第37話 北欧から来た魔法少女
ヨーロッパから日本へ向けて出港した空母があった。その兵器は魔法少女を相手にするには不足でも、人間相手ならば絶望的なほどの脅威だ。マフィア程度であればミサイルで木っ端みじんにしてやれば怖くはない、はずだった。
――軍の維持が、できていたのであれば。
先進国が見捨てたアフリカは真っ先に人が血で血を洗う地獄と化した。そして、その次に崩壊したのはヨーロッパだった。国家の体力は消耗し切り、今や政治家を含む上級国民は結界の中に閉じこもった。外は、マフィアが支配する世紀末と化している。
そう、この空母ですらマフィアの持ち物となった。
「うふふふふ。感じる――この禍々しく強大な魔力。行先は日本、最強の魔法少女を倒して我らが支配者となり替わりましょう……!」
一番上等な部屋で、うっとりとしながらワインを飲む魔法少女。たっぷりとフリルのあしらわれた袖、切り込みが入った肩と腰からは妖艶な成熟した身体が覗いていた。
クツクツと笑う彼女、しかし実はこの彼女は元々女ではなかった。
「ボス。到着まであと180分を切りました」
「そう。なら、ファミリーに上陸の準備をさせなさい。空母なんてものは使い潰して構わない。――魔法少女ティアマトを倒せば、世界のすべてが手に入る」
魔法少女がこの『ロッソファミリー』を支配しているのは、とても簡単な理由だ。逆に、ボスが魔法少女に成ったというだけの話。力を求めて魔法少女になりたがる者は後を絶たないから。
そして、彼は手段を選ばずなんでもした。その中で、何人もの魔法少女を捕らえて研究した。夥しい犠牲の上に、彼は魔法の力を得たのだった。
そして、その過程で強力な魔法を持つ者を仲間に加えてまでいる。
「あなた達も、心の準備をしておきなさい。これから相まみえるのは、生命を生み出す埒外の魔法少女なのだから」
「「「――」」」
配下の魔法少女は黙っている。魔法少女は人を辞める過程、そんな相手をファミリーに加えるなど本来不可能なはずだった。だからこそ、尋常な手段ではない。言うことを聞かせるために人格を壊してしまった。
彼だった彼女、カルタン・ロッソという名前だったボス。成り果てた後では口調すらも変わっていることを自分で気付いているのか。魔法少女になることで力は得た。現代兵器など問題にならない力を得てヨーロッパ一帯を支配するに至った。
それと引き替えに失ったものを彼女は顧みない。血と暴力で構成された人生を、わき目も振らずに駆け抜ける。
「ふう、つまらないわね。奴との戦闘のために選んだ魔法少女だけれど、話をすることもできないのだもの」
唇を尖らせ、ワインを煽る。
言われている方は反応もしない。一人は虚空を見つめて笑っている、一人は大きな鋏を撫でている。そして、最後の一人に至っては知っていなければ居場所も分からない、アイアンメイデンに閉じ込められて時折呻き声を漏らすのみ。
「くく……ふふふふ。ああ、待ち遠しい。もうすぐ……もうすぐね。世界を支配するのは、この私。魔法少女『ブラッディ・レイン』がすべてを手に入れる」
軍隊から奪った空母、馬鹿げた値段のそれだが遠慮もなく使い捨てるのだ。計画はつつがなく進んでいる。
出し抜けにサイレンが鳴る。館内放送――陸に乗り上げるから防御態勢を取れと。
彼女は部屋を出て、不敵な笑みを浮かべて階段を降りていく。凄まじい衝撃が船体を襲い、べきべきと崩壊していくが一顧だにしない。
橋を下ろし、かき集めた雑多な車やバイクで駆けていく。
ブラッディ・レインはその中でも当然のように高級車に乗り込んでいる。
「怖いくらいに順調ですな」
「予想できていたことよ。ティアマトは日本政府では制御できない、ゆえに邪魔なのよ。妨害がないことも十分考えられた。もっとも、日本が何を邪魔しようが私には関係ないけどね」
それを運転するのは長い付き合いの老人だ。彼は幼い時分のブラッディ・レインとなる男の子すら知悉している。
ゆえに、話すときはいつも違和感に襲われて、それを表に出さないように必死になっている。今の彼女にそれを見せると自分がどうなるか分からない。それに、口調も仕草も全く違うが、考え方は以前の彼と変わりないのだ。すべてが変わり果ててくれていたら、いっそふんぎりがついたかもしれないのに。
「では、これからも妨害はないと見てよろしいのでしょうか?」
「ああ、陸の上で手を出す意味はない。こちらが目的外のことに手を出すならともかくな」
「そうですか。……ふふ」
「なにがおかしい? じいや」
「いえ――昔は若様とこうしてドライブをしたものだと思いましてな」
「ファミリーを引き連れて? 遅い奴らに合わせるのではつまらないわ」
「ははは、失礼。あの頃とは違いますな」
「それに、今の私には車ですら遅いのだもの。まだ走った方が面白いわ。……さすがの私もティアマトに単身挑む無謀は侵さないけれど」
「カ――」
「……ッ!」
じいやが前の名前を呼びかけて、ブラッディ・レインが睨みつける。その合間に――
「うおッ! ああああああ!」
車の外で悲鳴が響いた。今の世界では覇権となっている日本、だが地方にまでは整備が行き届いていなかった。道はガタガタ、そんな場所を大挙して雑多な車種で走り抜けているのだから。
それも、集団でも外側はバイクで走っている。盛り上がった場所につまずき、バランスを崩せば乗り手ごとどこかへと吹き飛んでいく。
「――」
ブラッディ・レインはその悲鳴を聞いても何も反応しない。わずかに目が冷たくなっただけで眉すら動かさない。
「――チ」
だが、集団のスピードが緩まるとキリリと眉を吊り上げた。じいやはまずいな、と思う。
ファミリーの絆を大事にする一方で、失敗した者は平然と切り捨てる。そのやり方で支配を続けてきた。
そして、今回も。通信機のスイッチを入れる。
「みんな、私たちはファミリーよ。家族として、私たちは助け合い、そして感謝の心を忘れずに進む。けれど、ファミリーの足を引っ張るのなら――それはもう、家族ではないのよ。進軍しなさい、我らがファミリーの未来のため。臆するな」
毅然とした声を配下に届けた。もっとも、それは足を止めたら捨てるということであり、スピードを上げろという脅しだった。
マフィアとしてはスタンダードに過ぎて平凡だが、しかし王道とは詰まらない正攻法のことを言う。暴力でまとめあげ、組織に奉仕させる。適当に綺麗ごとも付け加えておかなくては人は動かないことだって押さえてあるから完璧だ。
「――おお!」
「ボスのお達しだ、行け行け行けェ!」
「ヒャッハア!」
隊列を乱し、しゃにむにスピードを出し始める。逆らう者が居ないのは、頭でっかちを兵隊として連れて来ても意味がないというだけ。頭が良ければマフィアの兵隊などやっていない。
「うおっ!?」
「ひっ!」
だが、スピードを上げれば代償がある。頭の弱い彼らは忘れていたのだろうが、スピードを下げたのは劣悪な道路事情により事故を起こすからだ。
何人も汚い花火を起こして消えていく。爆発せずに全身を骨折して呻いていようと一顧だにせずに通りすぎていく。
「……ふん。この段において他の誰かの手出しがあるものか。ああ、待ち遠しいよ――ティアマトとの決戦の時が」
何人犠牲にしようとも構わず進んでいく。まあ結局おためごかしを言おうが他人がどうなろうが自分が一番大切なのは人として当たり前なワケで。
そうやって世界は動いていくのだ。何も変わらない。
「若様」
「じいや、私には魔法少女『ブラッディ・レイン』という名前があるわ。呼ぶならそちらで呼びなさい」
「ブラッディ・レイン様。あなたは……本当に――」
「ええ、ティアマトに挑む。我らロッソファミリーがすべてを掴むのよ……!」
ニヤニヤと笑っている。
じいやが聞きたかったのはそんなことではなかったけど。でも、この人を人とも思わない性格は昔からだった。人を殺してもどうとも思わなかったし、失敗したファミリーを始末したすぐ後にファミリーの絆を説くことだってあった。
つまりは魔法少女化なんてものではなく、元からの性格。そういう人で、そしてこういう人だったからこそマフィアとして成功したことも間違いがない。
だから、ため息を隠してこう言った。
「では、急がねばなりませんな。……もちろん、粗野にならない程度に」
「ええ。私たちは流儀すら解さぬ野ネズミではないのだもの」
マフィアどもが、殺気をみなぎらせながら無人の荒野を駆けていく。今の時代において外国人の観光客などありえない、その無法者を遠巻きに見つめる目はただそのまま見送っていく。




