に送ってくれなくていいのに」

「お前になんかあったら俺の夢見が悪くなるんだよ」


 口を尖らせたわたしにさらりとそう言うと、機嫌よさそうに軽い足取りで歩みを進めたので、わたしもおとなしくその横に肩を並べたのだった。



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