前編
思えば,あの日昼食を取ってからアリーの様子はおかしくなったように思う。
ふらふらと夜に家から出て街を歩き回り、明け方には戻ってきて隣で寝ていた。
アリーは真っ直ぐな性格で絶対に浮気をしないというのは分かっていたから、きっと夜に出歩くようになったのは誰かがアリーに怪しい術をかけているからだと考えた。
前に気になって日中に聞いてみたら「私が夜に出歩いている?それは、きっと夢だって。なんで出歩かなきゃいけないのよ」と怪訝な目で見られたから、記憶に残っていないのだろうか。
控えめに言っても、アリーはとてつもない美少女だ。
流行り病で亡くなってしまったというアリーの両親はこの一体で密かに行われた美男子美少女コンテストで連年一位を取っていたというほどの美貌の持ち主だという。
さすがに、領主様一家には勝てなかったようだがそれでも今まで見た中で一番可愛らしかったことは保証できる。
加えて、その清廉さ。
あの歳になっていまだに夜の営みについての知識はゼロだ。
ある人はそれを無知だと言ったがものは言いようである。
アリーと共に、ヴィアンシアレ卿にご馳走になってから丁度七回目の満月を迎えた夜の事。
もはや見慣れたものとなったアリーの徘徊。
最初の方は後をついていっていたが最近は必ず戻ってきていたことで大丈夫だろうと思い,ちょっと体からずれた毛布を引き寄せてそのまま眠った。
きちんと鍵を閉めて出かけるアリーだが、この日は鍵を閉めずに出かけていったようで朝になっていつも牛乳を届けてくれる人の声ではっと飛び起きた。
「アルハーンさーん、鍵を閉めないなんて不用心ですよー」
玄関から大声で呼ばれて寝巻きのまま料金を渡して牛乳を受け取った。
「今日はアリーちゃんいないんですね。頼まれていた牛乳プリンが出来上がったからもってきたんだけどなあ」
まあ、良いや、アルハーンさんに渡しておきますね。
そう言って袋に入った牛乳プリンを二つ押し付けて去っていった。
牛乳プリンを机の上に置いて、家を見回した。
確かに、いつもなら帰っているはずの時間であるのに今日はまだ帰っていない。
どうしたのだろうか。
そして、それから一ヶ月後にエスフィア・ヴィアンシアレが婚約相手を発表した。
新聞の一面に書かれていた。
浮ついた話のなかった領主の結婚話。
牛乳屋の人が「いやあ、アリーちゃんそんな人には見えなかったけどやっぱり女ってのは金につられるんでしょうかね」といって新聞を取っていない僕に新聞を渡してきた。
『エスフィア・ヴィアンシアレ卿は市井の少女と婚約予定!』
『アリーの両親は有名な美男美女!』
見出しと共に、優雅に手を振るアリーの写真があった。
「どうして」
「知らなかったんですか」
呆然とする僕へ同情するかのように肩を叩いた。
「でも、その前兆はあったんじゃないですか。夜に出かけるとか」
どうして。
アリーはそのような人ではない。
仮に、エスフィア・ヴィアンシアレを好きになったとしても、きちんと僕に別れを告げてから姿を消すはずだ。
こんな風に、何も言わずに消えることなんてあり得ない。
それは、アリーへの絶対的な信頼があるから断言できることだ。
ふと、あの日,エスフィア・ヴィアンシアレに食事を奢ってもらった日のことを思い出した。
エスフィア・ヴィアンシアレの、アリーを見る目。
自分と同じ、アリーへの愛おしい想いが溢れていなかっただろうか。
その瞳の中に、狂気のような,そんな恐ろしい光がなかっただろうか。
思考の海を漂っていた僕に、そっと言ってきた。
「森の中に住んでいる、魔女を訪ねて知恵を求めてみたらどうですか。可愛らしい少女だけど、とっても賢くてきっと力になってくれる」