迅雷 6
木曾義仲追討のため越後で城助茂が挙兵したという情報が重光の耳に入ったのは、治承五年(1181)六月に入ったばかりの頃であった。
六月一日、越後、出羽、会津、それに亡命していた笠原、布施、富部の信濃の軍を率いて、城助茂は信濃へ出陣。その兵数、総勢四万とも六万ともいわれる。
次々と北信濃を占領していった平氏軍は、六月十三日、善光寺に着陣した。
「明日が木曾義仲との決戦の日とあいなった。我々富部勢は大塔の要塞に陣取っておる。いまだどちらにつくか決めかねているという井上光盛を味方に引き入れよ。井上調略に成功した暁には、お前の罪を免じ、再び己のもとに仕えることを許す」
富部家俊からの使者が重光のもとに現れたのは、その日の昼過ぎのことであった。
(主人の方から使者を送って寄こすとは、願ってもない)
重光は、しめた、という思いが表情に出ぬよう気を付けながら、富部の使者にこう告げた。
「井上軍の調略はすでに終えておる。しかし、城軍の味方として参陣するにあたり、平氏としての証がなくては味方に混乱を招きかねない。そこで赤旗を今すぐ用意してほしい」
井上光盛は城軍の信濃侵攻の直後、本拠である高井郡を出陣し、杵淵郷のすぐ東に聳える妻女山に布陣していた。
すでに井上光盛とやり取りをしていた重光は、井上軍が源氏につくことを知っていた。重光は井上光盛を通じて、木曾義仲に味方となることを願い出ていたのである。
再び富部の使者が赤旗を抱えて杵淵の屋敷に戻ってきたのは、西日が木々の影を長く伸ばし切った時刻であった。
重光はそれを受け取ると、すぐに井上軍のいる妻女山へもっていくよう己の雑色人に命じた。
次の日の早朝、平氏軍は善光寺を出ると赤旗をなびかせながら杵淵郷の目の前に広がる平野を横断し、横山城に本陣を移した。
埴科郡にある依田城を本拠としていた木曾義仲は、白鳥河原で源氏軍三千余騎を集結させた後、千曲川に沿って軍を進め、横田城の川を挟んで正面の雨宮の渡しに陣を敷いた。
そして、戦が始まった。
遠くの喧噪を聞いていた重光のもとへ現れたのは、己の雑色人ではなく、井上光盛の使者であった。
「井上殿からの伝言にございます。赤旗七流、しかと受け取り申した。それと」
井上の使者は重光の前に片膝をつきながら伝えると、己の雑色人の行方を尋ねようと口を開きかけた重光に対し、こう続けた。
「それと、頼まれておりました栗田範覚の娘の情報にございますが……」
それを聞いた重光は、困惑した。
「そのようなこと、頼んだ覚えはないが」
重光は男の口から葵のことが発せられたことに、驚きを隠せなかった。
「いえ、たしかに杵淵殿の使者に頼まれてございます」
重光は呆然と男の顔を見つめることしかできなかった。
すると井上の使者は次の瞬間、明らかに重光を嘲笑したような表情を浮かべた。
「栗田範覚の娘、葵殿は木曾殿の側女になられたそうにございます」
何が可笑しいのか、男は重光の顔を覗き見ながら片方の口角を吊り上げた。重光をせせら笑っていた。
重光は頭の頂点に体中の血が上昇していくのを感じた。
次の瞬間、目の前が真っ白になった。
暫くして意識を取り戻した重光の視界に入ってきたのは、胸から血を流して倒れている井上の使者と、己の握る濡れた太刀であった。
昨年の落雷の閃光に映し出された木曾義仲の騎馬姿と薙刀を華麗に振る葵の姿が交互に重光の脳裏をかすめていった。
重光にとっては、源氏か平氏かなどどちらでも構わなかった。ただあの美しい娘を我が物にしたい。それだけであった。それだけであったにも関わらず、それすらも奪われてしまったのである。
(木曾義仲を、討つ)
重光は勢いよく屋敷から飛び出ると、繋がれていた馬に跨り、横田河原の戦場へと駆け出していった。