08. 始末
◆ 11 ◇
筆頭剣士は片膝をつく。脇腹の傷を確かめる。深い。壁の明かりを取り、傷口に押し当てた。肉の焼ける臭いが漂う。出血は止まる。筆頭剣士は服を裂き、傷口を縛った。
五層目に続く階段へと向かう。四層目を後にする前、ベナードとウィフリの冥福を祈った。
暗い。五層目は完全な闇に包まれている。如何な筆頭剣士でも完全な闇を見通すことは不可能。できるのは気配を頼りに探ること。
筆頭剣士が周囲の気配を探ろうとした時、その声が聞こえた。
「ち、父上」
心臓が跳ねる。筆頭剣士は声を頼りに駆け出そうとした。しかし、その足は止まる。一つの声が止めた。
「くははぁっ、父上とはぁ笑えるなぁ」
その声の人物の位置はわからない。短いその言葉を発する間にも聞こえてくる場所が動いているために。そして、気配がないために。
いや、違う。薄く漠然とした妖しい気配が階全体を覆って渦巻き、口を挟んできた人物の気配を隠しているのだ。
「坊主、知らぬのかぁ。こいつはお前の父親ではぁないのだぞ。お前の父親はぁとうの昔に殺されておる。無惨に、虚しく、苦しめられながらなぁ。
こいつはなぁ、お前の父親を守ると約束しながら、役目を果たさず逃げ出したのよ。お前を育てたのは贖罪、いや違うなぁ。言い訳? 誤魔化し?
ああ、そうだ。欺瞞だぁ。自己欺瞞で父親だと偽り、お前をぉ育てたのよぉ」
「嘘だ。そんなの嘘でしょ、ねえ、父上」
人を惑わす言葉の使い手。おそらくはこいつが革命の主導者、『議長』。
その妖しの言葉を用い、ハイレの心を乱し、惑わそうとしている。狙いはハイレを堕とし手駒とすることか、ハイレの心を壊すことで筆頭剣士から戦う理由を奪うことか。
「いーやぁ、偽りなものかぁ。こいつは屑だ。屑、屑、屑。本物の屑だ。こんな屑を父と呼ぶとはなぁ。お前の本当の父親はあの世で嘆いているぞぉ」
「ち、父上ぇ」
筆頭剣士はそれまでの声の移動の癖から、議長の移動先を予測。神速の移動で、剣を振る。しかし、空振り。そこには誰もいなかった。
「くははぁっ、なんともぉ情けない。嘆くお前を捨てぇ置いて、なにやらぁ踊っておるわ。
なにをしておるのかぁのう。筆頭剣士の実力なら、儂をぉ斬るなど造作もないのにぃのう。本気にぃなっておらんとぉいうことか。
ああ、そうか。自分の子ではないものなぁ。それは必死になる理由はぁないなあ。ああ、当然だ。そうか、そうかぁ。確かにのうぅ。
うむうむ、もっともぉだ。ああ、なんと酷い奴なのかのう。お前はいらぬ子らしいのう」
筆頭剣士は勘を頼りに剣を振ろうとした。だが、その時。剣を振ろうとした先に、ただ一つだけ把握できていたハイレの気配が移動した。
慌て、剣を急停止させる。無理な動きのせいで、止血していた脇腹の傷口が再び開く。もはや闇雲には剣を振れない。
「おやおや、静かになってぇしまったのう。はて、どうしたのかぁ。
ああそうか、諦めたのか。それはそうだのう、他人の子のために戦うなど馬鹿らしいものなぁ。やってられないよなぁ。偽りの父子なんだからぁ、当然だよなぁ、そうだよなぁ。
お前はぁ見捨てられたそうだぞぉう。きっとずっと重荷だったのぉだろうのう。
くははっ、ずっと父だと偽られ、大切な子供だと騙されて、いよいよとなれば捨てられるとはなぁ。ああ、なんと哀れなのかのう」
筆頭剣士は心を集中させている。議長の位置を把握することに。
だが、声の位置は常に移動し定まらない。脇腹の傷も精神の集中を掻き乱す。どうしても、議長の位置を掴むことができない。
「父上、嘘だよね。ねえ、僕、僕、僕、父上の子供だよね」
ハイレの動揺はその声の乱れを聞くだけでわかる。心細く、不安に襲われている。
「…………」
筆頭剣士から弁明の言葉は出ない。
「ほぉうーらぁ、見てみろ。なにも言えぬではぁないか。これこそが答えよ。お前が信じたものは偽り、欺き、紛い事だったのだぁ。可哀想になぁ。ずっと騙され続けてきたとはなぁ。ああ、なんと哀れなのだろうのう」
「父上ぇ……」
心折れ、絶望に包まれたハイレの声が闇に聞こえた時。
筆頭剣士は一切の迷いなく、一条の光も差さぬ闇の中へと跳び出した。
振る、剣を。斬った。闇の中、ただ一つだけ位置を把握できていた存在、ハイレの気配を。
「ば、馬鹿な……」
ハイレがいる筈の場所から聞こえてきたのは老齢の男の声。
「なぜだ。なぜわかった」
「愚か者め。我らが心に迷いなし。どのような血筋であったとしても、私とハイレは父子なのだ。共に過ごした刻は、積み重ねた時間は、其方ごときの言葉で惑わされはしない」
「く、そ、が……」
人が倒れる音がした。筆頭剣士は闇に横たわる人物に止めを刺し、四層目から明かりを取ってきた。床に倒れているのはやはり老齢の人物だった。
奥の壁際に身動きできぬよう縛られ、猿轡を嵌められたハイレの姿があった。筆頭剣士は縄を斬り、ハイレに語りかけようとする。が、先にハイレが口を開いた。
「父上」
その一言で充分だった。ハイレは泣きながら筆頭剣士に抱きつき、筆頭剣士はハイレを固く抱きしめた。