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迅雷  作者: 三峰三郎
3/8

迅雷 3

 この頃、京の都では「平氏にあらずんば人にあらず」と言わしめるほど、平家が栄華を誇っていた。

 

 善光寺が炎上したのと同じ年である治承三年(1179)には、平清盛が後白河法皇を幽閉し、法皇の近臣の職を次々と解任するという事件が起きている。治承三年の政変である。

 平清盛は後白河法皇さえも阻害し、自らの孫を天皇に即位させようと目論むほどにまで独裁を極めていた。

 実際、この翌年に安徳天皇が即位している。

 

 こうした情勢の中で治承四年(1180)六月、以仁王の乱が起きた。

 中央社会で唯一職に就いていた源氏武士である源頼政と後白河法皇の第三皇子である以仁王が手を組み、平家打倒を企てたのである。

 結局この陰謀は露見するところとなり、平家の追討軍により源頼政と以仁王は命を落とすこととなった。


「背を向けて逃げる敵を後ろから射かけるだけであったから、容易ものであったわい」


 五十そこそこの老将、笠原頼直は、重光たちの前で顔の皺をさらに深めながら豪快に笑った。善光寺境内に建つ大勧進の一室である。

 この人物、信濃最北端に位置する笠原牧周辺を領地に持つ平氏豪族であり、平正弘亡き後、北信濃で最も勢力を誇った人物である。

 以仁王の乱が起きたとき、たまたま在京していた笠原頼直は、追討軍に加わるよう平清盛に命じられていたのである。


「乱の鎮圧、さすがは笠原殿にございます。さて、此度の栗田、村山の挙兵に木曾義仲が関わっているという噂は誠でございましょうか」


 重光の主人、富部家俊が皆を代表して笠原頼直に尋ねた。 


 昨年の敗戦以来、坂城の豪族である村上基国のもとに落ち延びていた栗田範覚と村山義直が本領奪還のため兵を挙げ、今まさに善光寺に攻め寄せようとしているのである。善光寺炎上から一年と半年が経っている。

 笠原頼直が北信濃の平氏豪族を善光寺に集結させたのはこのためであった。

 ちなみに栗田範覚の兄である村上基国は、あの有名な一の谷の戦いで真っ先に鵯坂を下り平家軍本営に火を放つ人物であるのだが、これは後の世の話である。

 

「うむ。以仁王が陰謀を企てていた時、全国各地の源氏武士に平家打倒の挙兵を促す使者を送ったらしいからのお。木曾義仲もこれを機に軍備を整えている可能性は大いにあり得る」


 破顔を真剣な表情に戻した笠原頼直が答えた。

 木曾義仲は、かつて源氏の頭領だった源義朝の弟、源義賢の次男であり、これまで木曽郡の山中で雌伏していたのである。

 

「しかし物見の報告によりますと、こちらに攻め寄せてくる軍勢の中に木曾義仲らしき人物はいない、とのことにございますが……」


 富部家俊が笠原頼直の顔を窺った。


「どこかに潜んでいるやもしれぬ。いずれにせよ、栗田、村山の軍勢を再起できなくなるまでたたきのめすのみよ」


 笠原頼直が拳を握りながら威勢よく言った直後である。

 物見の男がこの一室に駆け込んできた。


「敵が犀川の対岸に陣取ってございます」


「しばらくは平穏、ではなかったのか」


 末座にいた重光は、小さく呟くと出陣の準備を整えるため重い腰をもち上げた。




 

 

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