後編
ほかほかと気持ち良い春。
私はアルハーンと市場に行って今日の夕飯の材料を探しに行っていた。
「アリーちゃん、今日は新鮮な野菜がたくさん入っているよ」
「極上のカニが取れたんだ、持ってけ!」
小さい頃から住んでいるので市場の人たちとは顔馴染みだ。
「アリーって本当に人気者だね」
アルハーンが、私が次々ともらう食材を手に持ちながら唇を尖らせながら言った。
「僕だけのアリーなのに」
「重いなあ。でも、私が生涯を通して愛するのはアルハーンだけだから安心して」
ちょっと重めの、でも可愛らしく、カッコいい彼とはここの市場で出会った。
旅芸人をしていた彼がたまたまここに来て私がその芸を見に行かなければ出会わなかった。
運命というのは本当に存在するようで、お互いに目を合わせた瞬間に恋に落ちた。
そして、ここの領主であるエスフィア・ヴィアンシアレもこの芸を見ていた。
芸が始まる前、良い服を着た、とてつもない美貌を持った青年が席が分からずにウロウロしているところに声をかけたのが私だった。
「どうされたのですか」
困っている人がいれば助ける。
それは至極普通の行動であり、深い意味もなかった。しかし、貴族社会で揉まれ、心が擦り切れ、人の好意に疎かったエスフィア・ヴィアンシアレは私に疑いにかかった。
「デュアナ卿の差し金か」
「は?」
何を言われているのか分からず、困惑した。
デュアナ卿といえば王都で強い発言力を持っている人。
「いいえ、ただ、席が分からず困っているようでしたので」
そして、エスフィア・ヴィアンシアレの席は私の隣だった。
今思えば、何故貴族なのに特等席を取らずに一般席を取っていたのかそれが疑問である。
それはさておき、座席が隣であったことに渋い顔をしたエスフィア・ヴィアンシアレだったが、芸は見たかったようで黙って席についた。
私は元来お喋りなので曲芸師が大技を決めるごとにエスフィア・ヴィアンシアレに「今の見ました?」「人間技じゃない!」「ほえー」と顔を向けて言っていた。
最初はうるさそうにしていたが、どんどんと態度が軟化し、最後の方にはエスフィア・ヴィアンシアレの方から感想をぽつぽつと言ってくれるようになった。
なんだか、懐かなかった猫がちょっと気を許してくれたみたいで嬉しかった。
楽しい時間というのは過ぎるのが早く、ついに最後の芸となった。
そして、その最後の芸に出てきたのがアルハーンだった。
アルハーンは猛獣使いであり、たくさんの猛獣を引き連れてやってきた。
猛獣の背中に乗って、微笑みを浮かべてやってきたアルハーンは、観客の中から一人,自分を手伝ってくれる人が欲しいと言った。
みな、猛獣を前に手を上げるのをちょっとためらっている。しかし、私は猪突猛進気味であるので、したいと思えばすぐに実行するタイプだ。
「はい!」
元気に手をあげれば、ギョッとしたようにエスフィア・ヴィアンシアレがこちらを向き、小声でやめておけと言う。
全く、冒険心の欠けたやつだ。
無視をして鼻息荒く手をあげ続ければ、こちらに気づいたアルハーンが私を見た。
嗚呼,人間は恋に落ちた瞬間、全身に雷が落ちたかのような痺れを感じると言うけれども間違いでも誇張でもなかったのだ。
アルハーンも同じように固まり、二秒ほど見つめあっていた。
しかし、アルハーンははっと我に返って「では、そちらの美しいレディ。是非、お手伝いを」と舞台から降り立って私に手を差し出した。
私は差し出された手に自分の手を乗せて舞台の上に立つ。
じっと、猛獣たちが私を見ていた。
「大丈夫。この子達は賢いから」
アルハーンは微笑んでそっと私の手を猛獣の頭に乗せた。
ゴロゴロと猛獣の喉が鳴る。
観客席からはざわざわとどよめきが起こり、女性陣は顔を青ざめさせ、天に手を合わせている。
「これは、この子たちの喜びの声。決してレディを食べようとしているわけではないからね」
ほら,とそっと猛獣を突くアルハーンに甘噛みする猛獣。
観客席のどよめきは次第になくなり、次を待つかのように静かになった。
私は間近に見る猛獣が意外と可愛らしく、街を徘徊しては残飯をねだる猫たちと大して変わらないことに気づいた。
ただ、体が大きく、ちょっと爪が鋭いだけ。
頭をそっと撫でてみれば、猛獣は立ち上がって嬉しそうに体を私に擦り付けてきた。
「おや、すごく嬉しそうですね。きっと、レディの優しい心をわかっているのでしょう」
流石に、猛獣が懐くとは思っていなかったようで目を大きく見開き驚きの表情を浮かべていたが、瞬時に切り替えて猛獣を口笛で呼んだ。
「では、そろそろ芸をお見せいたしましょう」
芸の内容は、これから見る人の楽しみを奪わないために割愛するが、観客の反応はとても良いものだった。
終わった後に舞台から降りて席に戻るとエスフィア・ヴィアンシアレが私の手荷物を渡しながら何故危ないことに首を突っ込むのか、始終ヒヤヒヤしたと文句を言ってきた。
「楽しかったし、全然危険じゃありませんでしたよ?」
何を言っているのか、と肩をすくめるとエスフィア・ヴィアンシアレはグッと喉を鳴らしてそっぽを向く。
最後に芸を行った全員が舞台に並んで挨拶をし、幕は降りた。
拍手喝采の中、アルハーンは私の方をキラキラした目で見つめていた。
私はこの後,彼のもとへ行ってたくさん話をしたいと気合を入れていた。
観客が去っていく中、私は手荷物を掴んで芸人控え室の方へと歩く。
何か言いたげなエスフィア・ヴィアンシアレに別れを告げて控え室へ突進すれば、芸人たちはうおおおお、と声を上げてあるものは狂喜乱舞し、あるものは座り込んでおいおいと泣いていた。
後で聞けば、私がアルハーンの元に来るかどうかを賭けていたらしい。
何をやっているんだか、と私もアルハーンも苦笑した。
旅芸人の一座はアルハーンに別れを言って次の街へと去っていった。
どうやら、私とアルハーンが恋に落ちたことを悟ったらしく、いろいろと贈り物を私の家の前に置いていった。
あれから、アルハーンは私の家に住み、街で猛獣の世話をする仕事を見つけてそこで働いている。
猛獣は、敵襲にあった時に一緒に戦ってくれる強い味方となるのだ。
あの日,市場に行って買い物を終えた私たちはいつものように一旦家に戻った後に月に一度の外食へと出かけた。
この街一番の高級なレストランであり、味もピカイチ。
私の友人がここで働いており、料理人見習いとして日々精進している。
その友人が作ったものを格安で食べさせてくれるのだ。
曰く、まだひよっこの作ったものを金を取って食べさせるなどということはできない、とのこと。
流石にお金を支払わないのはちょっとモヤモヤしたので両者それぞれが満足いく値段で食べさせてもらうことにしたのだ。
しかし、その日行ってみると友人は朝から高熱を出して休んでいるとのこと。
つまり、今日はここで食べられないということか。
ちょっとしょんぼりしながら話を聞いていると、背後から何やら聞き覚えのある声がかけられた。
「そこで何故気落ちした表情で立ちすくんでいるんだ。早く入れば良いだろう」
振り返ってみれば、エスフィア・ヴィアンシアレがアルハーンをちょっと睨みつけながら言ってきた。
そして、私たちに説明をしていた店員がエスフィア・ヴィアンシアレに同じ話を繰り返すと何やら考え込んだ様子だった。
「じゃあ、今日は私が頑張って料理しますか」
エスフィア・ヴィアンシアレを放置して店員にお辞儀をして去ろうとすると「待て」と止められた。
待てって、犬じゃないんだけれどもなあ、と思いつつ視線を向けると「じゃあ、支払おう」と言ってきた。
「は?」
じゃあ、という接続詞の使い方がおかしい気がするのだが。