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公家将

作者: 敷知遠江守

 馬の世話を終えた男たちが、一人、また一人と、その場にへたり込んだ。

馬房の柱にもたれかけ眠る者、男同士背を合わせ眠る者、槍を抱えて眠る者、天王寺は、さながら、呪いに包まれたかのように、バタバタと眠りに落ちて行った。

将と思しき男は、その光景を、痛恨の表情で眺めた。


 将と思しき男は、観音寺の奥の、仮陣に向かった。

陣幕を上げると、何人かの将の奥に、一際若い将が鎮座していた。

若い将は、錦の直垂(ひたたれ)に、鎧を身に付けている。

笹竜胆の家紋が散りばめられた鎧は、所々矢傷が付き、これまでの、苛烈な戦歴を刻んでいるかのようであった。

顔は、まだ幼さが残り、髭も無く、精悍さは微塵も感じられない。

一見だけでは、宮中の末席で詩を詠む、若い公家にしか見えない。


「将軍、御命令通り、兵に酒をふるまっておきました」

「兵の様子はどうか」

「あまり酒には手をつけず、死んだように眠っております。疲労の蓄積は明らかで、もはや限界かと」

将軍と呼ばれた男は、そうかと、一言つぶやくと、目線を落した。

将軍と呼ばれた男は、他の諸将にも、少し休むように指示し、自分も鎧を脱ぎ、寝所へ向かった。



「男山の弟君に兵を裂き、宇都宮軍にも兵を裂き、結城にまで兵を裂き、もはや残ったものは、我らと、貴殿の兵のみ。これで、どうしようというのか」

「我が南部(なんぶ)騎兵は、先の敗戦で数を減らしたとはいえ、精鋭揃いぞ」

「それは心強いことだ。外の状況を見て、まだそれが言えるとはな」

「兵は精鋭なのだがな。馬の方がな」

名和(なわ)は、寡黙な陸奥勢にしては、南部殿は、存外口が達者だなと笑い出した。


 二人は、誰もいない一脚の将几(しょうぎ)を、恨めしそうに、睨めつけた。

「あの、疫病神が来てからというもの、我が鎮守府軍は、すっかり勝運に見放されてしまった」

「鎌倉の得宗(とくそう)か。足利憎しと言えど、どの面下げて、吉野に顔を出せたのやら」

「そもそも、どうやって、あの時、鎌倉から逃げ出したのやら。新田軍の包囲は、完璧だったと聞くのに」

「いつもいつも、しみったれた面をしやがって。戦で最後に物を言うは運ぞ。あれでは、勝の神は、鼻をつまんでしまうわ」

「遠州橋本で、頼みの信州軍も失って、よくここまで生き延びてこれたものだ」

「敗戦の匂いにだけは、敏感なのだろうよ」

「迷惑千万」


 南部は酒杯を傾けた。

「何故、ここに来て将軍は、皇子を吉野に返してしまったのだろうな」

「戦況が厳しくなり、皇子に何かあったら、全軍瓦解になりかねないと、思われたのだろう。守って戦うは、限界があるからな」

名和も、酒杯を傾け、瓶子(へいし)から酒を注いだ。

「兵の中からは、玉砕を望んでいるのではと、悲観的な声も聞こえてきたぞ」

「あのお方は、一の皇子ぞ。戦況は厳しくなる一方なのだ。皇子に何かあったら、吉野の天子様の、我らへの心象が、極めて悪くなってしまう」

「天子様か。あのお方は、気骨ある御方だ。天子様にしておくのが惜しい」

「我父、先代伯耆(ほうき)は、その生涯を天子様に捧げたが。その扱いは、極めて冷淡であったよ」

「だから、将軍が、先日、わざわざ上申してくれたではないか」

「わかっておる。ゆえにこうして、鎮守府軍に身を置いておるのではないか」

ふと見ると、酒がまわり、南部は、すっかり船を漕いでいた。



 翌週、石津川の陣から急報がもたらされた。

二引両と州浜の旗の後ろに、花輪違いの旗を差した大軍が合流したというものだった。

(こう)武州の軍勢か」

「数を聞くと、弟の越州の軍もおるようだな」

「だが、ここで足利の執事を屠れれば、男山の春日殿の別働隊は、かなり有利に戦を進められることでしょうな」

「簡単に言うが、相手は大軍ぞ」

「兵は数では無く質だ。寡兵といえど、丘の上でなら、我が精鋭は、そう簡単に破れはせぬ」

「過信は禁物だ。敵を知り、己を知らねば、戦には勝てぬぞ」

名和は、鎮守将軍の旗印である、瑠璃の旗を指さした。

その旗には、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」と金墨で書かれている。

「己のことはわかっておる。百戦錬磨の猛者揃いの精鋭だ」

「敵のことはどうなのだ」

「細川兵部は、川を楯に引きこもるだけの弱兵だ。高兄弟なぞ、ろくに戦も解さぬ文官ではないか」

「川を楯に、手が出せなかったのは、我らも同様だ。そこに増援が来たのだぞ」

「こちらが手を出せなかったのは、石津川の増水のせいではないか。相手は烏合の衆に他ならぬ」

名和は、鎮守将軍に、最終判断を委ねた。


 鎮守将軍は、将几から立ち上がると、諸将の顔を回し見た。

瑠璃に赤丸の扇子を開くと、諸将に向けた。

「この戦に全てを賭ける。ここに勝てば、やつらは主軍の一つを失い、春日侍従と新田殿が、容易に京を挟み撃ちできるようになるだろう」

瑠璃の扇子をパチリと閉じた。

「先鋒は南部。左翼名和は海岸線の敵を、右翼北条は敵左翼の足止め。それ以外の将は本陣付近で、突撃準備」

名和と北条は、首を縦に振った。

「敵を十分引き付けたところで、南部は、右翼後方を周り、山肌を経て、敵本陣の脇腹を突け」

「承知」


 諸将は、かわらけに酒を注いだ。

「吉野の勝利のために」

鎮守将軍は、酒を飲み干し、かわらけを床に叩きつけた。

「吉野の勝利のために」

鎮守将軍の掛け声に、諸将も習い、かわらけの酒を呑みほすと、床に叩きつけた。

「出陣」

「応」

諸将の勇ましい雄叫びが、観音寺の陣幕に響いた。



 大坂湾の砂浜を行軍し、鎮守府軍は、石津川の陣へと向かった。

「報告より、あきらかに数が多いですな」

先鋒南部隊の副将八戸(はちのへ)が呟いた。

「よくあることだ。それよりも」

南部は、大坂湾の向こうに、びっしり布陣する、小船の集団が気にかかった。

「丸に上の旗印、瀬戸内水軍ですな。水賊ごときが何を狙っておるのやら」

「兵は乗っていそうか」

「ここからではわかりませんが、乗っていたとしても、あれだけ船が浮いていれば、数はそこまでじゃないでしょう」

「そうか。だが、細川は水軍使いだからな。何かしら企んではいるのだろう」



 石津川を挿んで、両軍は、互いに武器をカチカチと鳴らし、対峙し続けた。

陽が昇ると、突然、敵軍の陣から、ほら貝の音が鳴り響いた。

敵軍は、一気に石津川を渡河し始めた。

それに合わせるように、鎮守府軍からも、ほら貝が鳴った。


「かかれ」


 南部は、怒鳴るような大声で叫んだ。

南部軍は、一斉に渡河中の敵軍に襲い掛かった。

あっという間に、石津川が、両軍の血で紅に染まった。

南部は、名和軍、北条軍が川岸に布陣したのを見て、軍を徐々に後退させた。

名和軍、北条軍は、川岸に木楯を次々に立てかけると、矢を放ち、南部軍の後退を支援した。

南部軍は、完全に川から上がると、名和、北条軍の後方まで後退。

一方の名和軍、北条軍は、弓と薙刀で敵軍に応戦していた。


 南部軍は、しばらく休憩し、陣容を整えると、ゆっくりと、川の上流へ陣を移した。

もはや、敵前線の全てが渡河を試みている。

八戸が、南部に、ころ合いでしょうと助言した。


「皆、我に続け」


 南部軍は一気に上流を渡河すると、右方の丘の縁を通り、敵本陣を急襲する姿勢を取った。

それを待っていたかのようだった。

敵陣から、ほら貝が鳴り響いた。

南部軍の侵攻路の丘から、伏兵が現れ、一斉に矢を射かけた。

さらに、沿岸で待機していた瀬戸内水軍が、一気に沖へと進軍し、左翼の名和軍へ弓を射かけた。

名和軍は、二方面からの攻撃に、戦線を維持できなくなり、徐々に川の上流へと押される形になった。


「敵は少ない。踏みつぶせ」


 南部は、勇ましく、突撃を指示したものの、矢を雨のように撃たれ、進軍速度は、明らかに低下した。

弓箭隊まであと少しというところで、右方から、新たな伏兵が現れた。

伏兵の数は少数ではあったが、本陣からも迎撃部隊を差し向けられ、完全に挟撃を受ける形となり、足を止められてしまった。

南部騎兵は、一騎、また一騎と、射落とされ、ついに、大将の南部遠州の首を、一本の矢が貫いた。



 渡河中の軍は、海岸側から一気に本陣へとなだれ込んだ。

名和は、懸命に、踏みとどまり、大薙刀を振り回し、上陸した兵を斬りつけた。

気がつくと、名和を、無数の上陸兵が、遠巻きに取り囲んでいた。


「我は名和伯耆、我に敵うと思う者は、前へ出よ」


 名和の気迫と、大柄な体躯、落雷のような怒声に、上陸兵は、後ずさりした。

名和は、大薙刀を構え、上陸兵へにじり寄った。

名和の薙刀に、上陸兵は、成す術無く、魂を散らして行った。

名和が吠えると、上陸兵は、背を見せ、我先にと潰走していった。

その時だった。

上陸兵がいなくなり、名和の姿が水賊から丸見えになった。

雨が降るかのように、大量の矢が、名和を襲った。

薙刀を振り回し、矢を振り落としていたが、そのうちの何本かが、名和の体を貫いた。

後ろに回った上陸兵が、名和の膝裏を斬りつけた。

名和が、たまらず片膝を付くと、上陸兵は、一斉に武器を突き立てた。



 北条軍は、敵兵を目の前に無秩序に潰走。

鎮守府軍本陣は、圧倒的な数の敵兵に、取り囲まれた。

だが、将軍自ら、馬上で雄叫びをあげ、長刀を振り回し、敵を斬りつけ続けた。

その姿は、まさに鬼神というべき姿だった。


 本陣は、異常な剛健さを誇った。

名和軍と対峙した兵は、ほとんどが、本陣の防御の前に、倒れていった。

だが、時とともに、敵兵は増え続けた。

次第に、将軍の馬の息が荒くなっていった。

周りに残った近衛隊も、数十人を数えるのみに減った。


「将軍、我らが突破口を開きます。単騎でお逃げください」

近衛兵の一人が叫んだ。

残りの近衛兵は、最後の力を振り絞り、将軍の突破路を確保した。

「皆、すまない」

将軍は、無念さで、唇を強く噛みしめ、涙した。

近衛兵は、感動し、口ぐちに叫んだ。

「将軍をお守りする。一歩たりとも、抜かせはしない」

「応」



 将軍が、突破口を通り抜けきった瞬間のことだった。

将軍の乗馬の前膝が、静かに崩れた。

この後、東北の北畠家は、弟の顕信が継いだようです。

拠点を浪岡(現在は青森市)に移し、南朝の将として、南部氏や安東氏の助力により、何とか勢力を保とうとしたみたいです。

ですが、次第に、東北の実権は、北朝の斯波家(足利一門、大崎氏、最上氏)に握られて、南部氏の庇護下で、細々と続くだけになってしまったようです。

北畠家は、南朝を貫いたのですが、肝心の南部氏が、斯波家になびいてしまったのが、致命的だったのでしょうね。


最後は、南部氏の部下だった、大浦為信(津軽為信)に攻め滅ぼされてしまいました。

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