第66話 旅行に行こう
そして、クラックは家に帰る。信長首相からぶん取った豪邸ではなく、その隣のボロ家に。まあ、ティアマトがこだわるのだから仕方ないと諦めた。
諦めきれなくて、皆で摂る食事はそちらへ足を運んでいるのは、まあ些事としておこう。
「ただいま」
「――ぶう」
出迎えたティアマトは、口と全身で不満を表現していた。
クラックはそれの対処に忙しくて、あまりティアマトに構えていない。6度目のインパクトを経て、とうとう人類は前に進むのをやめてしまった。あとは麻薬と略奪、世紀末へまっしぐらなのだから。
仕事と私、どちらが大切なの――と、そんなありきたりの不満をクラックに伝えている。
「ええと……」
苦笑いして頬をかく。
クラックに世界を救う義務なんてあろうはずもないし、思い返しても礼賛されるどころかその皮肉屋な性格から嫌われることの方が多い。別にやめても困らないが、しかしそれだとユグドラシルがトドメを差すようで座りが悪い。
せっかく作ったのだから、活用される状況を整えているために、似合わぬ労働などに身をやつしている。
「妾を連れていかなんだのが失敗だな。どうせ魔法戦でも警戒しておったのだろうが、そんな相手はおるまい」
「……そりゃ、いなかったけど」
苦笑する。ティアマトのために動いているのに、ティアマトが不満を溜めたのでは本末転倒だと分かっているのだけど。
それでも、ユグドラシル伐採計画などあればティアマトが悲しむのは間違いないし許せない。そこは譲れないこだわりだ。
その隙に、ティアマトはクラックに近づいてすんすんと匂いを嗅いでいた。
「……別の女の匂い。――誰?」
「うえっ!?」
じろりとねめつけた。クラックはあわあわと弁解する。
これが織田首相だの別の誰かが相手なら適当なことを自慢げに話して誤魔化せた。話の行先を決めるのは中身ではなく、雰囲気なのだと知っている。
知っているが、それでも大切な人を前にするとうまくできない。
「ええ……と。ね。そんな関係の子じゃないよ。ほら、ティーちゃんが近づくからもう消えたんじゃない? そんな近づかせてないはずだよ」
「ううん……そう? ね、あーちゃん」
「え……と。アリスはよくわかんないけど。――あまり、夜に遊び歩くのは危ないよ?」
アリスがかばおうとしたのかよく分からないことを言って、クラックが苦笑する。そして、アリスが違ったかなと不安そうな顔をし始めると、ティアマトが抱きしめる。
「もう、クーちゃん。あーちゃんをいじめたらダメなんだよ。めっ」
「……そんなつもりではなかったのだけど」
ティアマトがクラックの頭をぽんぽんとはたく。まったく力を込めていなくて半分撫でるみたいなものだが、クラックの苦笑は深くなった。
アリスはずっとまごまごして、混ざりたさそうに見ている。
「そうだね。お詫びをしないといけないかな」
「あの。クーママ、別にいいよ。アリスは、その……一緒に居られれば」
「ほら、あーちゃんも寂しがってる! クーちゃんが遊び歩いて帰ってこないから!」
「え……あの、ティーママ……」
ティアマトがアリスを引き寄せて、アリスはおそるおそるクラックに抱きつく。そのクラックはお手上げと、したいようにさせている。
「うん。そうだねえ。それなら、旅行に行こうか?」
あっさりと、他の勢力にとっては悪夢でしかないことまで言い出してしまう。
「りょ……こ?」
「……ティーママ、どこへ行くの?」
二人はこそこそと相談している。抱きつきながらではどんなひそひそ話も丸聞こえだけれど。
さすがに旅行を知らないはずがないものの、縁が遠くてすぐには思い当たらないのだ。多少どころでなく遅れて、それに思い当たると大威張りで解説する。
「あのね、あーちゃん。旅行ってのは、他の県に遊びに行ってお泊りすることなの。だから、楽しいところに行くんだよ」
「……たのしいところ?」
アリスはそこまで言われてもよく分かっていない様子だけど。そもそもそんな余裕がない、ただ大切な人と一緒に居られればそれだけで良いしそれ以外は必要ない。たのしいところなど、二人の腕の中以外にあるはずがない。
「――う。他の、ところ?」
そして、ティアマトも機嫌良さげに解説したものの、思い返して少し顔を蒼くしてしまう。
楽しいところ、なんてそれは知識をひけらかしただけでそう思ってはいない。生家を模したここが安心する居場所で、見知らぬ場所は怖い場所だ。その、やったこともない旅行は恐怖の対象でしかない。
「別にここでずっと変わらない日々を過ごしていてもいいけど、そんなことでは観客どもも飽きてしまうことだろうさ。心配しなくても、ずっと一緒に居るから」
くすくすとメタ的なことを言うクラックだが、クラックはいつもこんな感じで煙に巻くから誰にも本気で受け取ってもらえない。
「……あの、クーママ。その旅行ってのに行けば、ずっとそばに居てくれる?」
「あーちゃん。怖くない?」
たった一人でも世界を恐怖に陥れる”覚醒した”魔法少女の三人だが、現実の姿はこれだ。聖人でもなく、見知らぬ土地にすら怯えるただの少女。
「怖がらなくてもいいよ。僕がなんとかするから」
「――クーちゃんが勝手に遊びに行くのが悪いと思う」
「……あう」
ティアマトがじろりとクラックのことを睨む。それだけではなく、抱きしめた上で頭をぺしぺしはたいている。
まだ怒っているらしいと、クラックは苦笑する。
アリスは、それを戸惑いながら眺めている。
「まあ、案ずるより生むが易しとも言うしね。行けば、二人も楽しめるさ」
「ううん……」
「うーん」
二人が疑いの目を向けていると、後ろから音遠が出てくる。
「おいおい、あの三人を置いて行く気かい? 僕は子供の世話は苦手なんだけど」
「はっは。音遠に子守りなんて頼めないさ。放っておけばラミエルが勝手に引き受けてくれるからね」
「おいてけぼりは寂しいと思うけどね……ティアマト?」
「うん? そうだね。――あの子達も、仲間外れは悲しいかな」
「そ。ティーちゃんがそういうなら連れて行こうか。もちろん君も来るんだろう? 音遠」
「……一人でゆっくりできるかと思ったんだけどな」
「仲間外れは、だめ」
「そうかい」
クラックは音遠が一瞬笑みを浮かべたのを見ていたけど、当の音遠はそれを隠して面倒くさそうにしていた。
音遠が持っているのは、魔法ではなく人間としての力。それもテロリズムに偏っている。未来を憂う気持ちはあるけど、それでは魔法少女の争いには加われない。それも、クラックが僅かな手ほどきをしただけで馬鹿げているほど力が上昇した三人を見ていれば――焦りもする。けれど、抗う力は持っていない……




