記憶喪失の夫が6年ぶりに帰ってきました。どうやら私のことが好きなようですが、今さらすぎて素直になれません。
私は困っていた。
「セイレーン、あなたが好きです」
金髪の男、アレックスが懇願するように言ってくる。私も顔が好み、体型も好き、声も最高なこの男のことをもちろん憎からず思っていた(むしろすがりつきたいくらいだ)が、どうしても「私も好き」とは返せなかった。
「ごめんなさい」
これにはちょっと事情がある。
6年前、19歳の時に私はこの男、アレックスと結婚した。私はエバンス王国の王女で、彼はクロノ王国の第2王子。政略結婚にも見えるが、元々国交のなかった国同士、私たちは偶然出会って、運命的な恋に落ちた。
結婚後はいろいろ都合が良かったので、私の故郷に婿に来てもらい、幸せな日々を送っていた。
ところが、半年ほど経ったある日。
「一度、国に帰らないといけない」
アレックスの故郷クロノ王国では、彼の兄エドウィンが王位を継いでいた。しかし、他国の王女と結婚したアレックスの方がクロノ王国の国王にふさわしいとする一派が力を持ち、内乱状態にあるのだという。
「国を出るとき、ほとんど駆け落ち状態で、継承権の放棄とかしてなかったから、一度ちゃんとけりを付けてくるよ」
「そうね、きちんとした方がいいわ」
ただ、1つ問題があった。
私の国、エバンス王国は大変閉鎖的な国で、王国の秘密を絶対に他国に持ち出せないように厳しい掟がある。
『他国に出る者は、エバンス王国に関わる記憶を封じる』
魔法をかけて、何も思い出せないように記憶を縛る。エバンス王国に入る直前までの記憶はあるが、その中で何をしていたか、全て忘れてしまうのだ。
つまり、アレックスは、私に関する記憶をなくすことになる。
「大丈夫、絶対に帰ってくるから。大体、結婚してることはクロノの人たちだって分かってるんだから、俺が帰らなきゃならないって、あっちの人が教えてくれるはずさ」
彼は楽観的に笑っていた。私はその時から嫌な予感がしていた。
予感は的中する。彼は6年、帰ってこなかった。
最初の2年くらいは、今日帰ってくるかも、明日かもしれないと、期待を持って過ごしていたが、3年4年と経つうちに、期待は失望に変わっていった。6年は長い。その間に妊娠が分かり、私は1人で男の子を産んだ。その子がもう5歳になる。
6年ぶりに会ったとき、私はもちろんアレックスのことが分かった。金髪が珍しいこともあるし、顔は彼にそっくりな息子の顔を毎日見ているので、忘れようがなかった。
そもそも他に見たことがないくらい美しい顔なので、こんな顔がこの世に何人もいてたまるか。
アレックスは私を見ても分からないようだった。当然だ。記憶喪失の魔法をかけたのは私で、まだ解けていないことは感覚でわかる。
国の掟では、記憶喪失の魔法はその人が再入国した時点で解いていい。でも、私は解かなかった。解きたくなかった。
だって6年も帰らなかったのだ。何か理由があるに違いない。例えば、ないと信じたいけど、あちらの国で好きな人ができたとか、正直こんな寒くて閉鎖的な辛気くさい国はもうたくさんだと心の底で思っていたとか、すでに結婚した妻をないがしろにする、何か理由があっておかしくない。
私だって、今さら帰ってきた夫と、はい明日からまた一緒に家族やりましょうと言われても困る。
夫が出て行って、初めての子どもがお腹に来てくれたことを知った。うれしい、帰ってきたらきっと一緒に喜んでくれる。いつ帰ってくるだろう、片道1ヶ月程度の道のり。生まれるまでには帰ってきてくれるに違いない。名前は一緒に考えよう。
子どもが生まれても夫は帰ってこなかった。名前は結局私が1人で考えた。経験豊富な乳母もいたし、母はもう亡くなっていたけれど、親戚に頼りながら、初めての子育てを戸惑いながら一生懸命にやっていた。
私が死んだらこの子はどうなるのだろう、考えて眠れない夜もあった。息子のアランはすくすく育つ。今日笑いかけてくれた、1人で立った、歩いた。いつかアレックスが帰ったら見せようと、書き続けた日記はもう5冊目になる。
私が送り出したのだ。私が記憶を消したのだ。どれだけ苦労しても何年待っても自業自得、そう自分に言い聞かせて、なんとか耐えてきた。
生きているのは魔法がかかっている感覚で分かっていた。アレックスは王弟でもあるので、何かあれば外国でも知ることはできる。でも、生きているのならなぜ、帰ってきてくれないの?
この6年で私の心は確実にすり減っていた。
アレックスと再会したのは昨日だ。エバンス王国に来たからには王族へ一通り挨拶に、とやってきた。その瞬間からアプローチがすごい。今日は大きな花束を買ってきていた。
「なんだか、この国に来ないといけない気がして、全てを放り出して来ました。あなたを見た瞬間に分かった。あなたに会うために私は生きていたんだと」
芝居がかった台詞を聞いて、頬が赤くなるのを感じる。
いろいろ思うところはあるけれど、めちゃくちゃ好みな人に、好きと言われて心が動かない人がいるだろうか。
何でも大げさに言う癖も、前と全然変わっていなかった。
「セイレーン、あなたが好きです」
胸に懐かしさがこみ上げてくる。一生をともにすると誓った人。大事な息子の父親、6年待ち焦がれた人が目の前にいる。
けれど、私は、そんな心とは裏腹の、ある気持ちが抑えられなかった。うれしさで舞い上がる心、「私も好き」と答えようとする心を押さえつけ、潰す、痛烈な気持ち。
これは怒りだ。
「ごめんなさい、別れた夫のことが忘れられないの」
口から出たのは、この6年、言い寄る男たちを振るための常套句だ。
私は怒っていた。でもこの怒りを誰にぶつければいいのか分からなかった。彼が国を出たのは仕方のないことだった。私だって納得して送り出した。記憶をなくした彼にもちろん罪はない。たとえこの国を6年も避けていたとしても、今、ここに帰ってきた。そのことに感謝しないといけない。
分かってる。分かってるけど、どうしようもない時間が、取り戻せない時間が、憎らしくて仕方がない。
好きだなんて、あなたはのんきでいいわね。忘れて、故郷で好きに生きていたのだものね、6年も。
「6年も帰って来ない夫を待つなんて、不毛だと思われるかもしれないけど」
「いいえ、あなたの一途さに心をうたれたところです。旦那様がうらやましい。いつまでも待ちます。あなたの心がかわるまで」
真摯に私を見つめるアレックスを見ていて、私が彼の何が好きだったか思い出した。
顔だ。
もちろん声もいいし、体格も立派で、性格だって好みだったけど、一番は顔だった。彫刻のように整った顔は一目惚れしたあのときのまま、むしろ6年で色気が足されたようにも思う。
私を見つめる深い青い目に吸い込まれそうになる。
あ、やっぱり好き。
でも、でも、
「どうしろっていうの」
頭の中が感情でいっぱいで、泣きたい気分だ。でも泣けない。彼がいなくなって6年、一度だって泣けなかった。
その時、ドアが唐突に遠慮なく開いた
「母さん!聞いて! あ、すみません、お客さん」
しまった、と思った。息子アランはアレックスにうり二つ。会わせたら不審に思うに違いない。
「この子はあなたの・・・?」
アレックスがアランを見た。
2人が目を合わせる。2人とも気づいたはずだ。
アランはこの国にはいない金髪、私にたった一つだけ似た紫色の目をしている。アランの髪の色、髪質ともにアレックスと同じ。顔も幼いながら、特長が全く同じで、誰が見ても親子だ。
その時、私は自分のかけた魔法が解けそうになっていることに気づいた。
自然に解ける魔法ではない。ただ、アレックスは元々魔法に対する抵抗力が高い。それと今きっと、記憶をなくした可能性に気づいたのだ。矛盾に気づくと、精神系の魔法は解けやすくなる。
今じゃない。今はまだダメ。そう思っても解けかけた魔法はすでに崩壊を始めている。
ついにはじけるように、魔法が解けた。
アレックスは数度瞬きして、私を見た。
「セイレーン」
「ごめんなさい、すぐに魔法を解かなくて。でも」
「いい。言わなくていい。悪かったのは君じゃない。君じゃないんだ」
アレックスは確かめるようにためらいながら、一歩ずつ私に近づき、ゆっくりと抱き寄せた。私は抵抗しなかった。
ふわりと彼特有の草原のような匂いがした。好きだった匂い。安心する。
つ、と涙が一筋頬を伝った。
「別れた夫のことを忘れられないっていうのは本当?」
「・・・そうね」
「今からでも間に合うかな」
私は答えられない。まだ気持ちが定まっていなかった。
「今思うと、兄が全部俺に隠して、帰らせまいとしてたんだ。言い訳だけど。遅くなってごめん」
謝られて、少しは気が晴れる。
ふとアランの前だと思い出し、名残惜しく感じながら抱擁をほどいた。
アランは興味津々にアレックスに話しかけた。
「おじさん名前は?」
「アレックスだよ。はじめまして、君は?」
「アラン」
「いい名前だね」
アランはあまり人見知りをしない。すぐにそっくりな親子は打ち解けた。
6年離れてたことなんて、大したことなかったね、3人でそう笑いあう日は遠くないかもしれない。




