第3話 魔法学園 side:クラック
昨日とは別の女がクラックを訪ねた。国会議員の誰かが貧乏くじを引かされて、それがさらにその下の彼女にまで回って来たのが尋ねた理由である。
人間は派閥を作るものだ、それも魔法少女などと言うオカルトが世界の滅亡など引き起こしてしまえばなおさらに一致団結などできはしない。そんなわけで、この――昨日クラックが馬鹿にした”織田信長”の派閥、その下っ端の国会議員の秘書である彼女がここにいる。
昨日会った女が死んだことはクラックは知らない。そして今日来たこの女も知らないのだ。もしクラックが心を読めたのなら昨日の彼女は死んでいないと誤解してしまっただろう。組織というものは大きすぎて、中にいる人間からでは細部が分からない。
大体、”食べ物じゃない”と言ったものを口にする可能性などクラックには考えられなかった。プラスチックの玩具を口に入れる子供でもあるまいし。もっとも……そんなこと気にしてもいないから、言っても言わなくても同じこと。”気づいていないただそれだけがすべて。”
「――魔法学院?」
クラックは首を傾げた。
ちなみにティアマトと高級ホテルの同じ部屋に泊まった。隠すのも守るのも、高級ホテルの方がやりやすかったりする。そして、ティアマトの行動を操るなら簡単だ。大量のフリルを部屋に飾り付けて、クラックも一緒だとそそのかしてしまえば一も二もなく飛びついた。
「つい昨日、あなたはサインをしたはずですが」
そう、サインをした。
厄介者は全部まとめてしまえとばかりに作られた隔離施設――魔法学院。そこに入ると言う意思を書類で示した。もちろん、内容は言わず当然のようにサインを求めただけだ。
誰だっていけ好かない奴相手に細々と説明するほど暇ではない。
「いやあ、日本国憲法じゃクリック・クラックとかいうフザケタ名前を書いても署名とは認められないでしょ」
聞かされた秘書は唖然とする。あまりと言えばあまりの言葉。
なにも文句を言わずにサインしたと思ったら、どうやらそういうことらしい。何も言わずとも、質問があればどうぞとすら言われていなかったのだが――質問もなしにサインした。その背景は力技でどうにでもなるから、適当にやっていた。
この魔法少女はいざとなったら契約を守る気などさらさらないということだ。
「……」
彼女の考えが止まる。言葉が見つからない。この化け物を相手に何を言えば説得できるかなど分かるわけがない。こんな子供に――等と思うが、思い返しても怒鳴りつける以外に子供を従わせる方法など知らなかった。
「それで、ティーちゃんは通ってるの?」
クラックはティアマトに向き合う時だけは笑顔だ。特別扱いにもほどがある――いや、”わかりやすいにも”か。
「うん、そうだよ」
彼女は彼女で当たり前のように答えた。やはり目の前の女など認識もしていない。
興味のある相手とそうでない相手の落差が激しい――そういうところが幼すぎて見てられない、というのは彼女に関わる大人の共通認識。そして、その共通認識がある限りティアマトが彼らに興味を持つことはない。
お姉ちゃんとして世話を焼きたいだけで、説教されたいわけじゃない――そんな身勝手さがティアマトの全てだ。
「じゃ、僕も行こうかな」
いけしゃあしゃあと言った。もちろんクラックは全てを承知の上でこんなことをしている。なにも見ずにサインなどするわけがない。
なんなら目を通しただけの目の前の女よりもずっと深く書類について理解している。
「うん、クーちゃんと一緒に学校行くの、たのしみ! えへへ、楽しそうな声がでてきちゃう。わくわく♪」
一緒に寐た――しかも、同じベッドで。ティアマトが余りにはしゃぐものだからクラックが断りを入れるタイミングが見つからなかった。
まあいいや、と流していたのもあるが。そういうわけで、ティアマトは誰にもましてクラックに馴れ馴れしくなっている。こんな、冗談なしで”世界を救える”ような化け物と夜を過ごせるようなメンタルの持ち主がいるわけがない。
同等の力を持つクラックだけが……否、人間としての心を”取り繕っている”だけの彼女だから共に居られた。
「……ふふ。ティーちゃんが喜んでくれるなら、それだけで行く甲斐はあるね」
「”かい”って、なぁに?」
「僕もティーちゃんと一緒で嬉しいってことだよ」
「だよね。えへへ♡」
ふわふわと、そこだけ別世界のような二つの笑顔。化け物が、人間の真似をして笑い合っている。
「――で、そこまでにしていただいても?」
この二人の外見はこの上なく愛らしい。ふわふわのフリルが何十にも重なった魔法少女服を着た幼女……それだけならば見ていて笑顔になれる。
けれど、忘れてはならないのがこの二名は散々迷惑をかけ通しと言うことだ。
確かにこの二人は世界を救ったが、それも過去のこと――今の世界を何とかうまいこと操縦しているのは大人たちで、ティアマトには全世界の人々の命を盾に好き放題やっているようにしか思えない。
権力の地位にある治世者としてのプライドがあるから、神様か何かから能力を貰っただけの幼女が上と認めるわけにはいかないのだ。お願いを聞いてあげるなどと言う不遜が許せない。
もちろん、死に絶えた人々が今も生きているのはティアマトが今も能力を使っているからに外ならず――ゆえにこそ切れば死ぬ。それを人質に取っていると言われれば、反論はできない。ティアマトはそうやって、何度もわがままを通してきた。
「お二人はこれから学院へ送り届けます。魔法少女『ティアマト』、あなたの外出はあくまで無許可で、『サード・インパクト』を防いだ故の特例と言うことをお忘れなく」
冷たい声。”力あるものは相応の振る舞いをしなければならない”、そんな誇りを抱く者にとって、ティアマトの幼さは癇に障るものでしかない。
「――君の感想はどうでもいいけど、準備くらいはそこそこでいいからきちんとやっておいてほしいものだよね。……まだ車も来ていないのに」
やれやれと、おちょくるように首を振って見せた。
「……ッ!」
怒りで我を忘れかけた。自分が有能だと思っている人間ほど、自らの手落ちを認めない。手配したはずの車が来ていないなど、疑われただけでも屈辱だ。……けれど。
「――」
連絡が来ていない。着いたら連絡が来るはずだった。そろそろついているはずの時間、だけれど……どうやら何かで遅れているらしい。パレードではないから遅れても問題ない、というよりも。
「あは。君って信用ないね」
「……ッ!」
炎が噴き出すほどにキツく睨みつけられた。後先というものを考えられない人間だったら、首でも絞めていそうなほど。
むしろ、この場合は遅れた方が正しかった。ダミーの情報はいくつもばらまかれていて、彼女に伝えられた時間も嘘。『ティアマト』を狙う組織などいくらでもいるから、対策はいくつやってもやりすぎることはない。
「時間はあるみたいだよ、ティーちゃん」
「うん、あそぼ? クーちゃん」
「いいよ、何しよっか」
「うーんとね。うーん……あれ! 手を叩くやつ!」
「手を? あれか。僕もリズムは忘れちゃったな」
「ティアも! てきとうにやろ?」
「あそびだしね」
そう言って、二人で鼻歌を歌いながらぱんぱんと互いの手を鳴らし始めた。彼女はそれがアルプスいちまんじゃくとか呼ばれるものと知っているが……何を言っていいのか、分からなかった。遊ぶなと注意すればいいのか、それとも遊んでいてくれるなら好都合と黙ればいいのか。
そして、彼女たちは迎えが来ても続けて――ずっとずっと、それを続けていた。護送車が襲撃され、銃撃戦が勃発する中で。どうにか護衛が切り抜けて、学院へ着くまで……ずっと飽きずに。