第39話 ブラッディ・レインの終わり
禁断症状に苦しむドーピングの魔法少女を介錯したクラックはブラッディ・レインに視線を戻す。
「さて、哀れな彼女の始末は付けた訳だけど」
「……チ。当てつけのつもりですか? この私に、自分の罪を自覚しろとでも?」
「そんなことは思っていないよ。というか、君は罪の自覚はあるだろう。ただ――与えられる裁きなど、その手で壊してやるつもりなだけで」
「そうですね。ええ、その通りですよ。どれだけの罪を重ねたとしても、ロッソ・ファミリーが世界を盗る! 頂点に立ち、誰に口出しされることもない究極の権力を手にする。裁きなど、恐れるに足りん!」
「そうだね、世界を恐れることなく対峙するのが魔法少女の資質。まあだからこそ君は第1段階止まりなんだけど」
「知ったことか。私が第1段階でしかないというのなら、それで貴様に勝つ! 【ブラッディ・スピアー】!」
もう一度血の槍を繰り出すが――
「僕は攻撃をかわした訳じゃない、砕いたんだ。身体の損傷は無視できても、魔法そのものを砕かれてはダメージも深かろう? 覚醒段階Ⅲの戦いとは、その削り合いであるのだから」
クラックを貫いたように見えて、実際には触れた傍から灰化しているだけ。攻撃がまったく通用しないどころか、カウンターとしてブラッディ・レインのアーティファクトを蝕んでいる。
「訳の分からないことをほざかないでください! 私が勝つ! それ以外の結末など、私は認めません!」
「んー。それは無理だと思うけど」
血の刃を作って切りかかる。だが、それも触れたそばから灰化する。
「勝つ……! 勝つ勝つ勝つ。私が、支配する!」
「支配。支配ねえ。もう君の領民は君自身が使い果たしてしまったようだけど?」
「――ッ!」
槍を使わないのは消耗以外に、”材料”もなくなってしまっていたからだ。連れてきていた兵隊は戦力ではなく武器だった。哀れな彼らは血と肉の詰まった袋でしかなく、槍を作るために大量に消費されてしまった。2つも跡形もなく消滅してしまっては余りなどない。
じいやが、心配そうに後ろから見守っている。もう残りは彼一人だ。もっとも彼自身でさえ出しゃばれる戦場ではないのは心得ている。だが、見捨てて逃げることもできない。
「馬鹿にするなよ、自ら身を削る覚悟もないとみくびるな……!」
ブラッディ・レインは己の両腕に爪を突き立てる。そのまま引き裂き、血の通り道を作る。傷から血を引きずり出してそれぞれに銃と弾丸を形作る。
「これは私自身の血でしか作れない特性の武器、これを目にしたことを光栄に思い死んでいきなさい」
「あは。必殺技、と言う訳かな。けれど大丈夫? 君は槍を壊されて死にかけているじゃないか。今度こそ、本当に死んでしまうよ」
「黙りなさい。ティアマトに挑む――そのための切り札だった。けれど、貴様ごときに舐められたままでは終われない。ティアマトと同格の魔法少女であれど……!」
「うーん。こんなものは、結局お遊びでしかないだろう? 勝った負けたなんて、別に大したことじゃないじゃないか。だいたい僕が勝ったところで君は忠誠なんてくれないだろ? じゃあ君が勝ったところで意味なんてないさ」
クラックはやれやれと肩をすくめる。そもそも戦った覚えすらない。戦いにすらならない実力差の前に、彼女たちは自分で壁にぶつかって死んでいくだけ。
逃げたとしても、腕を振って見送ってやる。そのくらいのつもりで相手してやっている。
「うるさい、知ったことか。お前を殺すまで後には引けないのよ、【シルヴァーバレット・クリムゾン】!」
血の弾丸を撃ち放った。槍よりも速く、重い一撃……マフィアにとって銃弾は戦場の神の裁きに他ならない。
その信仰は、実際に力になる。魔法が強力になる分、リスクも跳ね上がる。
「――」
クラックの心臓を貫き、倒れ伏せる。
「や……った?」
倒れたクラックは動かない。そしてブラッディ・レインはガッツポーズを決めて、喜びに身を震わせる。
次はティアマトだと、身の程もわきまえずに取らぬ狸を皮算用を始めて。
「あまり危険な真似をするものではないよ」
「クラック!? 貴様は殺したはず!」
後ろから囁かれ、手を振って払った。クラックは後ろに飛び退いて肩をすくめる。
「だって、あれを壊すと君は死んでしまうもの。あまり捨て身に頼るのもよくないよ、日本人の神風信仰でもあるまいし。命を懸けたところで、通じるのは同格だけなのだから」
「――この私にどこまでも舐めた真似を……! ――ッ!?」
ブラッディ・レインの身体がぐらりと揺れる。この赤子扱いする相手に捨て身の全力で戦った、その消耗は命を削る。先の銃身と弾丸とて再利用できる訳もない。形を維持できずに潰れて地面に染み込んでしまったのだから。
「まあ、これでお話する姿勢は整ったかな」
跪く彼女を、クラックは乱暴な子供を見るような目で眺めている。どうにもならない状況、そして立ち上がれない自分にマグマのような怒りが沸き立つ。
「貴様は、どこまでも屈辱を……!」
「――カルタン様!」
じいやが、禁じたはずの昔の呼び名で叫んだ。目の前が真っ赤になった。屈辱を与えた相手は必ず殺してきた。マフィアと言うのは、舐められたら終わりの生き方だ。だからこそ、取り返しのつかないことまで”つい”やってしまう。
「じいぃ!」
「え? お――ぎゃ!」
なりふり構わないブラッディ・レインは、気心知れたはずの彼ですら魔法でその全身を潰してハンマーに変えた。
彼を素材にした、服や骨が飛び出す血と肉の塊がクラックに振り下ろされる。
「無駄だよ、もう穂先を形作るだけの余力すらないのでしょう?」
「うぐ……」
ハンマーはあっけなく灰と消えた。ブラッディ・レインは歯ぎしりし、拳を大地に打ち付け――それでもなお、諦めない。
それは生き様だった。カルタン・ロッソは妥協したことが無い。どこまでも突き進み、膝を屈することのない精神がファミリーを育てた。だからこそ、心の支えを自らの手で折ろうとも止まることはない。
「さて、紅茶でも持ってこようか。クッキーも食べる?」
にこやかに舐めた口を叩くクラックに、頭を垂れる未来などありえない。今の彼女を動かすものは屈辱への怒りのみ。
「――シャアアッ!」
もはや魔力も尽きた。だが、死なない限り勝負はついていないとクラックの首筋にかみついた。
「……わ」
少し驚いた、ただそれだけでブラッディ・レインは灰となって消えてしまう。どれほど手加減しても、少し手元が狂うだけで消してしまう。
そもそもクラックだってティアマトほどでなくても人間不信、触れることのできる人物は限られる。
「ううん。まあ彼女としては殺し合いのつもり、だったのだろうしね……」
頭をトントンと叩いて、それだけで切り替える。まあ、実のところはブラッディ・レインと本当に通じ合えるなんて思っていなかったし。
「さて、ギロティーヌ。君はどうかな? 国なんて捨てて僕のところに来るつもりはないかな」
鋏を折られて倒れ伏せたままの魔法少女に向かって歩いて行く。
アーティファクトに傷が入ったとはいえ時間をかければ回復する。鋏だって魔力の少ない彼女では今すぐは無理でもじきに再生できるようになる。
「……!」
しかし、彼女は倒れたままクラックのことを睨みつける。
恩義などと言う複雑なものではない。マフィアなどが人を操るやり方など実に単純なものだ。因縁を付け、殴ってしつけるただそれだけ。だが、そこから抜け出せる人間はそう多くない。ギロティーヌは覚醒の扉に手をかけてすらいない、まだ人間なのだから。
「何も心配はいらない。温かいベッドも、お菓子も、甘い飲み物も――いくらだってあげるから」
甘い声を出す。そして、それは今の世界では一般人では手が出せない〈貴族の特権〉だった。
荒廃した世界で、飢えの心配がないのは日本くらいで。そして日本人でも菓子で腹を満たせるような人間がどれだけ居るか。
「――シィッ!」
だが、甘い誘惑は恐怖に打ち勝つ力にはならない。恐怖に囚われたままのギロティーヌはバネ仕掛けのように飛び上がり、片刃の鋏でクラックの喉元向けて身体ごとぶつかってくる。
「ボスに殉じるか。そういうの、人間は好きだね」
狙いたがわず喉元を突き刺し、そしてギロティーヌの方が灰となって散る。決死で覆せる程度の実力差ではないのだから。
「さて、外国からわざわざ来てくれた客人も残り一人。世界の支配者の冠は、それほど魅力的なものかね」
アイアンメイデンは壊したとはいえ、傷はそのままだ。しかも地面の上で暴れて更に自傷し血を流す彼女を見る。
「こんばんは、ヘカテー。もう大丈夫だよ、ここには君の怖がる血も骸もない」
そっとかがみこんで暴れる彼女と目を合わせる。
あたりの地面は血で溢れて悲惨なことになっている。ただの子供であれば耐えられるはずもない。魔法少女の強靭な身体が彼女を生かしている。
「……? ない?」
「ああ。ちゃんと服を用意してごらん。そのままの姿でははしたないよ?」
「――」
彼女が下に目を下ろすと、ずたずたに裂けた布が自分の身体を覆っていた。拷問でできた体の穴も、流れた血もきれいさっぱり消えていた。
「何が?」
「ん? 壊して綺麗にしただけだよ。あんな枷はないほうがいい。さ、服を編むんだ。そのくらいのこと、君は簡単にできる」
「簡単……に」
方法は分かる。アーティファクトが教えてくれている。だからヘカテーは言われたままにそうした。
まだ邪眼は暴走しているが、クラックには通じないし生き残りもいない。
「うん、よくできたね。えらいえらい」
「……えへへ」
褒められて、よくわからないけどヘカテーは笑った。過去に優しくされた記憶は、洗脳の過程において人格を踏みにじられる中で擦り切れて消えてしまった。
童女より幼い情緒の彼女は、その温もりに近づこうと手を伸ばして――
「ッ!」
超長距離狙撃が彼女の頭を砕いた。割れた頭蓋と血が飛び散る。さすがのクラックも、ここまでの傷をなかったことにはできない。
「ああ――つまらないことをするね。政府の連中か、また妙なおふざけを。そんなやり方で何と対抗しようと言うのか」
ブラッディ・レインが乗ってきた車を見る。パチリと指を鳴らして、その車を射出する。破壊の力のちょっとした応用だ。
「……ま、これで凝りはしないだろうけど」
凄まじい勢いで投げられた車はビルを貫き、狙撃をしたその場所まで届く。もっとも、コンビネーション狙撃をした3人の魔法少女の誰も殺せていないけども。しかし、第二射はなくなった。
「聞こえるかな? 聞こえているだろう? 耳どころか頭の中身まで砕けて飛び散っているのに、僕の声が聞こえるんだ。とても奇妙だと、君は思うだろうね」
頭がなくなったヘカテーに語りかける。
「あんな暴走では魔力はすり減らない。実のところ魔法を砕かれない限り、魔力はそう消耗しないんだ。つまり、君はまだ魔法少女として元気一杯の訳だ」
「ならば、身体を再生するなど特に骨が折れる作業ではないんだよ。あの子達はそれがだめだよ、魔法でもない鉄片ではね。あれでは僕が車を投げたのと同じで効果はない。物理法則では魔法少女は倒せない」
「先ほど服を作り直しただろう? 別にそれと何も変わらない。魔法少女として、きちんと襟を正さねばね――」
「襟?」
声が返ってくる。いつの間にか頭が再生している。声を出そうと思って、無意識にそうした。
「ふむ。魔法少女である以上は言語の壁などないけれど。難しい言い回しをしてしまったかな。服はちゃんと着なさいと、そういうことだよ。ここはお風呂じゃないんだから」
「お風呂。あなたは、私をお風呂に入れてくれる?」
「そこに反応する? ……まあいいか。いいよ、アリスと一緒に洗ってあげる」
「アリス……ちゃん?」
こてんと首をかしげる。壊れた彼女の精神性は幼く、声をかければ簡単についていく。
「かわいい子だよ。きっとお友達になれる」
「お友達……できる?」
「できるさ――」
「じゃあ、ちゃんとお洋服、着る……」
身体を起こす。その瞬間にすべてが元通りになっている。服も新品同然に変わった。もっとも、地面に撒き散らされた血はそのままだけれど。
「おいで。ティアマトに紹介するから」
「……うん」
ヘカテーは、クラックが差し出した手を握る。




