第58話 人間たちの侵入
その日、クラックたちは姿を消していた。
ラミエルにはその三人が何をしているかを知るすべがない。部屋にいる時のようにたわいもない遊びをしているならそれでよいのだけど。……クラックは明らかに政府に敵意を持っているし、派遣された刺客だったために的外れとも言えない。
以前にクラックから、世話をしていると言われた。それを否応がなく実感してしまう。世話されているだけで、こちらからできることは何もない。豪邸の中で走り回っている幼女二名と何も変わらない立場なのだ。
だからこそ、何も起こらないでほしいと思う。――きっと政府は統治のためにクラック打倒を諦めず、対するクラックもまた降ることはないのだろうけど。
……悪の秘密結社に立ち向かう正義のロボットに乗る少年のことを連想してしまった。けれど、この場合はどちらが悪なのだろう。きっと、どちらも犠牲にされた人々のために相手を声高に非難するだろうーー戦うことはなく。
そんなことを考えていたためだろうか。……遠くから悲鳴が聞こえた。
「マルガレーテ、ヘカテー!」
走り回る二人を呼び止める。
塵一つ落ちていない豪邸はクラックの魔法による賜物だ。そんな中をただの子供のごとく走り回って遊んでいた二人は鬱陶しそうに顔を向ける。
「なにー?」
「別に近くじゃないから大丈夫だよー」
二人はあくまで呑気なものだ。もっとも、暴力の気配に慣れ切って近場で事件が起きようと気にしないという危うい呑気さである。
「二人はここで待ってて。私が様子を見てくる」
「……なんでラミエルが行くのさ?」
「うん。私たちには関係ないよね?」
このように、助けに行くという発想自体がない。むしろ、襲ってくるのならぶちのめしてやろうと面白がっている気配すらある。
とはいえ、自分から行こうとはしていない。それはクラックに外に出るのをやんわりと制止されているからかもしれないけど。もちろん禁止ではない、そうなればこの幼女二名が破らないはずがないからだ。
「なんでも。私以外の人が来ても扉を開けちゃダメだよ」
「ヤだよ、ラミエルの言う事なんて聞く義理ないもん」
「マ、マルガレーテ。でも、他の人と話すの……怖いよ」
「大丈夫。くまちゃんがやっつけちゃうもん」
「そっか。それなら安心……」
「すぐに戻ってくるから、待っててね! 話すのも倒すのもダメだから!」
言い捨てて、外に出て扉を閉める。鍵をかける。自分の方が正しいなんて言いきれない。それでも、自分の行動は間違っていないと信じている。
「――悲鳴はかなり遠くで、女の子の声だった……すぐに行くから。『熾天使の翼』」
光の玉を12個呼び出し、左右に分けて光の翼に変える。力を込めてジャンプすると、そのまま飛翔を開始した。
少し前に時間を巻き戻す。
「……ここが東京か。あの日から1か月も経ってねえってのに」
1台の軽バンが東京に侵入した。魔法少女出現からこちら、日本であろうと治安が荒れて使われない道路は荒れ果てるようになった。スピードを出せば間違いなくパンクする荒れ道をゴトゴトと走って行く。
「お姉ちゃん」
そして、助手席には年端もいかない女の子が乗っていた。シンプルな白のワンピース姿で、魔法少女ではない。
「姉ちゃんってのは、国に連れ去られたんだっけか。ここに居るのか?」
「アーティファクトを密告されて。それで、東京の研究所に居るって聞いたんですけど……」
「混乱でどうなったのかもわからない、か。連行された人間の行方は大抵わからなくなるもんだがーー残ってるのかね」
「分からないです、何も。でも、探すならここしか」
「まったく、世界はどうなっちまったもんかね。魔法少女がどうたらで、世間様も暗いったらない。――ま、日本はまだマシだろうがよ……」
「……お姉ちゃん」
「お前さん、親はーーいや、いい。そんな話はどこにでも転がってるもんな。天涯孤独の二人きりの家族か」
「お姉ちゃんまで居なくなったら、私は……」
「見つかるといいな」
その可能性は著しく低い。奇跡でも起きない限り、そんな出会いはありえない。何百人、何千人が”消費”されたか。その中で一人だけ生き残っているなどと。
幼女もそのことは分かっているし、大人の男も一々口に出して揶揄するようなことはしない。ただ、車を走らせる。
どこからでも見えるユグドラシルを目印に進んでいくと。
「……ッ! 嬢ちゃん、伏せろ!」
「え……っ!?」
その瞬間、足元に衝撃が走って軽バンが浮く。すぐに着地するもコントロールを失って横転する。
「くそ……! 嬢ちゃん、無事か」
「あ、はい。でも、何がーー」
「地雷を踏んだか。いや、東京なら……」
ほぞを噛む。この廃墟に歓迎の雰囲気を感じ取れるほどお調子者ではない。だが、ここまで直接的に手を出されるとは見通しが甘かった。
タイヤにコマを投げて横転させた魔法少女が、上から見下ろしている。
「人間がーー東京などに何の用だ?」
冷たい目で見据えている。それは縄張りを侵された獣の反応だった。よくわからない変なものを叩き出す、という。
「車なんかに乗ってきて。その女の子も魔法少女じゃなさそうだし」
横からの声に、そちらを向く。足を引きずった魔法少女がピロピロ笛を吹いていた。ある種コミカルな光景だが、鉄パイプだのナイフだので抵抗できる相手じゃない。
「ああーー悪いね。俺たちは人探しに来ただけなんだ。君たちに対して何かしようという気はないよ」
だから、彼は降参と手を上げる。手を上げたまま言葉を交わそうと試みる。へらへらした笑みを浮かべて軽薄に見えるように。
相手をできるだけ刺激しないようにと、細心の注意を払う。
「ふん。物見遊山の観光客か。私たちは見世物じゃない」
「気を付けて、そんなのただのでまかせでしょ。この男には何か目的があるはずよ」
とはいえ、この魔法少女たちには無駄だった。明日も知れない状況に追い詰められ、凶暴性が剥き出しになっている。
「うるさいわね。お前の指図なんか受けないわ」
「そう? 力のコントロールができなくて缶詰も握りつぶしちゃうアンタが一人で生きていけるとは思えないけど」
「なんですって! 私の助けがないと階段もまともに上がれない癖に!」
「やる気!?」
あっと言う間にいがみ合い始めた。コンビネーションと言うべきですらない酷い有様。こうも破れかぶれになっているのだから、交渉の余地などなかった。
「――しぃ」
男はこの隙に逃げることを決めた。幼女の手を取り、車道から裏通りへと移動しようとする。
「あっ」
幼女が、石を蹴ってしまった。カランと音がして、チグハグなコンビが振り向く。
「こいつ、逃げようと……!」
「なら、足を潰せばいいだけ。ぴろぴろ~」
気の抜けるようなピロピロ笛の音。だが、次の瞬間には車がぶっ飛んでしまった。空中で回転して地に突き刺さるとすぐに炎上する。
「おい、車の中にあった物資を奪えたんじゃないか」
「……。……。逃げるなら、お前たちを潰す」
ピロピロ笛の魔法少女は反論が思いつかなかったのか、男の方に脅迫して話をそらす。日本では、ほぼありえないような殺伐とした空気が満ちる。
そんな雰囲気にただの幼女では耐えきれなかった。
「きゃあああああああ!」
叫んだ。その悲鳴は廃墟の東京によく響く。
「はん、悲鳴? そんなの無駄だから」
「助けに来る奴なんていない。これだから甘やかされたガキは……」
不愉快だったのか、二人の魔法少女が距離を詰める。
「だ、ダメだ。矢筈君、相手を興奮させるのはマズイ……!」
「ひぐっ。やーーあっ! お姉ちゃ、うっ」
男が幼女の口を塞いだ。ありえない光景だが、この男もその子を守るために必死で絵面など考える余裕はない。
「さあて、どうしてくれようか」
「東京に入ったらどうなるのか、身体に教えてやる。ぷ~」
魔法少女達は嗜虐的な笑みを浮かべている。大した力を込めていないように見えるのに近くの瓦礫が砕かれた。
次はお前だぞ、とニヤニヤとした目が言っている。
「ま……待ってくれ。見逃してくれないか。金ならある。お菓子とか、レトルトとかーー車に積んできたからまだ燃えてないのもあると思うんだ。だからーー」
哀れっぽく懇願する。しかし悲しいかな、聞き届ける様子はない。
「へえーー食いもんがあるならいいじゃん。アンタが燃やさなければ、ね」
「じゃあ早く火を消しなさいよ。私の魔法だと中身まで消し飛ばしちゃうわ」
ふん、お前は魔法のコントロールが甘いのよとコマを投げると、衝撃が走って炎だけさっぱり消えてしまう。燃えるものがある現場では、ダイナマイトの爆発で火事を消し飛ばすことがある。その応用だった。
「まあ、残ったものは私たちが利用させてもらうわ。感謝しなさい」
「それで、アンタらは……ねえ」
けらけらと嗤う。もっとも、この二人も何も考えていないのだ。脅しつける立場になって機嫌がよくなっているだけで、それをどうしようとは考えていない。それこそ一昔前のオヤジ狩りと変わらない、弱い相手に調子に乗っている。
ただ、命までは取らないにしろ骨の一本も折られるかもしれない。そうなれば東京からの脱出が難しくなるから、どちらにせよ死んでしまうという最悪の状況である。
「わ、悪かった。あなたたちの縄張りに入ってしまったことを謝罪する。だから、どうかお手柔らかに済ませてくれないか? 俺が持ってるのなんて、あとは金くらいだ」
財布を地面に置いて土下座する。もう、何もすべはない。無駄と分かっても慈悲にすがる以外にやれることがない。
「はん。はした金なんかでどうにかなるかよ」
「ええ、たっぷりと思い知らせてあげなくちゃ」
もっとも、それで許してくれるなら世界は”こんな”になっちゃいない。
実験動物と扱われた屈辱、身体を勝手にいじられた怒りと思うようにならない体の不安をぶつける相手が欲しいだけでも。
誰でもいいから虐げたい。普通の人間なら正義の大義名分がなければできないが、この二人には自分の不幸という理由がある。そして、理由があれば人間はどこまでも非情になれることは歴史が証明している。
「――」
男は、それでもどうにかしようと言葉を探す。だが、何をどうしても説得できるような言葉は思いつかない。
終わりだ、と絶望したとき。
「そこで、何をしているの」
ざん、と天使が銃弾のようなスピードで着地した。
男は頭を下げたままだったが、他の三人はその顔を見る。
「お前、あのときの!」
「クリック・クラックの玩具に成り果てたか……!」
一緒に戦った魔法少女だ、名前も知らないけど。それに二人が無事でいられるのはラミエルが降伏したおかげなのだが、そんなことは知らないので敵前逃亡と敵意を向ける。
まあ、この二人にしたところで再度挑むわけでもないから敵前逃亡なのだけど。
「……おねえ、ちゃん?」
「木乃実!? なぜ、こんなところに」
そして、奇跡の出会いが。研究所に行った魔法少女は、よほどの有用性を見せなければ家族に会うことも叶えられないから。
「お姉ちゃん、私。私はーー」
「うん、後で聞かせて。今は……」
ラミエルが二人の魔法少女に翼を向ける。
「退きなさい、この場は私が預かるわ。――あなた達じゃ、私には勝てない」
「舐められたものだな!」
「1対2で調子に乗るな! お前は奴のような化け物じゃないだろうが!」
否応もなく魔法少女同士の戦闘に突入する。




