第72話 暗闘の終幕
クラックは織田首相を降伏させた。魔女狩りの魔法少女部隊『マレウス・マレフィカム』を倒し、ティアマトが与えた命の多くを徴収した。そこで問題なのは、そこまでしても烈火のごとき怒りを収めていないということなのだが。
ことが終わった後に、イエローシグナルが姿を現す。もともと生徒会を作ったのは彼女で、その目的は日本の安定。クラックと日本政府の間でバランスを取ることだったはずが、織田首相が企てた反乱にぶっ壊された。
「あっは! 君がそれを調教しておいてくれたら済んだ話だったのに」
「――それが無理だったから、こうなっているのでしょう? 人間の誇りとやらを甘く見ていたのよ……私も、あなたも」
イエローシグナルが舵を取るなら、クラックも別にそれで良かった。戦いたいわけではないのだ、それどころかティアマトとの静かな生活を望んでいる。
もっとも、織田首相はそれを許せなかったが。力のないなりに反抗して、実際に二人の企てを打ち砕くという偉業を達成した。……誰のためにもなっていないが、しかし二人に苦虫を噛みつぶしたような顔をさせている。
「ふん。誇りのためなら誰でも、自分すらも犠牲にするような誇りなど理解したくもない。まあ、侮っていたとしたら想像力の無さだよ。こんな地獄を築いても、バレれば他人のせいにしたらいいと思ってる」
「それが通用しないと、分からせた? 怒ったからまともに働くようになるはず、なんて――それはそういう考えで生きてきたのではないかしら」
「ああ。そして、おそらくそれの甘えに際限はない。恥があればそうなってはいない。……働きに応じて多少の情けをくれてやるだけさ」
「そう。あなたはそうすることに決めたのね」
淡々とした様子にクラックは鼻白む。政府さえ何とかすれば、なんとでもできるはずだ。なにせ、ユグドラシルには日本国民全員を養えるだけの恵みがある。衣食住などと言うが、食はクリアできる。住もイエローシグナルには昔の街並みに”戻す”ことができるのだ。
更に言えば、国民のすべてが仕事を放棄したわけではない。行き渡らないなりに、まだ細々と生産も統制も続いている。マフィアなどと比べ物にならないほど強固な支配を築く目途が立っている。
とはいえ、クラックは自分が身を粉にする価値を人間たちに見出していないので、イエローシグナルまでこの様子だと見捨てて放置になる恐れが出てきた。
「イエローシグナル、どういうこと? ああ、それの醜悪さに人間を見捨てた? あれはあれで人間の外れ値で、大多数はごく普通の人間だと思うけどね」
「それを抑えればそれでいいと考えたあなたと違って、私は色々と手を尽くしたのですよ。ですが、ええ……普通の――善良な人間というのも、そこらへんにたくさん居るのでしょうね」
「……?」
厭世的なその様子にクラックはいよいよ訝しむ。人間が汚いものだと。善良で普通な人間など、お笑い種のお伽話。ああ、それはそうだろう。
――だけど、こいつはそんな程度で信念を変えるような女ではないとクラックは知っている。だから不思議に思う。
「クラック。あなたは人間達の未来を考える気はある? いつもの韜晦、評論家の意味もない戯言ではない。――それを担う者の一人として」
「この段においては、しょうがないね。なによりユグドラシルを無駄にされるのは面白くない」
やたらと重い雰囲気で、どちらも気乗りしない様子で話している。絶対的な力を持つ誰も逆らえないはずの『生徒会』の二人が、敗戦処理の深刻な顔を突き合わせている。
そこに口を挟む者が居る。
「その話、私も加わる権利はあるのだろうな」
苛烈なまでの意思、すべてを焼き尽くしてもなお紅蓮の烈火を撒き散らす正義の魔法少女。決して戦いたくはない、だからクラックもイエローシグナルも遠くにやるか自由にさせないよう手を回す方策を取っていた――敵に回せば決戦となる恐ろしい女がそこに居た。
「……ッ! 話をする、なんてことがあるのかい。トーチライトともあろう者が」
「それは誤解だな。私は我が正義により動くが、常に私欲に落ちないように自戒している。そのために、対話を拒むことは許されない」
今の彼女は静謐だ。嵐の前の静けさではあるが、今ならまだ話は通じる。……波紋が浮かぶことがあれば嵐となりすべてを砕くまで止まらないだろうが。
「気に入らなければ焼きつくんじゃないの? まあユグドラシルを伐採するのであれば、お好きにどうぞ。僕はそんなことでお前と争う気はない」
「世を乱す所業に責務を持つつもりもないと?」
「彼に言われてやったことだよ。文句は座ってるそれに言ってくれ」
汚いモノでも指すようにちょいちょいと指先を向ける。そこに居るのは、クラックとティアマトに痛めつけられ、半死体となって色々垂れ流しの織田信長だ。
「……イエローシグナル」
「私に言わないでくれる? そもそも私だってお前と争うような面倒ごとは御免よ」
トーチライトはクラックやティアマトと同格である”覚醒した”魔法少女。そして、正義のために悪を切り捨ててきた歴史がある。
だが、ここに至っては彼女にもどうしようもない。怠惰を悪と切って捨てることは出来ない、それでは誰も居なくなるだけだから。悪を倒す正義は――”皆”がそれぞれ頑張っているときにしか輝かない。正義は、飯を産まないのだから。
「あは。本当に、何をしに来たの――トーチライト」
「それはこちらの言い分だな。あのようなものを作っておいて、言い分がそれか?」
「そんなのは知らない。僕じゃなくても、人類の未来をまともに考えてるやつなんていないだろ」
「正義がなければケモノと同じだ。私にはそれが許せない」
「そうやって自分の好みを人類の未来より優先させたんだろ? 他人を攻撃する材料にしただけのことを、”奉仕してきた”なんて態度は無責任だね。関係ありませんという顔をしている僕の方がまだマシだ」
「人は誰しもが意見を持つ。だからこそ言葉があり、それでも決着がつかなければ拳を握る。正義を、実現せんがために」
「そうやって殴られた奴は私怨で全部ぶっ壊すよ。僕とイエローシグナルが作ってやった生存戦略を壊されたばかりなのに、何も学ばないね。まあ正義とはそういうものだし、逆に悪だってただのカッコつけだから世界はいつまで経っても良くならないんだけど」
「否。皆が正義を心に抱けば世界は変わる。心の中にある悪を駆逐し、人が本来備えた優しさを自然と表せるようになれば」
「あは。それ人間について話してる? 君とはまったく話が通じない」
「まったくだ。だが、それで投げ出すのは怠惰と言う悪。話が通じるようになるまで、いくらでも言葉を尽くそう」
「いや、君は以前いきなり襲い掛かってきた――」
討論ですらない言い合いが平行線で煮詰まってきたところにイエローシグナルが口を挟む。
「今日はその辺で。トーチライト、話したいのはあなただけ。ならば三顧の礼を尽くす必要があるでしょう」
「……なるほど。一理ある」
「いや、コイツをうちに突撃させようとしないでくれる?」
「そもそも、まずはこれからの話をする必要がしなくてはいけません。トーチライト、アメリカお得意の大規模農園はあといくつ残ってる?」
「――」
「あは。マフィアの台頭に軍の衰退、そして正義とはすべからく後始末でものを守るのは専門外。……崩壊の足音はすぐそばだ」
「そういうコト言うくらいなら、あなたが話を取りまとめてくれない?」
「ヤだよ。なんのために外野から文句ばかり言ってると思ってるのさ」
「クラック。貴様はやはり始末しておいた方がいいか?」
まるで国会で異なる派閥間で言い争っているような空気に、クラックはやれやれと肩をすくめる。
「話し合いはどこに行ったのさ。まあ、独善こそ正義の本質だろうけど。結局は我欲をカッコよく言い繕っただけの――」
「クラック、ユグドラシルの管理は?」
イエローシグナルがまた強引に話を戻す。まともに議論もできない三人だが、しょうがない。なにせトーチライトはほぼ敵で、戦うのは面倒だと言う理由で口で争ってる。
「ん? 彼にさせればいいじゃないか。醜く歪まされてしまった一騎当千の魔法少女達という駒が残ってる」
「……やはり、あなたは人を侮るくせに魔法少女には期待を寄せるのね。まあ、やってみなさい」
「偉そうだね」
「私がそれの監督をしてあげるわ。どうせやる人が他に居ないんだものね――仕方ないわ」
「ずいぶんと、余裕だな」
「誰もやらないのだから私しかしない。だから、準備は進めてきた。どうせ魔法がなければもう立ち行かなくなるのだもの、人に利用される便利な魔法少女とは大体顔を会わせている。あなたこそ、どう?」
「どう……とは」
目線を向けられたトーチライトは後ずさる。いくらでも話す、などと言ったけれど。彼女には殺す以外なにもない。クラックやイエローシグナルも新しい社会秩序を作れる、生かす力を持っている。力なき者が、比類なき力を持つ者に意見するのは難しい。
「あなたがやらないんじゃ、誰もアメリカをどうする気なんてないでしょ。クラックも大統領のことは遊び相手としか思っていないみたいだし」
横でクラックは人聞きが悪いと文句を言い、目を吊り上げたティアマトを落ち着かせようとする。
トーチライトはたった一人でも厳かに宣言する。
「――正義がある。必ず立ち上がる者が居る」
イエローシグナルはあっそと軽く受け取る。この場でのトーチライトの発言権などそんなものだ。
「まあ、必要であればふわりんを借りるわ。そのために育てていたのでしょう?」
「そっちも知ってるんだ。まあ当然か。どうぞ」
「私については」
「アメリカまでは面倒を見切れない」
「僕にメリットがあれば考える」
「……お前たち、アメリカ国籍を持ってるならお前たちもアメリカ人だろう」
「知らないわよ、私の手はそこまで広くない」
「僕、国籍ならいくらでも持ってるし」
「ふん」
トーチライトは背を向ける。
「ところで、君は何のために来たの?」
「お前たちが動けば、おのずと影響は大きくなる。そもそもユグドラシルの時点で世界は変わった。その責任の取り方を見せてもらうために」
「殺しまくって後は放置してる君が?」
「……私はお前たちを監視している。悪に堕ちれば、その時は首を刈る。ではな」
「二度と会わないことを祈るよ」
「そうはいかん。正義についての話が終わっていない」
「ちょっと! そんなことをまだ――」
クラックが慌てたが、トーチライトはすでに姿を消している。
「ユグドラシルからの資源収集は任せたわ、やる気の子も居るだろうし。後は私が処理しておくわ」
「待って、イエローシグナル。あいつのことは……」
「それは知らない」
彼女も姿を消す。
「ええー」
残されたクラックは途方に暮れてしまった。隣に居た何もわかってないままのティアマトに、頭を撫でて慰めてもらっている。




