第4話 教師は普通の人? side:香坂舞歌
出迎えた教師、くたびれたスーツを着ているしかしまだ若い彼女はげんなりした顔を隠すこともできずに今にも逃げ出しそうな様子で出迎える。
「――あの、また増えるのです?」
さすがにむりぃ、と思わざるを得なかった。ただでさえ魔法少女『ティアマト』がいるこのクラスにさらなる爆弾を投下しないでほしい、そう切に願う。まあ、聞いてもらえたことなどないのだけど。
「クリック・クラック。好きなように呼んでくれてかまわないよ、先生?」
クラックは悪い笑みを浮かべた。多分、私の顔はひきつってこわばった顔をしていることでしょう。
私の名前は香坂舞歌。特殊な背景も、能力も持たない元小学校教師で、教師と名のつく人間すべてにお上からやらされたストレス耐性テストで、高い値を出してしまったのが運の尽きだったのでしょう。
魔法少女学院なんぞに配属されることになってしまった可哀そうな女の人である。よく間違われるけど”子”ではない。これでも立派な社会人なのだから。
「では、仕事が終わりましたので私はこれで」
そして、秘書さんはさっさと去ってしまう。名前を知らないけれど、こんな子たちと三人きりにしないでほしい。
「せんせー。ただいま」
ティアマトはにこにこしている。議員の大人たちと違って、ちゃんと存在を認識している。一人の女の子として扱えば、”お願い”を聞いてもらうのも実は簡単だったりする。
「はい、おかえりなさい。ティアマトさん。あのあの、あまり外に出るのは――」
注意する。機嫌を損ねた人間を何人も殺している、と知識で知っているだけで実感など何もないから実際のところはそれほど怖がってはいない。
――ただただ、政治とかそういうのにかかわるのは気が重いだけだ。
「だって、皆が危なかったから」
彼女はぷい、と明後日の方向を見て頬を膨らませてしまう。
「ああああ。そ、そうだったですか。てっきり、先生またちょうちょを追いかけてたとか、飲めないお酒でも買いに行ったのかとばかり――」
自分でも分かるほどにおろおろしだしでしまいます。ここら辺が生徒たちに舐められる由縁なのでしょうね、自分でも分かっています。もっとも、この子相手では敵意を持たれたら数日とこの世にいられないと言う事情もあるのですが……
「むぅ、わたし、大人だもん。だから外に出たりお酒飲んでもいいんだもん」
「ええと、勝手に外に出られても困るんですけど……」
「ぶーぶー」
「ふええ。女の子がそんなこと言っちゃダメですよぅ」
おろおろしてしまう。
「中々楽しい先生なようで良かったよ」
クラックは少女のような笑みでそれを言うのだった。これは、舐められているのでしょうかね。
「――はい。皆さん、ホームルームが始まりますよ」
と、言うのですが、教室は静まり返ったりしないのです。年頃の少女らしく、きゃいきゃいと騒がしい。いくつかのグループに分かれて――少し違うのは”一人”が少し多いと言うこと。我関せずとばかりに黙って明後日の方向を見ている子が何人か。
ただ、目を引くのは背格好の違いだろう。学年どころか、小学校から中学校までバラバラだ。ティアマトと同じくらいの女の子もいるし、教師の私よりも背の大きな子もいる。
「あのぅ……皆さん、黙ってくれると、先生……嬉しいですけどぉ」
涙目になってしまう。くすくす笑いが聞こえながらも、段々教室が静かになってきます。皆さん、良い子です。
「はい、ありがとうございます。これでホームルームが出来ますね。今日は皆さんに嬉しいお知らせがあるんですよ」
ピクリ、と警戒心が満ちた。おやまあ、皆さん少し殺気立ってますね。このクラスは他のクラスほど人の入れ替わりは激しくないのですけど。
「あれ? 皆さん、静かになっちゃいましたね。喜んでもらえて、先生嬉しいですよ」
まあ、思春期の女の子なら色々あるのでしょう。それに普通の学校と違って年のバラバラな子たちで集まってるからなおさら気になるのでしょうね。
「では、入ってください」
外に呼び掛ける。当然、扉の外に人が居るのは誰もが気付いていた。
「みんな―、クーちゃんだよ。仲良くしてあげてね」
そして、ティアマトがクラックの手を繋いで入ってきた。――当然のような顔をして。
「クリック・クラックという。もっとも、長い付き合いになるとは思えないけどね」
この子はこの子で初対面で挑発してる。その意味を正しく理解した魔法少女たちは殺気を送り――
「「……」」
一人の少女を注視した。
「――」
ふるふると首を振った。それは「この場で何かするのはやめとけ」という忠告で、少し試したくらいでは何の意味もないと言うある種の諦めだった。
(……というか、なんなのよコイツ。まったくもってブレちゃいない、つまり敵に回すのはいつものことという意味。あの『ティアマト』も不気味だけど、こいつはそれに輪をかけてる。ただ噛みつくだけの狂犬ですらなく、破滅主義者でもない――なのに、味方は居ないって、そんな認識が成立するの? よくあの破滅的に強大な『ティアマト』と一緒に居られるわね。ああいう味方を信じられないタイプが同格の能力者とはそりが合わないはずだけど)
この少女はクラックのほとんど全てを見透かしていた。その行動原理まで見透かして――しかし、彼女のアーティファクトは能力までは見透かしてくれなかった。彼女の能力はサイコメトリー、”触れる”などと言う制約なしに物体の過去を見通す。それにへばりつく、辿ってきた歴史から残留思念まで。
クラックの矛盾の種は簡単。敵と味方と言う認識が同居しているだけのこと。
あの治療行為はクラックにとって毒でしかなく、それを維持するのはティアマトにとっても負担であり言い換えれば毒。実際には敵対行為になってない――だからこそ、信じられる。二人の捻じれて歪んだ認識の上では、そうまでしなければ隣に立てない。
結局、この少女にわかるのは二人が不気味と言うことだけだ。能力を隠し、政府を欺き――クラスメイトにすら「戦闘能力のない大したことない奴」と思わせている魔法少女『イエローシグナル』にも。
「はい、一時間目は算数ですよ。数学の人もいますね。転校生の質問は休み時間にお願いしますね。いくら自習に近いと言っても授業ですので!」
一歩間違えば戦争が起こっている。魔法少女が本気を出せばその被害は底知れない、あの『サーズデイ』のように。
「――さ、教科書を開いてください。先生、見回ってますから分からないことがあったら手を上げてくださいね」
授業は言ったとおりに自習です。クラスと言うのは魔法少女の相性が最優先――そもそも授業なんてものは建前でしかないのですから。
ここを作った人間たちにとっては、魔法少女たちが教育も何も受けず悲惨な目に会ったところで知ったことではないが――しかし遊ばせておくのも面倒で、子供は勉強してろという当たり前の思いもある。閉じ込めておく『箱』としては丁度良かったから学校を作った。
「あ、そう言えばクリックさんは……」
クラックの方を見る。彼女はティアマトと手をつないで、隣の席に座っていた。
強力すぎるティアマトの隣に座れる魔法少女などいなかったが、机を片付けるのも嫌がるのでそのままだった。埃をかぶった席にクラックが座る。座ったと思った瞬間には埃は全て消え去って、新品同然になっていた。
そして、イエローシグナルは当然気付く。
(――埃が無くなっただけじゃない。傷が消えている)
クラックの破壊能力の一端に。壊すだけではない、ダメージすら破壊する脅威の能力に気付きかけた。
「僕、教科書は持っていないんだけど……ティーちゃん、見せてくれる?」
「うん、いいよ」
疑問にも思わず得意げに教科書を開く。小学校低学年の――しかもそれは一年生のものだった。彼女は人間で言えば小学3年生、それは2学年下だ。彼女にそんな盾突くようなことを言えるわけがない……しかも、別に誰かが困るわけでもないのに。
「んー」
少し、考えるように間を開けて。もちろんクラックは小学校レベルどころか高校生レベルはさすがに余裕だ。それこそ十何年も前に卒業しているのだから。学ぶとしたら最低限大学レベルだ。そこまで行くと香坂先生もだいぶ怪しいが。
「……ね、ここ分からないな。どうやって解くのか、教えてくれる?」
もちろん、それは口から出まかせだ。クラックに足し算など分からないはずがない。
「うんうん、そこはねー。あれ? えっと……ああ、そうそう。ここをね、こうすれば」
教科書など、それこそ見れば分かるようになっている。クラックが指したのはちゃんと一番初めの部分だ。そして、ティアマトは勉強が面倒なだけで頭が悪いわけではない。すぐに理解していく。
「そっか。ティーちゃんは頭いいね。これは?」
「えへへ。たくさん教えてあげるね。ここはねー」
ニコニコと、上機嫌でティアマトが勉強を教える。しかし、それは実のところ勉強しているのはティアマトで。
(……手玉に取ってるわね。彼女が後見というのは伊達ではない、か)
イエローシグナルはクラックを冷たく睨む。政府すらだましている彼女だからこそ分かる。自分が騙せる程度の政府など、クラックは問題にしていない。何が目的か――それを吟味する必要があるのだから。