蒼炎の黒兎 ~太古の機械生命体と戦い英雄と称された新人類で黒兎の私は、その力を恐れた者達に追われ復讐の道を歩む~
「忌々しい、黒兎が!」
怒声と共に、剣が振り下ろされる。
ただ勢いがあるだけの、何の工夫もないその一撃が、私に届くはずがない。私はそれに応じるように、右手に握った黒剣を振るう。
遅れて振るった黒剣は一瞬のうちに剣速を増し、目の前の男の振るった剣へと易々と追いついた。剣同士が衝突し、私の黒剣は男の剣を軽々と跳ね上げる。
衝撃に一歩後ろへと下がった男に対し、私は一歩を踏み出した。続けて、男のがら空きの胴体へと、強化された脚力による全力の蹴撃を加える。
その一撃で鎧は割れ砕け、男は身を折り後方へと吹き飛んだ。その手から離れた剣が弧を描いて宙を舞い、少し離れたところへ硬質な音を立てて転がった。
地へ転がった男は動けないようで、僅かにその体を震わせている。私がそちらへゆっくりと歩みを進めれば、男は怯えたような視線でこちらを見上げてきた。
懇願するような、潤んだ瞳が視界には映るが、それを見たところで既に罪悪感など欠片も感じない。今まで屠ってきた者達と、何の変わりもありはしないのだ。
「これも、お前達の選択の結果だ」
「待っ――」
制止の声に応える気も、辞世の句に耳を貸す気もない。
私の振るった黒剣は、容易く男の首を撥ね飛ばした。力を失った男の体が地面へと横たわり、断面から鮮血を溢れさせる。
それを見届け、私は一つ息を吐いた。これで、この施設に残す標的はあと一人のはずである。
血の匂いが濃くなった室内で、私は服の袖で鼻を押さえながら周囲を一瞥する。私の周りには、血溜まりに沈む何体もの死体があった。目の前の男と同様に、すべて私が斬り捨てたものだ。
殺したから追われて。
追われたから殺して。
最早どちらが先だったのかも覚えていない。変わらぬ日々に嫌気がさして、ついには自ら敵地へと乗り込むようになってしまった。
それでも、逃走と殺戮の日々に目に見えた変化は訪れない。すべての人間を殺し尽くさなければ、私は平穏を迎えられないのだろう。
私は自らの耳をひと撫でした。頭の両脇から斜め下へと延びる、大きな黒毛の耳だ。普通の人間には存在しない、獣のそれである。
私の記憶の始まりは、とある施設の天井である。目覚めた時には、すでに獣の力を取り込む手術が施されていた。それが、太古から蘇った機械生命体たちに対抗するためだと聞かされたのは、休みなく行われる戦闘訓練に疑問を抱いた頃である。
そうして私が仲間達と向かわされたのは、氷雪吹き荒ぶ極寒の地だった。普通の人間では踏み入れない環境で、獣の力を得た私達は機械生命体と戦い、いくらかの犠牲を出しながらも勝利を収めた。
その頃は、私もまだ未来に希望を抱いていた。
英雄だ、救世主だと持て囃され。
人間を超えた新たな存在、新人類だと呼ばれていた。
戦いは終わり、ようやく平和な日々を迎えられるのだろうと、そう思っていた。
けれど、そんな日々は長くは続かなかった。
いつからだろうか。
私達の存在そのものが、人々に恐れられるようになったのは。
今までの功績を表彰すると呼ばれた式典で、私達は罠に掛けられた。
何人もの仲間が犠牲になった。
私はいち早く剣を取り、傷を負いながらもその場からの脱出に成功した。
逃走と殺戮の日々はそこから始まったが、未だ終わりは見えていない。
私は軽く頭を振る。感傷に浸るのは、すべてが終わってからだ。
いくつもの死体をその場に残し、私は部屋の外へと出る。部屋の外には、左右真っ直ぐに長い廊下が伸びていた。やや薄暗い通路を、天井から吊り下げられた灯りが弱々しく照らしている。
私は一度、右手へと視線を移した。私がこの部屋に来るまでに通ってきた方角だ。人影が見えないところを見るに、追ってきている者はいないようだ。
それはそうだろう、今までの部屋はすべて私が潰しているのだから。
私は目を閉じ、反対方向へ顔を向けると再び目を開いた。廊下の奥に、一つ扉があるのが見える。
館内の見取り図はすべて頭に入っている。あの部屋が、この建物では最後になる。
さして急ぐ必要もない。私はゆっくりと扉へと歩み寄った。そうして、扉の目の前まで差し掛かった。
扉に鍵は掛かっているだろうか。いや、掛かっていたとしても関係はない。律儀に扉を叩く気など、ありはしないのだから。
私は剣を上段で構えると、一呼吸の後、一拍で剣を振り抜いた。轟音と共に、鋼鉄製の扉に大きく亀裂が入る。
そこへ、私は立て続けに回し蹴りを放った。回転の勢いを乗せた私の脚は、狙い澄ましたように扉に出来た亀裂の中心へと吸い込まれる。
衝撃に耐えきれず、扉は二つに分かれて部屋の内側へと吹き飛んだ。進路上に人でもいたのだろう、部屋の中から悲鳴が上がる。
その悲鳴を耳障りだと感じながら、コツ、コツ、と私は部屋の中へと歩みを進める。そうして幾ばくも無いうちに、周囲をぐるりと武装した男達に囲まれた。
さらに私の正面に立つ男達が左右に分かれると、見るからに偉そうな男が姿を現した。何度か姿を見たことのある、私が探していた人間の一人だ。
「貴様が黒兎だな。我らが同胞を殺し回り、仲間の屍を踏み越えて、貴様はどこへ行こうというのだ」
「お前達と、無駄話をする気はない」
話し合いで事が済むような段階は、当の昔に通り過ぎている。
かつては、和解の道を歩もうと訴えた仲間も残っていた。私達の事を英雄だと、信じ続けてくれた軍の者もいた。
それも、昔の話だ。今の私は独り、隣に並び立つ者はいない。
「この人数を相手に、本気で事を構えるつもりか?」
目の前に立つ男が、大仰な仕草で肩を竦める。
男の言う通り、私の周囲には武器を持った者たちが大勢いる。しかし、このような状況には何度だって遭遇してきた。
今は外傷もなく、体力も十分にある。気力も充実しているし、雑兵がいくら集まろうと、私の敵にはならない。
私が剣を構えれば、正面の男は唇の端を持ち上げた。
そうして、手を水平に振って見せる。
「殺せ!」
男の合図と同時に、周囲の者達が一斉に襲い掛かってきた。
否、一斉にと言っても、それは常人にとってはの話だ。
いくら意識が統一されているとは言っても、所詮は個々の存在なのだ。呼吸も、脚運びも、迫る速度も剣速も、すべて異なるタイミングのそれらは、優先度をつけて順番に処理をしていけばいい。
『目を開け、前を見ろ、感覚すべてで掌握しろ。それさえ出来ればお前は――無敵だ』
こんな時だというのに、彼の教えを思い出して笑みが零れる。
身に迫る幾本もの剣を、黒剣で弾き、身を躱し、蹴り飛ばし。
地を跳ねて、首を刎ねて。
跳ねて、刎ねて、跳ねて。
血飛沫が舞い、悲鳴が上がり、順調に敵の数は減っていく。減っていくが、それでもまだまだ周囲には何十人と残っている。
あぁ、何と面倒なのだろうか。
どうせ、この部屋が最後なのだ。
最後くらい、派手に、豪快に、圧倒的に。
力の差というものを、見せよう。
私が手に持つ黒剣に意識を集中すれば、ゆらりと青い光が立ち昇った。そのまま横薙ぎに剣を一閃すれば、正面方向の男達が衝撃に纏めて吹き飛んだ。
吹き飛んだ男達は、例外なく青い炎に包まれている。そして正面の広範囲には、背丈ほどにもなる青い炎が轟々と燃え盛っていた。
突如として巻き起こった業火に、周囲の者達は怯えたように包囲を広げる。
蒼炎――この力があるが故に、私達は機械生命体に対抗でき、人々から恐れられることとなった。
普通の人間は持たない、特別な力を私達は持っている。元となった生物によって異なるが、これらの力は獣の持つものだ。
私の素体は『火吹黒兎』というらしい。その名の示す通り、炎を吹く黒毛の兎だ。その力を持つ私は、たった今起こした現象の通り、青い炎を操る力を持つ。
この力を十全に発揮すれば、周囲を取り囲む雑兵など障害にもなり得ない。瞬く間のうちに数を減らし、残ったのは指揮官の男、唯一人となった。
「……化け物め」
男が、苦虫を噛み潰したような顔でそう溢した。
化け物と、そう呼ばれることには慣れている。私が今まで斬り捨ててきた者達も、死の直前には命乞いをする以外であれば、決まってそう口にしたものだ。
最後の男は、雄叫びを上げて私へと走り寄る。そして、上段から勢いよく振り下ろされた剣を、私は己の黒剣で受け止めた。私の腕力自体はそれほどでもないが、それでも目の前の男と拮抗する程度には力がある。
それから男の振るう剣を、二合、三合と左右に弾く。なるほど、男の力量は先程の雑兵たちと比べても、いくらかは上のようである。それでも、私のそれには遠く及ばない。
男が剣を振り上げたところで私は地を蹴り、中空へとその身を躍らせる。
そのまま黒剣を横に一閃すれば、男の手首より先が揃って飛んだ。
男が目を見開く。
私は落下の勢いを乗せ、蒼炎に包まれた黒剣を真っ直ぐに振り下ろした。
黒剣は男の体を容易く切り裂き、左右二つに斬り分ける。
傷口は一瞬のうちに焼き塞がれ、全体を蒼炎が包み込んだ。
私は黒剣を振り切った態勢で一息つき、腰を上げた。そうして黒剣を腰の鞘に納め、周囲をぐるりと見渡す。
いくつもの屍が折り重なり、蒼炎にその身を焼かれている。時折パチリと爆ぜ、黒煙が絶え間なく生み出されている。焦げ臭く、少々息苦しい。
何れ、この建物すべてが炎に包まれることだろう。長居は無用だ。
私は部屋の入口へと足を運び、一度後ろを振り返った。視線の先には、最後に斬った男の姿がある。
標的の一人を仕留めたところで、何の感慨もなかった。これだけの人数を屠ったところで、最早唯の作業に過ぎない。
私は再び瞳を前へと向け、歩みを進める。廊下を歩けばカツン、カツン、と硬質な音が鳴り響いた。
初めの頃はどうだっただろうか。
軍に追われ、行き場を失くし、追い詰められた先で、ただ身を守るために振るった黒剣が、運悪く――いや、運良く相手の命を奪ったのだった。
その時は、人の命を奪った罪悪感よりも、ただただ恐怖心があったのを覚えている。
今では、すっかり人の命を奪うことに慣れてしまった。
今の私の姿を見て、彼やあの子は何と言うだろうか。偶に、独りの夜に空を見上げて、そんなことを考える。きっと、褒めてはくれないだろう。
彼は私のために、怒ってくれることだろう。あの子は困ったような顔をして、優しく頭を撫でてくれるだろうか。
けれど、今は二人とも傍にはいない。それに、私に後戻りする道など、すでにないのだ。
やがて建物の外に出た。目線を下から前へと上げれば、大勢の人間の姿が目に入る。皆一様に武器を持ち、敵意に満ちた瞳を向けてくる。
左右に目を振っても、人の壁に隙間はない。どうやら建物の周辺すべてを囲まれているらしい。
標的は当然、私だろう。一仕事終えたばかりのところへ、かつてないほどの刺客の多さに、思わず溜息が漏れる。
私は腰の黒剣を抜き放つ。
逃走の日々に終幕は見えない。
ならば、せめて殺し尽くそう。
私の復讐は、終わらない。
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作者のモチベーションが上がります。
また、「万能術士の成り上がり ~ギルドを追放された俺は異種族の少女達と共に最強のギルドを結成する~」という小説を別途連載しておりますので、そちらもよろしくお願いします。