後編
僕の生まれ故郷には、魔女というものはいなかった。いたとしても、ちょっと火をおこせたり水を出せたりといった、本当にちょっとした魔法を使える人だけ。
ただ、場所的に水を出せる人は一日に決められた量の水を国に渡せば大金を貰えた。
本当に,ただそれだけだ。
だから、あまり魔女という存在を理解していなかった。
きっと御伽噺に出てくるようなちょっと薬草のことを知っている、ちょっと人よりも多くの魔法を使える、そんな存在だと思っていた。
森を突き進み、牛乳屋に教えてもらったように心の中で『魔女殿。どうか力をお貸しください。姿を現してください』と呟いていると、目の前の景色がいきなり変わって木でできた小屋の中にいたのだ。
「あなたが……?」
思っていたよりも幼い見た目に怪訝な表情を浮かべて見やれば魔女は苦笑した。
「これでも、千年は生きているんだけど」
「千年」
「だから、あなたの生まれ故郷が砂漠であったり、先祖が砂漠でへまをしたりとかいう情報が分かってしまうんだ」
「そうなのか」
驚いた。
魔女というのはすごいのかもしれない。
「まあ、私も忙しいのでさっさと本題に入ろうか。きっと、エスフィア・ヴィアンシアレとアリーのことについて聞きたくてやって来たのだろう」
そうだ、と肯定すれば、それなら簡単なことだと魔女は笑った。
「知っているか。この世には魔毒というものが存在する」
「何ですか、魔毒って」
「魔毒というのは、魔法によって作られたいろいろなものに効果のある毒。飲ませる人が解熱を望めば解熱剤に、毒殺を望めば毒に変化しうる至高の毒だ」
これだ、と魔女は長いローブの袖に手を突っ込んで無造作に取り出した。
ガラス瓶に入った、透明な液体。
これをどこかでみたことがある気がする。
「私はあまりこれを人に渡すことを良しとはしていない。大抵これを求める人は碌でもないことを望んでいるからね」
でも、と言葉を切った。
「でも、エスフィア・ヴィアンシアレに望まれた時、どうしてかいつもは口から出てくる拒否の言葉が出てこなかった。おそらく、彼の境遇のせいで同情してしまったんだろうね。今思えばいらないことをしてしまったと思うよ。私が渡してしまったせいで正当に結ばれるはずだった人を、離してしまったんだから」
「でも、アリーに飲ませたとして、効果はどうなるんですか。別に病気にもかかっていなかったですし」
「いっただろう。これは万能な毒。エスフィア・ヴィアンシアレがアリーに求められたいと願い飲ませればそうなるんだ」
「そんな馬鹿な」
目の前の人物が魔女という事を認められても、それは信じ難い事だった。
「まあ、そういうだろうね。分かった。じゃあ、ちょっと待っていな」
魔女はガサゴソとローブからコップを取り出して一滴その中に入れた。
「じゃあ、これを飲んでみな」
魔女はそのコップを渡してきた。
「今、私はちょっとした事を願いながらそれを渡した。その効果は二分ほどで切れるから安心して飲んでみてほしい」
胸元にコップを押し付けられてしまい、渋々受け取る。
「大丈夫なんですか」
問えば、魔女は「だから、信じるも信じないも勝手だ。ただ、私は運命を歪めてしまった事を悔いているだけ」と冷たく言い放った。
手の中にある、一滴の薬。
僕は大きく息を吸ってそれを煽った。
「飲んだか。じゃあ、その場でくるりと一回転してみて」
魔女は僕の手からコップを取るとそう言った。
何故一回転だ、と疑問に思うのと同時にくるりと体が回る。
僕は驚きで目を大きく見開いた。
「そういう事だ。信じたか。私は命令した事を実行するように念じ、それを渡した。だから体が勝手に動く」
魔女は話は終わった、というかのように手を振る。
「じゃあ、アリーは」
僕は魔女に掴みかかり、問いかけると魔女は最も簡単に僕を放った。
「エスフィア・ヴィアンシアレが薬を飲ますのを欠かさずに行う限り、アリーは彼を想うだろうね」
残酷な言葉に僕の心は裂かれそうになる。
「一つだけ、方法はあるのだけれども、危険だからおすすめはしない」
僕は、ぽそりと言った言葉を聞き逃さず、魔女にその方法を問い詰めた。
魔女は言い渋ったが、何度もしつこく聞いた事で仕方なく言う。
「この剣でアリーの心臓を一突きすれば次の生を受けた時、正しい運命へと導かれる。でも、間違えば不死となり三人まとめてこれを繰り返すことになる」
魔女が机に置いたのは、普通の剣だった。
「一度間違えて仕舞えば、この剣は消滅してもう二度と正しい道に進めなくなる。一生アリーはエスフィア・ヴィアンシアレに囚われるだろう」
それでもやるのか、と。
僕は剣を手に取り握りしめて頷いた。
アリーを取り返すことができるのであれば、やる。