第八話『推理と猫』
放課後、喫茶店、扉をくぐればそこは、探偵倶楽部への入口だ。
いつも通り、今日も依頼もなく平和そのものだ。スバルはアイスコーヒーを飲み、窓の外の夕日を眺めていた。
「スバルさんは本当にコーヒーがお好きなのですね」
「ああ、甘いのはあまり得意じゃないんだ」
ユミは何かとスバルに話しかける。スバルの好みを聞き、よく祖父にコーヒーの淹れ方を教わっているようだ。
「私も少しだけ、コーヒーを淹れることができるようになったんです」
「そうか、ユミは将来ここで働きたいのか?」
少し不機嫌そうな顔を見せたかと思えば、またいつもの無表情に戻る。スバルのよみは見当違いだったのか。
「それも、良いかもしれませんね」
「じいちゃんも喜ぶよ、俺の友達が働くってなったら長生きできるかもな」
ユミはふふっと笑い、ミルクティーをゆっくり飲んでいた。
「スバル!」
「なんだ、そんな大きな声を出さなくても聞こえてるよ、アスカ」
その時、アスカが開けたドアの隙間から、何か黒い影が入り込んだように見えた。
「また動物の写真を撮ったから見てよ」
「またか、もう何日も連続で見てるじゃないか。アスカはよっぽど暇なんだな」
アスカはむっと顔をしかめ、頬を膨らませる。そしてトートバッグにしまっていた写真の束を机に広げ始めた。
「いいから見てよ。今日は狸を中心に撮ったんだけど」
「俺は狸より猫のほうが……って、こいつはなんだ」
気が付けばスバルの足元にふわふわの毛玉がくっついている。それはもぞもぞと動き出し、大口をあけてあくびをしていた。
「猫ちゃんだ! スバルが好きっていうからやってきたんじゃない?」
「バカ言うなよ、アスカが入る時に間違って一緒に入り込んだんだろう」
猫には首輪が付いており、よく見ると『ミケ』という名前が書いていた。よく見る三毛猫に、安直な名前を付けるものだ。
「ごめん、遅くなっ……って、なんだ?」
「ああ、逃げて行った。カイ、驚かせてすまない」
遅れてきたカイがドアを開けた瞬間に、ミケは出て行ってしまった。
「ちょっと、ミケちゃんが事故にでもあったら危ないよ。追いかけよう!」
「はあ? 俺にそんな暇は……」
いや、暇ではある。ただ、見知らぬ猫を追いかける趣味はない。
「いいから追いかけるよ! ほら、みんな準備!」
「仕方ない、依頼もないからアスカからの依頼として受け取ろう」
スバルたち四人は支度してすぐにミケを追いかけた。幸いまだ見えるところで毛づくろいをしている。そんなに気になるなら店で保護してもいいと思っている。
「ミケちゃーん、こっちおいでー」
「呼んでどうするんだ。他人の家の猫だろ、店では飼えないからな」
ミケはアスカが呼んだ瞬間に道路を渡って、とことこと公園のほうへ走っていった。
「もう、スバルが意地悪なこと言うからどっか行っちゃったじゃん」
「関係ないだろ、アスカが声を掛けるからだ」
スバルたちはミケを追いかけて公園にたどり着いた。
「ミケさん、いないですね」
「ユミは猫にすら敬語なんだな」
猫に『さん』付けとは違和感だらけだ。スバルは丁寧すぎるのもどうかと思った。
「ミケちゃんどこー?」
「あそこ、尻尾が出てる。多分あれだろ」
茂みから出た細長いものがゆらゆらと揺れている。スバルたちを誘い込んでいるようだ。
「あ、逃げたぞ」
「カイ、足が速いお前なら捕まえられるんじゃないのか」
ばっと茂みから飛び出したミケは公園を抜け出し、住宅街へと走っていった。
「いや、言い忘れてけど、僕は猫が苦手なんだ。幼稚園の時に顔をひっかかれてさ」
「そうか、それは悪かった」
カイの意外な情報が知れたところで、スバルたちは住宅街へと足を踏み入れた。
「もう見つからないよお」
「ここまで来たら家に帰ったんじゃないのか?」
さすがに飼い主の家には帰れるだろう。スバルたちが追いかけるまでもなかったかもしれない。
「あれ、ミケさんじゃないですか?」
「なるほど、だから俺たちを呼んだのか」
用水路の架け橋が壊れている。昨日は大雨ですれすれまで水が溜まっていて、ジャンプを躊躇しているようだ。
「よーし、木の板を持ってこようよ」
「そうなればホームセンターだな」
スバルとユミがホームセンターへ、カイとアスカはミケの監視係としてその場に残った。
「丈夫そうなものが良いですね」
「それでいて軽いものにしないと、俺たちが運べないからな」
丁度いいサイズの木の板を購入して住宅街へと戻る。
「遅ーい! ミケも座り込んじゃったよ」
「あのなあ、文句も大概にしろよな」
用水路に木の板を架ける。ミケはすぐにそれを渡り、細い路地裏を走っていく。
「渡った! 追いかけるよ!」
「まだ行くのかよ……」
アスカに言われるがまま、スバルたちは細い路地裏を慎重に進む。
「うわ、蜘蛛の巣……」
「大丈夫か、カイ」
必死に蜘蛛の巣を振り払おうとするカイ。どうやら虫も苦手のようだ。
「もう僕帰りたいんだけど……」
「一応依頼だ、最後まで付き合ってくれ」
嫌がるカイを何とか引き連れ、長く続く路地裏を進んでいく。
「ミケちゃんが路地裏を出たみたい。どこに行くんだろう」
「目的は橋を直させるだけじゃないみたいだな」
少し埃をかぶりながらも路地裏を抜け、ミケを必死に追いかける。
「一軒家に入り込んだみたいですね」
「ここが飼い主の家かもな」
塀を上り家に入り込んだミケ。スバルたちは表に回り込み、インターフォンを鳴らした。
「留守なのかな」
「一応、裏に行ってみるか」
念のため裏庭に回り込んで覗いてみると、縁側で倒れているおばあさんがいた。
「スバルさん、これは……」
「ああ、ユミ、救急車と警察を呼んでくれ」
おばあさんのそばにはミケが寄り添い、か細い鳴き声を発している。
「ミケちゃんはこれを伝えたかったのかな」
「今回はアスカのおかげだな」
数十分後に救急車と警察が到着、スバルとユミは警察の事情聴取を受け、カイとアスカは救急車に付き添いで乗っていった。
「スバルくん、また会ったっすね」
「ミヤモトさん、お疲れ様です。親父は?」
今日はミヤモト刑事だけで、父親の姿が見当たらない。
「マチダさんは別件で忙しいっすから、僕だけが来たってわけっす」
「そっか、相変わらずで何よりだよ」
おばあさんは一命をとりとめたらしい。スバルとユミも病院へ向かわなければと準備をする。何というか、賢い猫もいるもんだ。