誰も動けない筈の世界で叫ぶ
時間停止能力。
それが生まれ持った時からその身に宿す力の名前だ。
自分にとって息をする方法を誰かに教わる必要が無いように、当たり前に使える力だったから幼い時は周りとの違いに苦労した。
なんでその失敗するんだろうと、周囲の人間を見て何度も思った。
例えば物を落としそうになった時。時間を止めてキャッチの体勢を取ればいい。止まっている間、物質は全く動かないが、それでも地面に落とすことは無い。けれど「あっ……」と言うだけで何度も落とす。不思議でしょうがなかった。
初めてその力が、特別な物だと自覚できたのは、喧嘩を吹っ掛けられた時だった。
目の前の敵がパンチを繰り出そうと伸ばした右手を、止まった時間の中でゆっくりと避ける。相手は己のパンチが当たらなかった事に驚きつつも今度は下から顎を掠めんばかりの蹴りが飛んでくるのを、止まった時間の中、一歩下がって躱した。
それまで、暴力というものが成り立っている理由がわからなかった。時間を止める事ができる筈なのに、当たる訳がない行動を行う理由が成立している理由に検討が全くつかなかったからだ。その時足りなかったパズルのピースが嵌ったかのように、一つの結論に達した。つまり、使わないのではなく使えないのだと。
「そっか、そういう事かぁ!」
「――隙ありぃ!」
「――あ」
思考に溺れ目の前のパンチの存在を最後まで知覚することが出来ず、時間を止める間もなく頬に拳がめり込んだ。成程、考えたこともなかったが、時間を止めるにも一秒に満たないとはいえ、ほんの少しの時間が必要らしい。そのまま地面勢いよく倒れ、空を見上げる。戦いには負けてしまった。だがその鮮烈な痛みは自分が得た結論に比べればどうでもよかった。
「ふふふ……」
「こ、こいつ! 負けたのに笑ってる!」
――まぁクラスメートには完全におかしい奴だと思われて、距離を置かれてしまったが、些細な問題だろう。
それから、自分はこの能力を隠すように立ち回った。
あまり機敏な姿を見せないように努めた。もし自分の机から物が落ちそうになったら、慌てて時間を止めるのではなく見送った。横断歩道の信号は、時間を止めて渡るのではなく、切り替わるタイミングを待って他人と一緒に歩き始めた。満員電車の席取り合戦は、人流に逆らわず諦めて敗北を受け入れた。――たまに疲れている時は能力を使って席を確保したりしたこともあるが。
逆に一人で悩んでも良い時、例えば試験を受けるとき、人の何倍も思考時間を持っているのはアドバンテージとしては比べ物にならない程優秀だった。好きな人と会話するとき、いちいち時間を止めて、色んな会話を考えてから喋った。
しかし最近、その能力が上手く制御できていなかった。
――あれ?
気が付いたのは下校途中、ホームで電車が来るのを並んで待っている時だった。突如として、自分を含めて周囲の時間が停止した。固まった手は、石像の様に固く、動くことは出来なかった。何かが起こったのだとその場から離れようとするも、足は根を張った様にその場から動けない。周囲を見渡そうと首を動かしても動かず、あちこちの部位を動かそうとした。結果、動いたのは眼球だけだった。しかし目の前で起きる景色には、何の変化も訪れない。そのまま五分後、自分にとっては世界で一番長く感じたその時間は、何事もなかったかのように再び動き出した。
「ふぅ…………」
思わず深くため息をつく。しかし、それは恐怖の日々の始まりだった。
その日から、能力の暴発は続いた。
徒競走の記録を測っている途中、用を足している瞬間、今まさに玄関を出ようとしたその時、規則も法則性も判らず、止まった実時間すら一定ではなく、前触れすら存在しないまま、時間が勝手に止まる様になってしまった。もしかして、次はもう二度と動き出さないんじゃないか。時間が止まる度早く動き出せと懇願した。
そして時間を何度も止まるうち、もしかして能力が進化しているのではないか。人が身長を伸ばすのが普通の当たり前のように、歳を重ねれば知識がその分上積みされるように、能力も自分が思いもしない要因によって発動しているのではないか、そう考えるようになった。少なくとも、何もせず時間を浪費してるよりは何も良い。
勝手に時間が止まる度に唯一動く眼球を使って舐め回すように己の一挙手一投足を眺めた。足の指は曲がっていないか、喉仏の位置は変わっていないか、眉の角度に変化はないか。なにか思いつくたびにその部分を凝視した。
――変人エピソードが、クラス内で加速したが、そんな悠長な事を言ってられる時間はなかった。
そして今日も、時間が止まった。先生に指名され、黒板に解答を書こうと席を立った瞬間に止まったのだ。中腰という半端な体勢で止まってしまい、肉体的な負荷がなくとも精神的にキツイものがあった。しかし、その日は特に長かった。体感では既に二〇分は、世界は静止していた。いまかいまかと、解除の瞬間を待っていた時、廊下から誰かの足音が聞こえた。
遂に幻聴すら現れたと自嘲するも、その音は階段を降り、徐々に近づいてきていた。
その時、一つの予感が頭をよぎり、眼球を出来る限り音の方向へと向けた。
――廊下に人影が現れ、誰かが歩いていた。気まぐれなのだろう、歩みを止め自分がいる教室を覗いた。
そして、僕と彼女の目線は交わった。
そう、その日。僕は、同じ能力者と出会った。