第65話 終わり行く世界
〈世界を救う〉ストーリーは数多くても、それは”作り物”でしかない。現実には己の利益をぶち壊す”気狂い”など存在せず、それを騙る拝金主義者がいるのみだ。
もしくは目に見えるご近所を世界のすべてと誤解する素朴な人間も居るかもしれないが、その彼もしくは彼女は物語に描かれることのない枝葉の些末事でしかない。
だからこそ、描写されるとすれば”日本を沈没させる”に足るストーリーだ。静かに、だが確実に人々を蝕み気付けば破滅への階段を転がり落ちるもの。
皮肉にも、現実にはそれがある。麻薬だ。
そう、この勤労意欲が低下しきった世界でも麻薬製造は数少ない隆盛を誇る産業だ。もちろん日本でそれを許すほど織田首相は耄碌していないが、海外は別だ。
麻薬を製造し、蔓延させて金を稼ぐ。こんな末世だからこそ求められ、そして今や日本まで汚染しようとしている。それもすべて金のためだった。日本と海外勢力のせめぎあいだ。
「まったく、人間ってのはとんでもない愚か者だと思わないかい? 魔法少女は別の種類の人類だから、倒すのは正義――そんな自己正当化があるけれど、そんなことより前に尊厳を貶める麻薬産業を皆殺しにする方が先だろうに。ねえ、そう思わないかな。『ふわりん』」
「ぷ~。はうはう~。クラックは難しいことを言うね~。ふわりんはどうでもいいよ~。クラックがそんな怖い顔しても関係なんてない~。どうなっても、まあ皆それなりにやってくさ~」
かつかつと音を立てて”潜水艦”の中を歩いて行くクラックともう一人の魔法少女。侵入など魔法でもなければあり得ないのだが、しかしどちらも魔法少女だから不思議はない。
だが当然ながら航行中の潜水艦には船員が居て、もちろんこの侵入者を確認するとギョッとした次の瞬間にどうにかしようと試みる。そんな彼らは入れ墨を見せつける暴力に慣れた人間、マフィア達だった。
「それなり、というのが厄介でね。どうせこいつらも自分が世界を壊してやるとか思ってないだろう。人より簡単に金を稼ぐ俺は頭がいいとか思ってるだけだ。自分がどれだけ馬鹿なことをしているのか分かっていない、という点ではこれは大抵の人も同じでね。絶対的な〈悪〉などない、特にここにいるような使われる人間はね――」
「……うーん。クラック? つまらない話をしないで。ほら、ニコ~って。笑っていれば幸せな気分になれるよ~。そんなに眉を寄せてむ~ってしてたら、む~ってなっちゃうんだからね!」
しかし、この乱暴者達でもこのかわいらしい侵入者たちを阻めやしない。どうにかしようと注目した瞬間にふわりんの魔法に囚われて”ふわふわ”の状態でその後について歩いて行くしかない。
ふわりんはあいかわらず、ふらふらとフラダンスのような酔っているような珍妙な踊りをしながら歩いている。それは何段もフリルを重ねた豪奢な衣装と幼い風貌と相まって大変かわいらしいが、効果は凶悪であった。
「ふん。ニヤニヤしてるよりはマシだろうさ。金も指示ももらってないが、これは仕事なのだから。いや、本当は奴の――」
「クラック。……ニコっ」
まだ言い重ねるクラックの顔を掴み、正面から擬音が聞こえてきそうなほどの笑顔を至近距離で向けた。
むろんこのふわりんもクラックの指導を受けて魔法が強力化している。この踊りを見るだけでも、それがたとえ動画でも……洗脳下に落とせる魔法に成長している。
「いや、通じないのは知ってるだろうけど。それでも僕にその魔法を向けるのやめてくれない?」
「もっと笑顔になった方がいいと思う~。魔法なんて関係ないよ、ふわりんはいつもふわふわです~。クラックは一回ちゃんとふわふわになった方がティアマトも喜ぶと思います~」
「機会があればね。さて、笑顔でもいいから仕事はやってくれよ」
「はい~。頼まれたことはやりますよ~」
そして、歩いて行くと食堂に着く。ふわりんがクラックとそこに入っていくと、乗組員も何も疑問に思うこともなくついてくる。
そして、異常に気付いた者達も続々とやって来ては洗脳に落ちる。洗脳下に落ちた者ごとぶっ殺す選択肢が取れない以上、ふわりんに対する抵抗手段などないのだ。というか、海の下を進む潜水艦に敵が出現したときの対抗策などあるはずがない。
瞬く間に潜水艦はクラックの魔の手に落ちた。残るは敵ごと自沈するしかないが、この潜水艦を任された人間はそこまで思い切りは良くない。
「サイレン、うるさいよ~」
「確かに、落ち着いてはいられないね」
クラックが指を鳴らすと、侵入者に反応していたサイレンも、そして艦内放送機能さえ寸断された。
準備が整ったと見ると、ふわりんが乗組員達の前に出る。
「さて~。悪に堕ちちゃった、かわいそうなみんな~。あなたたちはかわいそうだけど、悪い人だからもう生きていくことはできないの~。うえーん」
幼い口調で、ふわふわした口調でとんでもないことを言っているが、洗脳に落ちたマフィア達はヒーローショーを見る幼児よりも素直に嘆き悲しんでみせる。
「でも、知らないうちにどっかーん、だとそんなのとってもかわいそうだよね~。ヒーローにやられる雑魚も、ちゃんと生きてるからね~。まあヒーローなんて知らないけど~」
「だからね~。かわいそうだから~。ごちそうを用意しました~。死んじゃう前に、最後の晩餐を食べましょう~。お酒も、お肉も、今日は好きなだけ食べていいよ~」
「悲しまないで~。苦しまないで~。楽しんでいるうちにドッカーンだから、気にせずに逝こうね~」
ふわりんが言い終わると、いつのまにかご馳走や酒が用意されて香しい香りが漂っている。それは、今の世界では彼らのような木っ端ではお目にかかれないほどの上等なそれだった。
酒も、肉も、魔法少女が現れる以前の質を誇るものは権力者の口にしか入らない。特に内戦の嵐が吹き荒れる欧米では格差が顕著に現れていた。彼らが口にするものは、文字通りに餌だった。
「さて、こちらはこれでいいか。では籠城を決め込んだ”上”に会いに行こうか」
クラックはわざわざ自分の足で歩いて船長室に赴きノックまでする。
「――」
答えは返ってこない。だが、怯える気配が奥から伝わってくる。潜水艦というのが悪い、前にクラックが沈めたのは高速船だったが、そちらは銃で応戦できた。こんな場所では、ナイフくらいしか使えない。
「やれやれ。礼儀を知らないのかい? 客を無視するのがマフィアの流儀かな。売った喧嘩を買ってもらえないなんて、寂しいなあ」
もう一度ノックすると同時にドアと、そしてドアを封鎖する本棚まで灰になる。そして、クラックは悠々と部屋の中央まで歩いて船長室に居た二人と相対する。
「――やあ。ご存じ僕は魔法少女クリック・クラックだ。そうだね、僕が日本を管理していると言っても過言ではないね」
「……なんのつもりだ?」
壮年の男と、若い男。もはやテンプレ的な、偉くて太った男と、新進気鋭で切れ者で戦える男。
「ううん。どう言っていいものか。僕はさ、別に隠してないんだよね。僕が落とした船はこれで――何隻目だっけ? 中国からのはでかくて隠す気すらなさそうで、逆に君たちのはここまでやるかってくらいだよね。こんな潜水艦まで持ち出すなんて」
「……お前が何を言ってるか分からんな。【ナクト・ファミリー】の今後を賭けたこの船が沈められれば終わりだ。他の、何も関係がない」
「ああ、そういうのはいいから。俺がすべての罪を被る、親に類を及ばさないっていう茶番だろう? まあ僕も君たちの権力構造は知らないから、黙秘にはそれなりに意味はあるだろうけど」
「――」
彼は愕然とした表情をする。それが最後の砦だった。いくら脅されようが吐かない、どれだけ強い相手だろうが、魔法少女などに屈しはしないと。
だが、この目の前のクラックは、そんな誇りをまとめてゴミのように扱った。最後の一線、それだけは離さず逝くと誓ったそれを、鼻で笑うのだ。
「連絡は行ったよね? だから君に時間をあげたんだよ。いや、兵隊たちを憐れんだのは本当だけどね。――あと、まあ30分くらいかな。それくらいは時間をあげようと思ってる。それまで暇なんだよね」
「ひ、暇……だと」
「余興さ。そもそもボクは連絡が行ってなくても、潜水艦が落ちたという事実があればそれで構わない。まあ――」
「なんだ!? 何をしようというのだ!」
クラックはこの哀れな男を前にニヤニヤと笑っている。実際に、コイツは絶望のどん底で死ぬべき人間だろう。
拷問したことも、人を殺したこともある。そのようにして成り上がった人間で、だからこそ潜水艦を任された。これが成功していたら組織の長老クラスに成り上がることは間違いない。
そんな――悪い人間をいたぶっていると、唐突に横からナイフが飛んでくる。
「死に晒せえええ!」
「そんなに叫ばないでよ」
馬鹿にしたような笑みが、頭上から刺し貫かれた。もう一人の男が背後に忍び寄ってナイフを振り下ろした。ナイフは頭蓋を叩き割って脳まで抉ったはずだった。
なのに、クラックは何も支障なくしゃべっている。血の一滴さえ流れ出ない。
「――」
刺した男の方がぐらり、と傾いて倒れ伏せた。その頭は深々と穴が開いている。まるで、ナイフで刺し抉ったかのように深い穴から血と脳漿がどくどくと噴出する。
「あのさ、叫ぶとタイミングがバレない? 君にしたところで話で注目を引きたかったのは分かるけど、もっといい手段なんていくらでもあるよ。そう、今みたいに銃を向けるとか――」
「あああああああ!」
男は懐から出した銃を、すぐさま撃ち放った。狙いたがわずクラックに当たるのだが、血に染まったのは撃った男の黒服だった。
「もちろん手品、傷を転移させた訳じゃない。それは破壊ではなく悪夢の領分、手品の手管だよ。攻撃を消し飛ばして似たような傷を同時に叩き込んだだけ。……って、聞こえてないか」
クラックはやれやれと首を振る。
「まったく、僕はこんなにも人間どもの未来のために働いているというのに、肝心のコイツラと来たら他人を損させることしか考えないんだから――」
くだらなさそうに呟いた。そして、次にすることも考えたのだが。ふわりんの方は手伝っても意味がないから、次の料理のために食材の下ごしらえだけしておくために転移した。




