第十話 召喚
子狐を連れ、二人はサイクリングロードを元来た通りに戻っていく。
しかし、どれくらい走っただろうか。本来ならすでに森を抜けてもおかしくない程に走ったはずなのに、彼らは一向に森から出ることはない。
「あれ? ボクらこんなに奥にまで来てたっけ?」
「いや、普通ならもう森の外だ。様子見してたんだが、こうもあから様に仕掛けてくるとは思わなかったぞ」
「えっ?」
「結界に閉じ込められた。それもかなり高度な術式だ」
自転車を止め、統也が周囲を見渡しながら言うと、錬は顔を強ばらさせる。
「結界って!? そんな! ここって学院島の中だよ!? しかも監視とかあるはずなのに!」
「それを上手くごまかしてるって事だろ? あるいは学院の誰かなのかもな」
統也から見ても、中々に上等な結界だ。結界に囚われる際の違和感も一瞬だった。
この子狐と接触してからずっと視線を感じてきた。よもやこうもあから様に仕掛けてくるとは思ってもみなかった。
「それを上手くごまかしてるって事だろ? あるいは学院の誰かなのか。で、そこの所は応えてくれる気はあるのか、そこの奴」
統也が森の中のある一点を凝視しながら言うと、一本の木の前の空間が急に歪みだした。
「よくぞ見破ったと褒めておきましょうか」
「バレバレとは言わないが、視線が隠しきれてなかったぞ」
そこから現れたのは、見るからに怪しい人物だった。黒いパーカー付きの外套で顔を隠した人物。声はどこか合成音の様に聞こえた。
「そんなあから様な格好で正体を隠して暗躍なんて、どこぞの三流小説でもあるまいし。今時無いだろ?」
「いえいえ。こういうのは格好から入るのが基本ですよ。正体も隠せて相手を威圧しやすいですから」
一切焦っている様子を見せない統也に、謎の人物はくすくすと笑いながら、知り合いに話しかけているかのような口調で話をする。
「い、十六夜君」
「落ち着け。慌てなくてもそのうち異変を察知して誰か来るだろ」
「そう言った希望的観測は駄目ですよ。残念ながら、この結界はそれなりに高性能で、簡単には気づかれないようになっています。いかにこの学院の教師達が優秀でも、短時間で異変を察知する事は不可能ですよ」
「随分と自信があるんだな」
「ええ。こんな格好でもそれなりの術者と自負しておりますので」
ごほんと、謎の人物は咳払いすると本題に入ろうとした。
「では前置きはこのくらいで。何故貴方達をこの結界に閉じ込めたかと言うと、単純にその狐を渡して欲しいからです」
「この子を!?」
「ええ。その子がどうしても欲しい。渡してくださるなら、危害を加えないように約束しましょう。まあ記憶は弄らせて貰いますがね。こちらもいきなり学生二名が行方不明になったり死んでいた、なんてなればこの学院も本腰を入れて動きかねない。それはこちらとしても困るんですよ」
外套の人物がどれだけの術者か分からないが、確かに一個人、あるいは組織の一員かも知れないが、それでもこの学院と事を構えるのは得策ではないと考えるの当然だ。
この学園の学生がいきなり二人もどうにかなれば、大騒ぎは間違いない。
「どうですか? 悪い話じゃないはずですよ」
「どうしてこの子を!?」
「その子が欲しいからですよ。それじゃあ駄目ですか? 受肉した霊狐って、あんまりいませんからね。研究にはちょうど良いんですよ」
「だったらあんたは学院の関係者ってことか?」
「どうでしょうね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「いや、この島にいる時点でそうだろう?」
「いやいや、あるいはこの学院に潜入しているスパイかも知れませんよ?」
統也と謎の人物があまりにも自然に会話をしていることに、錬は一人戸惑っている。
「えっ、えっ? 何でそんなに普通に会話してるの?」
「そう言えばそうですね。学生の割には中々肝が据わってますね」
「別に必要以上にビビる必要も無いだろ。会話だけで、何かをしてくるわけでも無いんだから」
「なるほど、時間稼ぎと行ったところでしょうか? これはまずいですね。ではさっさと会話を切り上げて、目的を達成しようとしましょうか」
「性急だな。もう少し会話してくれても良いんじゃねえか?」
「こう見えても忙しい身なので。それで返答は?」
問いかける謎の人物に錬は何と答えて良いのか返答に詰まった。自分一人なら抵抗すると言っても良いが、統也もいる中では、自分一人が勝手なことを言えない。子狐を抱く腕が強ばる。
「残念だが、取引は不成立だ」
「えっ?」
「おや? 何故ですか?」
統也の言葉に錬は驚き、謎の人物は不思議な顔をする。
「何故って、こちらが子狐を渡しても、お前が約束を守る保証もないしな。それに怪しい奴と取引って言うのは、心情的に受け付けない」
「愚かな選択ですよ?」
「それはどうかな? つうか不破はどうだ? 俺だけが勝手に話を進めちまったが」
「ボクも十六夜君と同じだよ。あんな怪しい奴にこの子は渡せない!」
「と言うことだ。悪いな」
「はぁ、仕方ありませんね。出来れば穏便に済ませたかったのですが」
謎の人物から妖気があふれ出した。
「霊力から察するに、退魔士か退魔士見習いでしょうが、愚かな選択をしましたね。二人がかりなら、どうにかなると思ったのですか?」
妖気と言うことは妖魔か? いや、気配は人間と言うことは……。
「あんた、妖術師か?」
妖術師。人間でありながら、霊力を用いながら、それを変質させ妖気として運用し、妖魔などを使役する存在。霊術とは異なる妖術を用いて暗躍する、退魔士から見れば忌むべき存在である。
「さあ、それにお答えする義務も義理も無いですね。交渉は決裂です。無理矢理にでも貰っていきましょう。ああ、心配しなくても殺しはしませんし、きちんと治療して上げますよ。でもまあ、記憶は弄りますし、元通りになるとは思わないことですね」
「洗脳や改造ってところか。碌な未来じゃないな」
「そうですね。でも選んだのは貴方達ですよ。心配しなくても、私好みに仕上げてあげますよ。ちょうど退魔士の配下も欲しかったですし」
そう言うと、妖術師の周辺に光り輝く逆五芒星の陣が出現した。陣から放たれる妖気は凄まじくあふれ出す瘴気に、錬は身体が震えだした。
「う、嘘。これって……」
「おいおい、マジかよ」
陣から出現するのは赤い表皮の三メートルはあろうかと言う巨大な人型。恐ろしい面構えと尖った牙。頭部には日本の角が生えた強大な力を持つ鬼と呼ばれる種族だ。
「最上級妖魔の赤鬼。ただの学生には少々荷が重い相手でしょうね。あまり時間をかけるわけにはいきませんので、こちらの最大級の戦力で即座に終わらせましょう」
錬はあまりの威圧感に完全に萎縮している。ギロリと睨まれると、それだけで身動きが取れなくなってしまった。
だが統也はと言うと、逆に笑みを浮かべている。
「なんだ。すげえのを喚べるじゃねえか」
「何を笑っているのですか? 恐怖でおかしくなりましたか?」
妖術師は統也が何故笑っているのか、理解できなかった。いや、恐怖で感情が壊れたのだろうと勝手に結論づけた。
「妖力値は二十二万。まともに戦って勝てる相手ではありませんね」
統也の今の霊力は最大で五万である。その差は単純に四倍以上。さらに先ほど治療に使った霊力消費から現在の霊力は四万ほど。しかも今の統也は手元に武器を持っていない。
「不破の霊力は……三万くらいか? まあまともにやりあっても、勝てる差じゃないな」
いかに統也と言えども、今の状態でこの相手に勝てるとは思えない。どう足掻こうが、相手を手こずらせる程度の戦いにしかならないだろう。それは錬が加わっても同じだろう。
「い、十六夜君。こんなの、勝てるわけないよ。逃げるしか、ないよ」
震えながら何とか声を絞り出す錬。顔は青ざめ、息を荒げている。赤鬼の妖気に当てられているようだ。
「逃げれると思うか? この結界を抜ける前に、あいつに追いつかれて終わりだ」
「ええ、その通りです。あと、今更その狐を差し出しても遅いですよ。ここで徹底的に恐怖を刻み、愚かな選択をした事を後悔させてあげますよ」
「その前にこんなの召喚したら、学院に気づかれるだろ」
「大丈夫ですよ。この結界の中は異界となっていますから、よほどの霊力や妖力でなければ、外に漏れませんよ。あと、この結界の中は外の時間軸とも若干のずれがあって、あちらでの一時間はこちらでの五分程度です。ですので、貴方達をいたぶって絶望させ、頭を弄って治療して送り出しても、あちら側では騒ぎにはならないでしょう」
より絶望的な言葉が妖術師の口から放たれる。錬はあまり事態に呆然とする。
「だが誰かが、この結界に気づくかもしれないぞ」
「いえいえ、言ったじゃ無いですか。簡単には見破れないって。それこそ、この学院の教員でもトップクラスかこの学院の五星クラスでもなければ違和感に気づきませんよ。私、こう見えてもそれなりの妖術師ですので」
どこか自慢する様に言い放つ妖術師。確かに最上級妖魔を簡単に使役する術者が、並に存在のはずではない。
「ではでは、せいぜい頑張って抗ってみてください。ああ、ちなみに私を直接狙うって言うのも無理ですよ。なぜなら……」
さらに逆五芒星の陣が出現し、中から新しい妖魔が出現する。上級妖魔と思われる巨大な百足とサンショウウオのような妖魔だ。二体とも体長は数メートルはあろうかと言う巨体だ。
「さらに私自身の回りにも防御の結界を張りました。直接私を狙うのは不可能ですね」
(む、無理だ! こんなのどうしようもないよ!)
錬は今にも泣きそうになった。入学の前日にこんなことになるなんて。
ようやくこの学園に入学が決まり、やっと自分の目的を達成するための第一歩を踏み出そうとした矢先に、こんなことになるなんて。
(何が悪かったんだ? ボクがこの子を見つけたから? ボクが取引を受け入れなかったから?)
どれか一つでも違えばこうならなかったのか? それとも、そもそも自分の存在が悪いのか?
(ごめん、十六夜君。ボクのせいだ……)
自分がこの子を見つけなければ、こんなことにならなかった。自分だけでなく、彼を巻き込んでしまった。
(せ、せめてボクが少しでも時間を稼がないと……)
錬は震えながらも、何とか戦う意思を持とうとする。相手へと威嚇する子狐を下ろすと、錬は恐怖に負けそうになる自分を叱咤し、霊力を絞り出し、戦闘態勢を取る。
「おやおや、震えてますよ。抵抗しなければ恐ろしいのは一瞬ですよ?」
「ぼ、ボクは退魔士になるために、こ、この学院に、来たんだ。た、例え勝てなくても、か、簡単に妖魔には、くっ、屈しない!」
「いいますね。でも意気込みだけで勝てるほど、優しい世界ではないですよ。で、そっちの君はどうですか?」
錬の隣で笑みを浮かべている統也に妖術師は聞き返す。
「俺も不破と同じ意見だ。でも不破、せっかく格好つけてるのに、震えてるんじゃあんまり締まらないぞ?」
「い、十六夜君! 今はそんな事言ってる場合じゃ!」
「悪い悪い。別に馬鹿にしてるわけじゃ無いぞ。ただ感心してるだけだ。それとも何か切り札があるのか? この状況を打開できる物が?」
「……ごめん。そんなの無いよ。巻き込んじゃったボクがこんなこと言える立場じゃないけど、ボクにはこんな状況を打開できる凄い力は無いんだ」
瞳に涙を浮かべ、悔しそうに呟く錬。錬も退魔士としてのポテンシャルは決して低くはないだろう。しかしそれでも創真一族に匹敵するものではないだろうし、現時点では才能など何の意味も無い。
その様子を見ていた妖術師はクスクスとフードの奥で笑っているようだった。
「残念でしたね。それで貴方はあるんですか? この状況を打開できる切り札が?」
馬鹿にするかのように言う妖術師。当然、妖術師も錬も統也にそんな物があるとは思っていなかった。
しかし……
「あるぞ、切り札」
「えっ?」
「はっ?」
統也の何気ない一言に、思わず二人はそんな声を出した。
「もったいぶるつもりはなかったんだが、ちょうど良い。リハビリがてらに、どれだけ実戦で使えるのか試したかったところだ。だから感謝するぜ、妖術師」
統也はそう言うと、右手を前に突き出した。
霊力が収束する。光り輝く霊力の中からそれは出現した。
剣が収まっていない漆黒の鞘。統也の霊創器がこの場に顕現したのだ。
「ふっ、あはははは! そうですか、貴方がそうでしたか! 噂は聞いていましたよ! 創真一族の無能者! 落ちこぼれ! 欠陥品の霊創器を召喚した宗家の嫡男!」
妖術師は一頻り笑うと、あざ笑うかのような声色で、統也へと問いかける。
「いやいや、まさかこんなところで創真一族の無能者と出会うとは! しかしこれは幸運ですね! 無能者や落ちこぼれと言われても、創真一族の宗家である事には変わりありませんからね! その身体、隅々まで調べさせて貰いますよ」
舌なめずりしているかのような妖術師に、統也はふっと笑みを浮かべる。
「出来るものならやってみろ」
「そうさせてもらいますよ。で、その鞘でどうするのですか? 増幅の能力も無い欠陥品の霊創器で、赤鬼に勝てますか? それともその霊創器にはそれだけの特殊能力があるのですか? いやはや、音に聞く創真の霊創器は増幅力と霊力変換が主で、それ以外には妖魔相手に優位に立てる能力があるなんて、聞いたことがありませんが」
「そうだな。こいつだけなら、勝てないな。けどな、俺の霊創器を舐めるなよ」
統也は若干、怒りの感情を浮かべる。この霊創器は以前に統也を助けてくれた。この霊創器がいてくれたおかげで、あの最上級妖魔の自爆でも五体満足でいられたのだ。
そして、この霊創器の真価は、霊力の増幅でも変換でもない。
この霊創器の能力は……。
「来い、………ルシフェリオン」
統也が呟くと、漆黒の鞘の上下にいくつもの光の線が伸びた。光と共に音が響く。霊力が収束しているのか鞘の中央に五芒星の印が描かれ、その中心に光る陰陽太極図の紋が浮かび上がった。
鞘の中に何かが光の粒子と共に顕現していく。
眩い光が鞘の中からあふれ出す。それはゆっくりと形を作っていく。具現化していくそれは、鞘から剣の柄のような物を生み出した。鞘より出ている柄の柄頭にも鞘と同じ陰陽太極図の紋様が刻まれた球体が付いている。
「なっ、なっ!?」
驚愕する妖術師を尻目に、統也は鞘に収まった剣の柄を掴むと徐に抜き出した。
漆黒の鞘より姿を見せるのは、同じく漆黒の片手剣だった。柄から刀身に至るまで漆黒であるが、刃の部分は白く光り輝いている。
統也の霊創器は霊創器にして霊創器にあらず。これは召喚器。彼の彼だけの最強の武器をこの世界に呼び寄せるための器。
そして統也の霊創器は、その役目を見事に果たした。
「これが俺の切り札にして最強最高の相棒。聖魔剣ルシフェリオンだ」
かつて、前世の統也が手にしていた最強の聖剣にして魔剣。魔王との戦いで失われていた最高の相棒。魔王殺しの聖剣にして、神殺しの魔剣。聖と魔の両方の属性を有した唯一無二の剣。
時間を超え、世界を超え、再び彼の下へとその姿を現すのだった。