王太子殿下が卒業パーティーで婚約破棄をするとか言い出したのでお説教をしてみました
卒業パーティーで行われる、ヒロインをいじめたことについての断罪&婚約破棄!
その最中に悪役令嬢である主人公は前世の記憶を思い出し、ここが乙女ゲームや小説の世界だということを思い出す!
なんていうのはよくある(?)お話で。
そのよくあるお話からほんのちょっとだけずれて、私は逆ハー小説の主人公に転生したということについさっき気づいた。
目の前に座る金髪碧眼の美貌の王太子ローランド様が、優雅にお茶を飲んで「来月の卒業パーティーでセレイラに婚約破棄を突きつけ、君との交際宣言をしようと思う」と言い出したときに。
王太子殿下が勝手に私物化している生徒会室には、テーブルをはさんで向かい合ってソファに腰掛ける私と殿下、そして扉のところに立っている彼の幼馴染であり護衛騎士でもある侯爵家次男のアーウィン様。
彼は同い年で、将来は騎士団長になるというよくある設定。黒髪に青い瞳。もちろん美形。
私はというと、アリアという名前の男爵家の娘。ふわふわのピンクゴールドの髪に深い緑色の瞳。とてもかわいらしい顔立ち。
ちなみにローランド様の婚約者で悪役令嬢のセレイラ様は公爵令嬢で銀髪にアイスブルーの瞳、きつそうな美人でもちろん縦ロール。
美形ばかり。もはや美形の大安売り。
なんかもう笑っちゃうよね、設定がありがちすぎて。だってこの小説、私がネット小説や乙女ゲームに触発されて中学生のときに書いた、思い出すだけで恥ずかしいイタタ逆ハー小説だもん。
とりあえず“悪役令嬢が主人公でヒロイン(私)に盛大にざまあする話”にしなくてよかった。こわいこわい。
「どうした、アリア。いつものように“ローランド様、うれしいですぅ”と目にうっすら涙を浮かべて微笑んではくれないのか」
さすが私が書いたイタタ小説、ヒロインの言動はかなり痛い。
そしてそれをこよなく愛する趣味の悪い王太子殿下。
アーウィン様のちいさなため息が聞こえる。そりゃそうだよねえ、次期国王たる王太子が公爵令嬢である婚約者を大勢の前で振って、おバカな男爵令嬢と交際宣言をしようというんだから。
あ、でもため息をついてるアーウィン様ものちのちヒロイン(私)に惚れて、その苦しい恋心を云々になる設定。みんな趣味悪いな~。って私のせいか。
小説は殿下と私が結婚して幸せに暮らしました、で終わったんだけど、現実はそうはいかない。
結婚なんてスタートにすぎない。前世バツイチで孤独死した私が言うんだから間違いない。
ましてや一国の王室のこと。慣習や貴族の力関係を無視した強引な結婚、王妃教育何それおいしいの状態の私、女の趣味と頭が悪い次期王とくれば、この国はどうなってしまうのか。
いや、そう書いたのは私だから仕方がない。彼らは悪くない。
卒業パーティーでの婚約破棄をすると言い出したのも、小説ではそうなっていたから。
私のせいだ。だから、私が正さないといけない。
自分が転生した時点で、ここはただの「小説の中の世界」じゃないんだから。
「ローランド様」
「なんだいアリア。やはり喜んでくれるのか」
「そのお話、なかったことにしてください」
「……?」
ローランド様うれしいですぅという返答しか予想していなかった彼は、ハトが豆鉄砲をくらったような顔をした。
「なかったこと、とは」
「ですから、卒業パーティーで婚約破棄の発表などおやめください。そもそも、婚約破棄自体をやめてほしいのです」
「な、何を言う。君をこそこそといじめてきたセレイラを皆の前で断罪し、君と付き合うと堂々と宣言するんだぞ。それをやめてほしい? まさかセレイラに脅されたのか!?」
「まさか。違います」
「では何故だ」
「理由をお知りになりたいですか?」
「あ、ああ。当然だろう」
「本当に?」
「一体今日の君はどうしたんだ。いいから理由を聞かせてくれ」
「承知いたしました」
私は紅茶を一口飲んで、カップを置き、大きく息を吸った。
「まず大勢の貴族の子女の前で公爵令嬢に大恥をかかせるなどあってはなりません。そもそも人前での婚約破棄宣言自体がありえないのに、公爵家のご令嬢ですよ? 王家に次ぐ権力を持つ公爵家のご令嬢ですよ? 大事なことなので二回申し上げましたが、どういうことかお分かりですよね。この国の頂点に立つのは言うまでもなく王族の方々ですが、その権力は何があっても安泰だと言い切れるものではないと思います。貴族間の微妙なパワーバランスの上に成り立っているものですから、国王陛下の名のもとに承認された国王派の公爵家ご令嬢との婚約を公衆の面前で堂々と破棄するなど、危険極まりない行為でございます」
「お、おい」
「しかも私と交際宣言をなさるとおっしゃいましたね。そのお気持ちは大変うれしく思いますが、公爵家のご令嬢に大恥をかかせた後で私と交際宣言などなさったら、翌日から貴族の皆様がローランド様と私を見る目はさぞ冷たくなることでしょう。セレイラ様のお父様もさすがに黙ってはいないかと思います。いずれ王になられるお方ですから、愛人の一人や二人持っていても本来ならば許されるお立場ですが、それはセレイラ様を王太子妃として正式に迎え入れてなおかつ時間をおいてから側室として迎えることで初めて許されることです。“そのうち王太子殿下の私生児でも現れるんじゃないか”と噂されるような行動は慎まなければなりません」
「ア、アリア」
「それと、私は男爵家の娘です。田舎領主の娘です。人口より家畜の数が多いド田舎男爵領出身です。そんな私が王太子殿下の妃となれるはずがありません。王妃教育すら受けていないし、国王陛下をはじめとする皆様がこの交際に反対するでしょう。だからといって交際するだけして結婚は別の方ととなると私は“王太子殿下に遊ばれ捨てられたお手付き女”と噂され結婚もできず実家のお荷物になるか修道院行き。側室になったとしても、公爵家を後ろ盾に持つセレイラ様を学生の頃からを押しのけて寵愛を受けている男爵家の娘などいじめ倒されることは必至。それ以前に妻が複数いるという状態に私は耐えられません」
「ア……アリア……。ならば私はどうすればいいのだ。私にとっては君が一番だというのに」
ローランド様が悲しげな顔をする。
かわいそう、申し訳ないという気持ちもうっすらとわいてくる。
けれど。
君が一番という男には二番目がいるとはよく言ったものだわ。
ローランド様は私のほかにも二人、同時進行している。つまり三股。セレイラ様も入れれば四股?
よくやるわ。というかなんでそんなキャラに書いちゃったの、私。たぶんモテる男が最終的に自分を選ぶというのを演出したかったんだろうけど、これじゃあただのだらしないアホ男じゃない。
前世の記憶を思い出すまでは、セレイラ様は義務的な関係、ほかの子は遊び、自分だけは特別とあまり気にしていなかった。
そのポジティブ思考がうらやましい。
女好きや浮気癖は直らない。前世旦那の浮気で離婚することになった私が言うんだから間違いない。
今世でも結婚しなければならないなら、誠実な人がいい。
貴族である以上、思い通りの結婚なんてできないだろうから無理なのかもしれないけど。
「ローランド様は次期国王になられるお方。国の宝でございます。そしてセレイラ様は幼少より厳しい教育を受けた、国母となられる立派なお方。私や子爵令嬢マリーナ様、男爵令嬢ローゼリー様よりもセレイラ様を大事にし、仲睦まじいご夫妻となられることを願っています」
ローランド様がぐっと言葉につまる。
私はその場でかるく頭を下げた。
「今までかわいがってくださり、ありがとうございました。殿下と過ごした日々は良い思い出です。立場もわきまえず生意気なことを言って申し訳ありませんでした」
たかが男爵家の娘が王太子殿下に言っていいようなことじゃなかったというのはわかってる。
でも、ここは「身分にとらわれずすべての者が自由に発言できる」学園。
この方に説教をするなら今しかなかった。
私の言葉がこの方を変えられるなんて自惚れはしないけど、少しでも心に響いてくれるといいんだけど。
ローランド様を浮気者でアホな王子として書いてしまった私にできることは、これしかないから。
「では失礼いたします」と立ち上がって扉へ向かうけれど、ローランド様は微動だにしなかった。
扉の横に立っているアーウィン様と目が合う。彼は驚いたような顔で私を見ていた。
そりゃあびっくりするよね。昨日までは「ローランド様ぁ、お会いしたかったですぅ」だったのに今日は長々説教かまして別れるって言いだすんだから。誰? って感じだよね。
「アーウィン様、失礼いたします」
「あ、ああ」
背、高いなあ。私より頭ひとつ分くらい高い。
すっと伸びた背筋に、制服の上からでもわかる鍛えられた体躯。
さすが逆ハー要員だけあってかっこいい人だ。中学生当時はこういうタイプには興味がなかったんだけど、こっちがヒーローでもよかったんじゃ、と思った。
「王妃アリアを一途に想い、妻を娶ることもなく王室騎士団長としてその切ない恋心を胸にしまったまま生涯彼女を守り続けた」って最終話に書いたな、そういえば。自分で書いておいてなんだけどひどい扱いだ。
私は彼がこれから徐々に惹かれていく明るく素直でだれに対しても優しいアリアじゃなく、王太子殿下が白く燃え尽きるまでえらそうに説教をたれたアリアだから、もう逆ハー要員にはならないだろうけど。
それでも、彼は扉を開けてくれた。親切な人だ。
「ありがとうございます」
「ああ……気を付けて」
彼に対してかるく頭を下げ、私は生徒会室を後にした。扉の外の護衛にもぺこりと頭を下げる。
窓の外を見ると、空が赤く染まり始めていた。大半の生徒は寮や自宅に戻っている時間。長い廊下を歩いても、すれ違う人もいない。
廊下の角を曲がると、そこに銀髪縦ロールの美女が立っていた。
セレイラ様だ。うわあ、ほんっとに美人だわー。表情がものすごく怖いけど。
「ごきげんよう、セレイラ様」
「また殿下と生徒会室で会っていたのね」
つかつかと、私に歩み寄ってくる。明らかに怒りをまとっているのに、その歩く姿も顔もため息が出るほど美しい。
そして私の目の前に来たところで手を振り上げ……
「この泥棒猫!」
あまりにお決まりなセリフを吐いて、手を振り下ろした。
私の頬が乾いた音を立てる……ことはなく、その手は私の後ろから伸ばされた手に阻まれていた。
驚いて振り返ると、すぐ後ろにアーウィン様が。足音したっけ?
すぐ近くで青い瞳が私を見下ろしていて、一瞬ドキッとする。
「くっ、アーウィン! 手をはなしなさい!」
「みっともない真似はやめるんだ、セレイラ」
王太子殿下とアーウィン様、セレイラ様は幼馴染だ。
本来ならアーウィン様とセレイラ様は気心の知れた友人なんだけど、私という存在でそこにヒビが入ってしまっていた。
つまり悪者は私ということに。
「アーウィン様、助けてくださってありがとうございます。セレイラ様とお話がしたいので、セレイラ様を放していただけますか?」
「……君がそういうならそうするが。大丈夫か?」
「はい」
「勝手に決めないでちょうだい! わたくしはあなたと話すことなんて……」
「王太子殿下とお別れしてきました」
セレイラ様のアイスブルーの瞳が大きく見開かれる。
「どこか人目につかない場所でお話ししていただけませんか?」
「……。わかったわ」
「ならそこの談話室がいいだろう。この時間なら誰も使っていないはずだ。俺が扉の外で見張っていよう」
「私が口を出すことではないと思いますが、殿下の護衛はいいのですか?」
「殿下は呆けたように動かないし、扉の外の者に任せた。俺も生徒だからもともと四六時中殿下の護衛をしているわけではないし、学園内なら一人でじゅうぶんだ」
「わかりました。ありがとうございます、アーウィン様」
笑顔を向けると、彼は赤くなって目をそらした。
あれ? いくら彼が逆ハー要員とはいえ、「殿下と正式に交際しだした後に自分の気持ちに気づく」という設定だったのに、今そんな反応?
ましてや今日の私の中身は説教おばさん。急にそんな反応をするような要因はないと思うんだけど……。
まあいいや。
二人で部屋に入り、扉を閉める。この時間は大きなガラス窓からもろに西日が入るから、夕方に談話室を使う人はめったにいない。
「お話ってなんですの。そもそも殿下とお別れしたというのは……」
「その前に。今までセレイラ様のお気持ちも考えず、殿下に馴れ馴れしくして申し訳ありませんでした」
思いっきり頭を下げる。
その顔にヒザ蹴りでもされたらどうしようかと思ったけど、さすがにセレイラ様の美しいお膝が顔面に飛んでくることはなかった。
長い沈黙は、セレイラ様のため息によって破られた。
「今さら、ですわ」
「そうですよね。申し訳ありません」
「まず頭をお上げなさい。なぜ殿下と別れたというの」
「婚約者であるセレイラ様を傷つけてまで殿下とお付き合いするのは間違っていると今さらながら気づいたからです」
「……。もしかして殿下はあなたのためにわたくしとの婚約を解消すると言い出したのではなくて? だからあなたは身を引こうと」
「……」
とっさに言葉が出てこない。
いいえと嘘をついていいものか、正直に言うべきか。正直に言うにしても、まさか卒業パーティーでやらかすつもりだったなんて言えるはずもない。
「沈黙が答えですわね。殿下はそこまで……」
「申し訳ありません。もう二度と殿下と二人きりで会うような真似はいたしません」
「それを信じるのだとしても、殿下のお心がわたくしに戻ってくるわけではないわ」
セレイラ様の瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちる。
きれいな仕草でその涙をハンカチでぬぐうセレイラ様は、どこか弱弱しく見えた。
私が、ここまで傷つけてしまった。
セレイラ様が椅子に座る。私も、「失礼します」と丸テーブルをはさんだ向かいに座った。
「どうしてなのかしらね。幼いころは仲が良かったのに。どうしてわたくしからはどんどん心が離れて、あなたは愛されたのかしら。……こんなこと、恋敵だったあなたに言うのもおかしな話ね。忘れて」
テーブルの上でゆったりと組んでいる白い手が、小刻みに震えている。
言うべきか言わないべきか悩んだ。でも、私は作者として、そしてセレイラ様を昨日まで苦しめていた張本人としてこの方を少しでも助けたい。
「理由をお知りになりたいですか?」
「え? それはもちろん。理由がわかるのなら」
「本当に?」
「え、ええ……」
「承知しました。では失礼を承知で申し上げますと、セレイラ様は少々殿下に対して当たりが強いのではないかと」
「当たりが強い、というと」
「例えば、人がいる前で殿下に注意したりといったことですね。私が聞いた限りでは、言っている内容はセレイラ様が正しいと思います。ですが、殿下にもプライドがあります」
「……」
一寸の虫にも五分の魂ということわざが浮かんだけど、さすがにセレイラ様の前でそれを口にするのはやめた。
「大勢の前で殿下に意見をすることはなかったと思いますが、例えば気心の知れたアーウィン様の前であっても、女性から叱られるのはプライドが傷ついたかと思います」
と言いつつ私はついさっきアーウィン様の前で死ぬほど説教しちゃったんですけどね。
嫌われるつもりだったからちょうどいいけど。
「それは……殿下とこの国の将来を思って……」
「はい、そのお心がけは嫌味でもなんでもなくご立派だと思います。私にはない、未来の国母としてふさわしいお考えをセレイラ様はお持ちです」
「それでも意見をしてはいけないと?」
「陰でこっそり、あとはかわいらしく言うのです」
「か……かわいらしく……」
「はい。時には厳しく言うことも必要かと思いますが、基本はかわいらしくです」
セレイラ様が顔を覆う。
「そんなの……無理よ。わたくしは常に誇り高く美しくあれと教えられてきたわ。それを……」
「そこ! そこなんです!」
「え?」
セレイラ様が手をどけて私を見る。
「セレイラ様は眩しいばかりにお美しくて所作もマナーも完璧です。だからこそ、隙がなさすぎて殿下が気後れしてしまうのです」
「そ、そんな……それじゃあどうしたら……」
「まずは笑顔です。上品な微笑みもお美しいですが、二人きりのときは思い切りニコッと笑って甘えるのです。子供のように無邪気に。笑顔を嫌いな男性はめったにいません。それが美人の笑顔ならなおさらです」
「無邪気な笑顔……そういえばあなたはいつも笑顔だったわね。人前であんなに笑ってはしたないと思っていたけど、その笑顔が殿下のお心を癒していたのね」
セレイラ様が視線を下げる。
影を落とすほどまつげが長くて、思わず見とれてしまう。
「セレイラ様は私よりずっと美しいのですから、もったいないです。ためしに笑ってみてください」
「え? こ、こうかしら」
口元にうっすらと笑みを浮かべてほほ笑む。ああ、美しい。でも。
「もっとです。もっと無邪気に」
「こ、こう?」
ニコッとセレイラ様が笑う。
くうぅぅ~~~、かわいい! かわいすぎる!
いつもは大人びたセレイラ様が、あどけなくかわいく見える。これよこれ!
「そうです、それなのです。それを殿下と二人きりのときに、時々見せるのです。男性は自分だけに見せる特別な顔というのに弱いものです。セレイラ様のような気高い美人がそのように愛らしい顔を見せれば、殿下はイチコロです」
「いちころ……。本当にそうかしら」
「はい! 殿下は甘えられるのが好きなのです。時に厳しく、時に甘える。そうして殿下をうまく転が……いえ、きっと殿下はセレイラ様に夢中になられるかと思います!」
力が入りすぎて、思わず立ち上がってしまう。
セレイラ様のきょとんとした顔に急に恥ずかしくなって、静かに座る。
「申し訳ありません。えらそうにアドバイスなど。ましてや今まで殿下に取り入っていた女が……」
「それはもういいわ。本当はわたくしがいけなかったのよ。殿下のお心に寄り添うこともせず、ただ愛されることを願いながらあなたに嫉妬して嫌がらせして。ましてや王室に入ろうという身なら、自分以外の女性が殿下の傍にあることに嫉妬したりしてはいけなかったのに」
嫌がらせ。
たしかにビンタされたり水をかけられたりセレイラ様とその取り巻きに囲まれたり鞄の中に毛虫が入ってたりしたけど、私だってセレイラ様の心を深く傷つけてたんだから、その程度の嫌がらせなんてむしろかわいいものだわ。
「セレイラ様は殿下のことが本当にお好きなんですね」
「……ええ、そうね。思えば、その気持ちを殿下にちゃんと伝えたことはなかったわ。だから、素直に伝えてみようと思うの。笑顔でね」
そう言ってニコッと笑うセレイラ様は本当にきれいで愛らしくて。
きっと殿下も夢中になるだろうなと思った。
それから一週間。
仲睦まじく廊下を歩く殿下とセレイラ様に向けられる、生徒たちの温かい視線。
そして私に向けられる哀れみと嘲りの視線……。
まあいいけど。前世の記憶が戻る前とはいえ、私が婚約者である二人の仲を引き裂いていたんだもん、自業自得だよね。
学園の皆さん曰く、私は「王太子殿下を誘惑し一度は公爵令嬢から殿下を奪い取ったものの、お二人の間に目覚めた真実の愛に無残に敗れて捨てられた悪女」らしい。
親友とは言わないまでもそこそこ仲良くしていた女の子たちも私から離れ、見事にぼっちになった。
こんなことなら親友キャラでも作っておくんだった。
卒業パーティーもぼっち参加確定だし、もう出なくてもいいかなあ。
ふと、遠くにいたセレイラ様と目があう。彼女はとても優しく微笑んでくれた。
セレイラ様、表情が柔らかくなって本当にお美しくなったなあ。そんな彼女に殿下も夢中みたい。よかった。
きっとセレイラ様なら立派な王太子妃になられる。そしてセレイラ様と一緒なら、王太子殿下もきっと大丈夫……なはず。たぶん。
セレイラ様には、私に気を使って話しかけたりしないようお願いしておいた。
まだまだ噂の渦中にいるし、今は噂好きにエサを与えないためにもお互いに距離をとっていたほうがいい。正直なところ殿下とも顔を合わせづらいし。
今日も一人寂しく中庭の端のベンチで自作のサンドイッチを食べていると、後ろから「隣に座ってもいいだろうか?」という低くていい声が。
振り返ると、アーウィン様がそこに立っていた。
「アーウィン様。えっと……どうぞ?」
「ありがとう」
なにしに来たんだろうという疑問とともに、隣に座る彼を見上げる。
目が合うと彼は少し微笑んだ。
イケメンの微笑に落ち着かない気持ちになって、思わず目をそらす。
「アーウィン様はなぜここへ?」
「君と一緒に昼食を食べたいと思って」
「そ、そうですか」
そのまま会話が途切れる。
間が持たなくてサンドイッチにかじりつくと、隣のアーウィン様がちいさく笑ってランチボックスを開け始めた。
「なぜ君は噂に対して黙っているんだ?」
「え? ああ……捨てられた悪女というやつですか。本当のことですし」
「悪女ではないだろう。悪女だったら、若気の至りでしたでは済まなかったであろう婚約破棄を止めたりしない」
「ただ単にセレイラ様を押しのけてまで殿下とお付き合いする自信がなかっただけです。直前で臆病風に吹かれた、ただの性格の悪い女なんです」
「セレイラにあんなアドバイスをする君が性格の悪い女なわけはないだろう」
「聞いていたんですか」
「そのつもりはなかったが、聞こえてしまった。セレイラ自身が君の噂を否定して回っているから、いずれ悪女だという噂も収まるとは思うが」
「そうですか。それはよかったです」
捨てられた悪女だと思われても仕方がないけど、そう思われたいわけでもないし。
「君は不思議な女性だ。つい先日までは無邪気なだけの女性だと思っていたし、いつもローランドから君に近づいていたとはいえ、君の存在を少々苦々しくも思っていた」
「あはは、そうですよね。そう思われて当然だと思います」
「だがあの日、君は急に変わった。一体何があったんだ?」
前世を思い出したからだなんて言えない。
「先ほども申し上げたとおり、殿下の恋人になるのが急に怖くなっただけです。吹けば飛ぶような男爵家の娘ですから、最悪暗殺なんてこともないとは言い切れませんし。怖くなったから、恐れ多くも王太子殿下にえらそうに説教をして嫌われるように仕向け、逃げた。それだけです」
アーウィン様が視線を下げ、口元に手をやる。
鼻筋がきれいな横顔と男らしい手に、思わず見とれてしまった。
「わかった……今は詳しくは聞かないでおこう。だが、俺は以前よりも今の君のほうが好きだ」
持っていたサンドイッチが、ぽろりと落ちる。
それをアーウィン様が見事にキャッチした。すっごい反射神経。
「誤解を招くようなことは……」
「誤解ではないんだが」
私のランチボックスにサンドイッチを戻しながら言う。
そうすると距離が近くなって、心拍数が上がった。
「わ、私はアーウィン様の好みのタイプではないかと思うんですが」
「君が俺の好みのタイプをどう思っているか知らないが、俺は頭がお花畑だったローランドにガツンと一撃をかまし、セレイラを助けた君を好きになった。ただそれだけだ」
あまりに急かつストレートな告白に、思考がついていけない。
顔があつくて、彼の顔を見られない。
「俺は武骨で剣以外は取り柄のない男だ」
いやいやイケメンでスタイルもいいし、近寄りがたいから告白できないだけであなたのことを好きな女の子はたくさんいますよ。
「女性と付き合ったこともないし、気の利いた会話もできない。女性の気持ちもきっとよくわかっていないだろう。だが、誠実さだけは誰にも負けないつもりだ。そんな俺でもよければ、その……いきなり付き合ってくれとは言わないから、まずは卒業パーティーにパートナーとして出席してくれないだろうか」
「は……はい」
うわっ、即答しちゃった!
どうした私!
「ありがとう」
ようやく彼を見上げると、少し頬を染めて優しい顔でほほ笑んでいた。
あーもう、この顔反則。
「ローランドにはもう少ししてから俺から話をしておくよ。急にセレイラと仲睦まじくなったし、まあ問題ないだろう」
「はい……」
「卒業パーティーまであとひと月と少しか。それまでにもっと君と一緒の時間を過ごしたいし、君にも俺を知ってほしい。週末、一緒に出掛けないか?」
「えっ」
「嫌か?」
「嫌ではありませんが、気持ちが追いつきません。アーウィン様がこんなに積極的な方だとは知りませんでした」
クス、と彼が笑う。
「指をくわえて見ていても欲しいものは手に入らないだろう。ましてや今は卒業間近。今のうちに君とのつながりをしっかり作っておかなければ卒業してそのままになってしまう可能性がある。それに、君がローランドから離れた今、君にほかの男たちが近づいてくるかもしれない」
「悪女なのにですか?」
「そう言っているのは主に女性だからな。君はとても愛らしいから、君に近づく機会を狙っている男もいるはずだ。卒業シーズンになると、急にカップルが増えるというし」
卒業パーティーもあるもんね。
同性同士でも当然参加はできるけど、やっぱり異性パートナーがいたほうが、という風潮が強い。
「というわけで、遠慮はしない。好きになった人を逃したくはないから。だからといって強引になりすぎないよう気を付けるよ。君に好かれるよう努力する」
まっすぐに私を見つめながらそんなことを言われて、頭がくらくらする。
こんな風に告白されて動揺しない女の子なんているんだろうか。
でも、同時に不安になる。
アーウィン様がここまで私に好意を寄せるのは、逆ハー要員としての強制力か何かじゃないんだろうか、と。
……ううん。
そんなこと考えても仕方がないよね。
私も目の前のアーウィン様もただの登場人物じゃなく、感情を持って今ここに生きてる。
殿下とセレイラ様も私の書いた痛い小説とは違った展開になった。
不安がまったくないわけじゃないし、未来がどうなるかなんてわからないけど、今目の前に起きていることを大切にしていかなきゃ。
「アーウィン様」
「なんだ?」
「週末、楽しみにしていますね」
ぱあっと笑ったアーウィン様の笑顔は太陽のようで、私はまたドキドキしてしまった。
しばらくは「王太子殿下から将来有望な殿下の側近に乗り換えた尻軽ピンク女」とか噂されるかもしれないけど、仕方がない。人生いいことばかりじゃない。
小説とはおおいに違う展開になったし、これからが大変なのかもしれないけど、頑張って幸せになっていこう。