10 きみの手の温度をあいしている
こぽこぽ、と口から小さな泡がこぼれ出ていく。透明に透き通った緑の視界、その向こうには偉そうな太鼓腹の軍人さん。ボクは薄くまばたきをして、また目を閉じる。耳に声だけが届く、低い大人の、話し声。
「何度見てもぞっとしませんな、この要塞の『核電池』は」
「なあに、気にするな、副艦長。そのうち慣れる。これはあくまで、子供の姿の化け物に過ぎんのだ。魔力は高いが適正テストには落ちた不良品だ、強い力を正しく扱うことのできない出来損ないにすぎん。それにこれだけエネルギーを抽出されていれば、多分今は意識もないだろうさ」
……そんなこと、ないんだけどな。
ボクは微睡むように、目を閉じる。また、悪夢を見た。
美しい街に住んでいた。何もかもが整備された国だった。子供は十二歳になると適正テストを受ける。そして、その人間がどういったものに向いているのかを偉大なるマザーコンピューターに判断される。ボクは孤児だったけど、小さい頃から魔力が高かったので、とても期待されていた。
……でも。
『あなたは不合格です。メンタルに社会的不適合を感知しました』
ボクの、メンタルは。社会に適合していなかった。ボクは、社会に出られない子供だった。
呆然としているうちに、真っ白な四角い試験室から放り出された。誰も、助けてはくれなかった。社会の害悪。社会の無駄、ごみ、要らないもの。そのテストひとつでそこに振り分けられたボクは、そのままこの要塞に連れてこられて、……以来、ここにいる。
体から魔力を吸い出され、ただ使われるだけの、ゴミだ。
「この子供は一体なんでマザーさまの怒りを買ったんでしょうかねえ」
「さあ、わからんよ。子供の素生なんぞ考えるのはやめろ、副艦長。我々はただ、これを使って敵を屠り続けるだけだ。」
うっすら目を開けると、目の前の巨大なモニタースクリーンには大量の戦車が映っていた。それが砲撃をするたび、この移動要塞に小さな衝撃が走る。ああ、ボクの魔力を吸い出して、それが人を殺していく。ボクの力が、誰かを、殺していく。
息苦しかった。人を殺すことが息苦しいんじゃない、ボクの力をボクの望まないことに無理やり行使させられる事に対するヘドロのような怒りが心を蝕んだ。一発、撃つ。人が死ぬ。もう一発。人がまた死ぬ。戦車が燃えている。悲鳴が聞こえる。断末魔が聞こえる。
でも、何もできない。
なにもできない。
ボクには。
「……この子供、気味が悪いですよね、ちょっと。目を見開いたまま固まってますよ」
「……泣いてでもいるのか?化け物風情が。」
違う。化け物じゃない。いやだ。ボクの力を勝手に使うな。
人間なのに。なんでこんな。人が死ぬ。ボクの魔法を勝手に使われて、人が。
殺したくもないのに。なんで。
なにもできない。
何もできない。
ナニモデキナイ。
戦車の合間から人影が飛びだし、こちらへ走ってくる。直接この要塞に駆け込んで中核を撃つ気だろうか。無理だ。その前のボクの魔法が、あの兵士を殺してしまう。とめたい。できない。止めたい。
何もできない。
兵士の黒い目が、きらっと日差しの下で光ったのですら、見えた気がした。
なにもできない!
なにもなにもナニモなにもなにもなにもナニモナニモナニモなにもナニモなにもなにもなにもなにもナニモいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!
「な、なんだ……!?」
「大変です!『核電池』が、暴走を……!」
「ふざけるな、緊急停止ボタンを押せ!」
「ひ、ひぃっ!装置が焼け爛れて……溶液も蒸発……無理です、脱出を——あがぁッ!」
じゅ、と世界が真っ白く蒸発した。
世界が蒸発して、真っ白になって。あたりを見回すと、部屋の中も、モニターの外も、何もかもから人間の姿が消えていた。戦車もなくなっていた。全て焼け焦げて消えたみたいに、焦土だった。
ボクは咳き込んだ。いつの間にか緑の水が満たされたガラスの円柱は、壊れて割れていた。
チューブを引き抜いて立とうとしたら、力の入らない足は上手く動いてくれなくて、その場に倒れた。口の中に入った煤が焦げ臭い。
じゆうだ、と回らない呂律で呟いた。この場にいた人たちはうっかり死んでしまったけど、相手の兵士たちも全部蒸発してしまったけど、ボクは自由になった。ただ、あと幾ばくの命かは、わからないけれど。
魔力はあらかた吸い出されている。数ヶ月水の中にいた体は筋力なんてない。服もない。自分の身なんてまるで守れない今のボクが、一人で、生きられるだろうか。
ーー今まさに、誰かの気配が、近づいてきているのに。
さり、と灰を踏む音がした。
目を上げる。軍服の、兵士。敵軍だ。生き残りが、いたのか。
「……ぁ、……」
喋ろうとしても、上手く話せない。指先が冷たくなっていく。
ーー意識が、薄れていく。
ああ。小さい頃から、誰もボクのことなんて好きじゃなくて。魔力は高くても、魔法が使えても、えらいねって褒めてくれる親はいなくて。割り当てられた孤児用のアパートに戻ると、いつも無機質な合成食だけが置いてあって、それを一人で食べていた。
一回くらい、ボクだってだれかに。あいしてほしかった。
みとめてほしかった。えらいねって。いいこだねって。
まもってほしかった。だいじょうぶだよって。そばにいるよって。
なんで、ボクだけがなにも、与えられずに。こうして、しんでいくんだろう。
なんで。
どうして。
「……だいじょうぶ」
手が、取られる。抱き起こされる。指先から、魔力が流れ込む。
あたたかい。
唇に柔らかいものが触れて、そこから人工呼吸で酸素を送り込むように、命を、吹き込まれた気がした。
「君は、まだ、生きられる」
キスされた。
ファーストキスもまだだったのに。敵国の兵士にキスされてしまった。
ああ、でも、甘い匂いがする。石鹸みたいな。花みたいな。
視界がわずかに戻る。
兵士は、ヘルメットを外していた。黒いさらさらの髪。黒い瞳。遠い、東洋の海の真珠の色だ。夜の色だ。女の人だった。彼女はほぼ無表情だったけれど、ボクを抱きかかえて体温を与えてくれる腕は優しかったし、向けられる眼差しは穏やかだった。
「……あなた、は……」
彼女はちょっと唇を曲げて薄く笑った。
「……ただの、幽霊」
「あの時のゆーさん、ほんっとうに綺麗だったんですよねー……天使かと思いました」
「うそつき」
隣で買い込んだサンドイッチを食べているゆーさんはにべもない。
草の吹き抜ける草原でお弁当を広げたボクらに、太陽がぽかぽかと降り注いでいる。あったかくてしあわせだ。
ボクは笑って、ゆーさんに肩をくっつける。背の高いゆーさんに肩をくっつけると、座高はちょっとだけボクの方が低い。
「えぇー、本当ですよ?」
笑ってから、ボクはそっと隣を見た。ゆーさんの黒髪が、さらさらと風に靡いている。
「……ところであの時、どうしてボクのこと助けてくれたんですか?」
「私の依頼主も蒸発してしまったから、唯一の生存者を助けるしかやることがないでしょう」
「もっとなんかないんですか、可愛かったからとか、一目惚れしたとか」
彼女はちょっとだけ沈黙して、ぱくりとサンドイッチを食べる。ゆーさんは野菜サンドが好きだ。ボクはがっつり肉が入ったジューシーなのが好きなんだけれど、ゆーさんは野菜とチーズばっかり食べてる気がする。
ゆーさんがかじったふわふわの白いサンドイッチから、とろりと黄色のチーズが滴っている。おいしそうだなあ、一口くれないかなあ。
じっと見ていると、ゆーさんは観念して、ボクにサンドイッチを半分分けてくれた。
シャキシャキのレタスと、チーズが美味しい。何よりゆーさんがボクに分けてくれたっていうことで、サンドイッチがとってもおいしい。
「おいしいですね、ゆーさん!」
にこにこして言うと、ゆーさんはちょっと目元を綻ばせてボクの頭を撫でてくれる。あ、珍しい。こうやってしてくれるのは地味にレアだ。
ふいに、彼女が言った。
「……あのとき、泣いてるみたいに見えたから」
ボクは瞬く。何かを言う前に、ゆーさんはふっと視線を逸らしてしまう。
風にさらさらと、髪が揺れている。うっすら色づいた桜色の薄い唇だけが、微笑んでいた。
でも、今リリは笑っているから、それでいい。
ボクはちょっとだけ気恥ずかしくなって、それからもっとゆーさんが愛しくなる。
だいじょうぶだよって、ボクに始めて言ってくれた人。抱きしめてくれて、助けてくれて。今もこうして、そばにいてくれて。
ゆーさんは死なせないし、ゆーさんはボクのものなんだ。そう思いながら、ボクはもうちょっとだけゆーさんにくっつく。ゆーさんは優しいので、そっとまた、頭を撫でてくれた。




