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森の中

作者: 伊藤 経

 じゅくり。 湿度の高い音が僕の足の下から鳴る。

 数日履き通してすっかり汗と泥でぐちゃぐちゃになった僕のスニーカーが枯れ葉の溜まった急斜面をずり落ちる。 

 慌てて地面に手を着くと、鋭い痛みが走った。 手のひらを見ると泥と枯れ葉にまみれてモザイクの様になったそこに、一点だけ真っ赤な宝玉の様な鮮やかな粒ができあがっていた。

 その宝玉は次第にその姿を大きく成長させ、次の瞬間にはその美しい球状の身体を崩壊させて手のひらに線を描く。 その頃には鮮やかな赤は既に赤黒くくすんだ色へと変化していた。

 「ふふ……」

 訳もなく笑みがこみ上げてくる。 或いは代わり映えのしない緑と黒ばかりの森の景色に、新たな色彩を見いだした事が嬉しかったのかもしれない。

 森を出よう。 

 ため息を吐く気力すら残っていない。 空腹だ。 頭も痛い。 何よりも寒い。 もう七月だと言うのに僕は凍えていた。  

 むせ返る程に湿気を帯びた森の空気も、ぬかるんだ地面も、腰掛ける岩も何もかもが、当然の権利とでも言う様に、ただでさえ下がった僕の体温を奪ってゆく。 

 自室のベッドが懐かしい。 恋しい。 もし生きて暖かい自室のベッドで布団に包まれながら眠る事が出来たとしたら、僕はそのまま息絶えてしまっても構わないとすら思える。

 それに比べればあの人間社会に渦巻くありとあらゆる煩わしさ等まるでちっぽけな事の様に思える。 

 寒さ。 空腹。 痛み。 そんな原始的な動物的な苦しみがこの世で最も恐ろしいのだと僕は森に入って初めて知った。 

 

 あれから半日ほど歩いただろうか?

 僕はざわざわという水の流れる音に導かれてまたぬかるんだ地面を踏みしめていた。

 喉が渇いていたのだ。 川を見つければ人のいる場所にたどり着けるかもしれないという甘い考えは今の僕にはなかった。

 既に何度か川を見つけていたが、下るとその全てが深い渓谷に繋がっていた。 所詮は素人の浅知恵という事だろう。

 川の、水の匂いがする。 空腹と不眠のせいかやけに敏感になった鼻が僕に目的地が近づいている事を教えてくれている。

 程なくして僕は何事もなく川を見つける事が出来た。

 それなりの川幅持っており、久々に樹木に覆われていない場所に出た僕は差し込んだ眩い太陽光線に目を細める。 それから川の水を震える手に掬って一口飲む。 

 苦い。 まずい。 だが水分不足ですっかり張り付いた喉を癒やす為には飲まない訳にはいかない。

 数杯手で掬った水を飲むとようやくカラカラに乾いた喉に潤いが僅かに戻る。

 それから僕はすっかり冷え切った身体を温める為に太陽にで暖まった石の上に寝転んだ。

 暖かい。 だが、風を受ける身体の半分が相変わらず寒い。 

 それでも森の中で眠るよりは居心地が良かった。 僕は岩の暖かさに寝かしつけられる様に眠りに落ちた。

  

 不意の寒さに目が覚めた。

 暖かかった岩はすっかり冷えている。 

 見れば太陽はすっかり地に落ちてその色をいつか見たような真っ赤な色に変えている。 

 僕は死にかけた太陽の最後の恵みを一身に受けてその一瞬を過ごした。 

 太陽がすっかり地中に沈んだ事を確認する。 

 ふと、暗がりの中に小さく光る物が見えた気がした。 

 血に落ちた星の様なその小さな点はそれが僕の見ている幻でなければ電灯の明かりに違いなかった。

 僕はまた歩き出した。 明かりに向けて。

 きっとあの場所は暖かいに違いなかった。  

車で一日中連れ回された帰りに、高速道路脇の森が綺麗だったので、私はついうっかり森を書いたのだった。



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