第50話 冒険者RPGの始まり
どうしてこんなことになっているのだろうと思う。その問いはくすぶり続けて消えなかった。この手にアーティファクトが現れたあの時から、ずっと自分がこんな目に遭った理由を探していた。
けど、誰も答えてはくれない。
ただ命令するだけ。あっちに行けとかこっちに行けとか、それで医者の人に色々言われて。魔法も、言われるがままに使った。
そんな日々の中で、唐突に世界が終わった。いや、終わらなかった。世界を滅ぼすに十分な巨大な魔法が空中に現れて、しかし何も壊さないまま消え去った。その混乱の最中、同じ境遇の一部の子は逃げ、しかしほとんどは大人の言うままに車に乗って脱出した。
言うことに従ったその先は、似たような日々が続くだけだった。あの恐ろしい光景も、日々に変化をもたらすことはなかったのだ。
そこで、突然敵を倒してこいと言われた。あの魔法を使ったのはクリック・クラックだとか。それで次を起こさせないために倒すのだとか。正直、よく理解できなかった。
でも、集められた他の子が巨大なテディベアを生み出して走って行ったからついていくしかなかった。……その先でそのクリック・クラックと交戦――交戦でよかったのだろうか。ただ遊んであげただけとか言ってたが。
とにかく、本気を出したクラックの前に歯が立たなかった。そうすれば他の子を助けられるのだと、彼女に降伏した。
――今は、ボロい家に通されて自室を与えられた。いや、ボロいのはいやがらせではなく趣味なのだろう。自由に使ってねと本人は上の階に上がって行ったし。
冷蔵庫には食べ物があったし、水道も通っている。食事の時間になると呼び出されて上に行った。
「どうすればいいんだろう」
何度繰り返したか分からない問いを吐き出した。魔法少女になってすべてが変わった。けれど、倒すべき魔物なんて居るはずもなく。
一緒に食事をして、あの子達も悪い子ではなさそうだなんて思ったらもうだめだ。どこにも行けなくなっていた。守るべき家族を残しているのに。
「ラミエル、ラミエル」
鍵をかけてない扉を開けて入ってきたのはテディベアの子。いや、クラックが鍵をかけていないのに自分がかけるのもどうかと思うし。
後でこの子に名前を聞いたらマルガレーテと言うらしい。この子は幼くて、特になにも考えていないようだ。
現にクラックにチョコレートを貰ったら秒で懐いていた。いや、まあ今の世界ではチョコレートなど高級品だが。……好きなだけ与えてしまっては太ってしまわないだろうか?
「ラミエル、いこ」
そして、もう一人。ヘカテーと言う魔法少女は、背こそマルガレーテより高くても情緒は幼い。聞けば少し前に似たような経緯で引き取られてきたらしいが。
「ええと……どこへ?」
「クラックの部屋。ケーキ、入ってた」
「あの人の……」
少し考え込んでしまう。いや、食事に呼ばれて入って行った部屋ではあるが、異界化していた。空間が歪み、ありえない植物達が生えていた。それでいて、家具などは普通に置いてあったりするのだから不気味だった。
「えと……ケーキ。食べていいって言われたんですか?」
とりあえず聞くと、ふるふると首を振る。
「なら、やめた方がいいですよ。あの人のことだから、夕食のデザートにでも分けてくれますから」
「んーん」
ヘカテーに首を横に振られた。肯定するようにマルガレーテも頷いた。
「ええ……。何がだめなんですか?」
「いま、食べたい」
頭を抱えてしまう。これは……本当に幼女では? いや、魔法少女になって姿が変わる者もいるが実年齢そのままなんだろう。クラックあたりは、あれは完全に幼女詐欺だが。
「怒られてしまいますよ」
「……」
ぐ、と無言でガッツポーズを取られた。イタズラが楽しくて仕方ない子供のキラキラした目だった。
あと、単純にクラックのことを舐めているのだろう。昨日の食事でもなんか疲れてた風だったし。これでなにかされるならともかく、どうせ罰はお尻ペンペンくらいだろう。
「そのー。ううん、あまりそういうのは……」
二人して手をぐいぐいと引っ張ってくる。ケーキの盗み食いというイタズラは、この子達にとってはよほど楽しい冒険なのだろう。
というか、自分は保護者でもないし。叱るのもどうなんだろうと、つらつら考えながら流される。
クラックの部屋の前まで来てしまう。
「――いないよ」
「よし」
扉を開け、その姿がないことを確認して部屋に入る。ボロアパートの壁であるはずの場所、その奥に無限の空間が広がっている。それと、書斎の扉が一つ。どちらに居るのか分からないが、お目当ての冷蔵庫はボロアパートの空間にある。
「気を付けてくださいね。壁に張っている木には触れないように」
「なんで? 触っても大丈夫だよ?」
ヘカテーは脈動する根に触ってしまう。
「ちょ……ッ!」
びっくりして彼女を抱きかかえて引き離すが、なにも起こらなかった。
「あはは! ラミエル、驚いた! みっともなーい! 炙られた死体みたいなビクついてるー」
「ヘカテー、あなた誰にそんな言葉を習ったんです?」
「んー。ええと、こんなこと言うのはー。言い……」
無邪気に考え込んだと思えば、どんどん顔が蒼くなる。震えだす。”前”はどんな仕打ちを受けたのだろうとかわいそうになるくらいだった。
「あ……ほら、冷蔵庫。冷蔵庫は向こうですよ。ケーキがあったんですよね?」
「ケー……キ?」
「ラミエルもやる気じゃーん。へっへー、鬼の居ぬ間になんとやらー」
マルガレーテが何も警戒することなく駆けて行った。
「……ふふーん。くっふー。ね、すごいでしょすごいでしょ。豪華な箱! 絶対すっごいケーキが入ってるって、こんなの!」
興奮気味に取り出して、手招きする。いや、ラミエルとしてはこんな豪華にリボンで飾りつけされているものを開けたら、隠すもなにもあったものではないと思うのだけど。
しかもキッチンではあるとはいえ狭いので隠れる場所すらない。
「ケーキ! ケーキ!」
ヘカテーも喜んで箱まで駆けて行った。どうやら、さっき思い出したものは忘れてくれたらしい。
本当にいいのかな、と思いつつもケーキを盗られたくらいで怒るクラックの姿を想像できなかったのでラミエルも流される。
「ごかいちょうー」
「御開帳なんて、難しい言葉を知ってますね。マルガレーテ……」
ぐちゃぐちゃとリボンを剥ぎ取っていく。これ、絶対に元に戻せないなと思った。
「はやく、はやく……!」
「なにケーキかな? チョコレート? ショートケーキ? タルト?」
「箱が白いからショートケーキじゃない?」
「イチゴたべたい!」
二人して滅茶苦茶に剥ぎ取った。いや、箱にまだ絡みついている。綺麗に取っていないからだ。だが、二人は気にせずに上下の箱を上げる。
ケーキの姿が現れるが、上箱にからみついたリボンがケーキに当たるのを危ないと指でキャッチしたら失敗して生クリームが指についてしまった。
しまった、と顔を歪める。
「あー。だめなんだーラミエル。つまみ食いはめーだよ」
「だれよりも先にケーキを食べたいなんてー」
めざとい二人がからかってくる。反論できずに、ついてしまったクリームを指で舐めとった。
「ホールケーキじゃないですか。これ、つまみ食いどころじゃないですよ。絶対あとからバレますって」
戻せないリボンは一旦忘れて説得する。いや、ラミエルもよだれが出そうになるおいしそうなケーキではあるが。
イチゴは瑞々しく輝いて宝石のようで、まるで芸術品だった。高級品だと一目でわかる、威圧感を放っていそうなほどのケーキ。今の世界ではいくらするんだろうと思うと、背筋が凍る。
「ラミエル、はじめにつまみ食いしたのに意気地なし」
「私たちだって食べちゃうもんねー」
だが、芸術品の美しさも子供には関係ない。計算されたイチゴの配置も気にせずに、ぱくりと食べてしまった。
「……あっ」
「うまーい!」
「すごいねー。こんなおいしいイチゴ、食べたことなーい」
上に乗っていたイチゴは瞬く間に二人のお腹に収まってしまった。
「あああ……」
がっくしと膝を付く。いや、もう隠すどころじゃないなと。
「そうだ、ケーキ!」
「ケーキ!」
手づかみでケーキを食べようとして。
「わああっ! やめなさい、やめなさい! せめて食べるにしてもスプーンを使いなさい! ええと……ほら!」
そこらにあったスプーンを二人に握らせる。
「えー。これがオツなのに」
「ラミエルってばこまかーい」
しぶしぶと受け取って食べ始めた。一度口にすると止まらないらしく、ホールはどんどん削られていく。
「ラミエル、食べないの?」
「ここまで来たら同じだよー? ほら、あーん」
ヘカテーが先ほどまで食べていたスプーンでケーキをすくって差し出す。長らく食べていないケーキに抵抗できるはずもなく、その一口をもらう。
「……うまっ!」
思わず声が出てしまった。
「あははー、うまっだって」
「でもこれうまいよ。うまっ! うまっ!」
子供が真似し始めた。顔が赤くなった。
「二人とも。あのですね……あ」
気付くと、ホールの半分が消えていた。これはさすがにまずいのではなかろうか、と思ったとき。
「三人とも、今はおやつの時間ではないのだけどね」
音もなくそこに居たクラックが見下ろしていた。
「「ぴっ」」
二人が、イタズラがバレた子供のように顔を蒼くした。そして、息の合った動きでラミエルのことを指差す。
「「ラミエルが食べましたっ!」」
「え……っ!?」
反射的に、こいつらそのために連れてきたなと怒った。
「いや、ほっぺたにクリームが付いてるよ」
「「……うそ!」」
「ああ、うん。ヘカテーの方は嘘だけれど」
「「――」」
二人がお見合いのように視線をかわす。
「「こいつが食べた!」」
「いや、バレてるよ。まあ別に食べられてもいいケド。……でもさ、三人とも、好きなものばっかり食べてると肥えるよ?」
「私もッ!? いや、私は――」
「太るんだって」
「ラミエルが?」
かわいそうになるくらい慌てているラミエルに比べて、二人のお子様は特に慌てた様子もない。いや、体型を気にする年頃ではないだけの話ではあるが。
「女の子なら、体型も気にしようね。いや、ヘカテーは碌に食べさせてもらえなくて成長が遅いけど。……でも、お菓子ばかり食べると横に成長するよ」
「音遠は好きなものいっぱい食べてる!」
「いや、あいつが食ってるのは肉だから。あれ? タンパク質ならいいんだっけ? それでもカロリーオーバーは……僕は魔法で肉体っぽいもの繕ってるだけだからわかんないな。でも、人間の肉体の君たちはやっぱりケーキで満腹になるのはよくないと思うんだけど」
「……音遠はピーマン食べない」
「あいつは汚い大人だから。三人はちゃんと食べないとだめだよ。こんなにケーキ食べちゃったら昼食を食べれないでしょ」
「「……あう」」
「いや、だから私もッ!? 私、ほとんど食べてないですけど! というか、音遠さんって私とほとんど変わらないですよね!?」
怒られるのが理不尽で、つい怒鳴ってしまった。
「はっは。人を見捨てられない君なんて、いつまで経っても大人になんてなれないさ」
「むぅぅ……!」
音遠は確かに自分とは違う。研究者達とはまったく違うけれど、しかし感じる”遠さ”としては同じだった。あれを大人と呼ぶのなら――自分は大人にならなくていいと思うほど。
今のラミエルでは、頬を膨らませることしかできないけど。
「さて、子供たちよ。食べて寝てばかりいては牛になってしまう」
「人間は牛にならないよ、クラック」
「うん」
「――食べて寝てばかりいる子は、ティーちゃんに頼んで牛にしてもらう」
「……ぴぃっ!」
「なんでそんなことするのぉ!?」
本気で怖がっている二人だが、ラミエルも洒落にならないと思った。あのティアマトなら冗談を本気にしてやってしまうだろう。
「だから、ピクニックに行こうか。運動しなさいね」
「怒ってる? クラック」
「怒ってるの?」
「いや、別に。さっきまでピクニックのためにティーちゃんとサンドイッチを作ってたんだよね。それと、ほら」
キッチンの片隅に置いてある炊飯器を指さすとピーと鳴って、二人がビクリと震えた。
「炊飯器。見たことない?」
「クーちゃん、どうしたの?」
ティアマトが書斎の部屋からやってくる。
「うん、ちょっといたずらっ子が三人ね」
「もう。あまりイタズラしちゃだめなんだよ。ごはん、作ってあげてるんだから」
「……逃げろ!」
「にげろー」
二人はバタバタと駆けて行った。
「……あの」
「ラジエル、君はどうする? 手伝ってくれても良いけど?」
「あ、はい。手伝わさせていただきます……」
やはり、流されるのであった。




