第35話 『フィフス・インパクト』終幕
小汚い屋敷の前、とある男の後頭部をわしづかみにしながらも宙を睨みつけている少女が一人居る。そして、その後ろについて来た少女が聞く。
その彼女、音遠もちょっと困ったとでもいいたげな表情をしているのだが――実のところはそんな余裕な表情をできるような状況ではない。なぜなら世界が滅びかけているのだ。
そのボロ小屋の上にある黒色のキューブから発される波動が、人類史そのものを”破壊”する。防げなければ、人に未来はない。
「どうする気だい? 日本政府は大失敗のようで、クラックは世界のすべてを破壊する気らしいけれど」
「それは違うわ」
キューブを超えて空の上を厳しい目で睨みつけていたイエローシグナルが重々しく口を開いた。
何もかもが気に食わない、お前らさすがにどうなんだ――などと言いたげに怒っている。
「しかし、これはワールドエンドの魔法だろう? ティアマトの奴を倒して覚醒ステージⅣ、疑似シンカ形態に至ったんじゃないか。あいつは殺せないだろう」
「殺すどころか傷つけることも、奴にはできない。だからステージⅣに上がれず疑似シンカにとどまっているのよ。ステージⅣなど、あいつが不可触領域で会ったって言う魔法少女だって至っていない。アーティファクトの真髄は世界変革の力、今の世界を壊すごときにあんな手順を踏む必要などない」
「……ふむ、なるほど。とはいえ、このままだと世界が滅んでしまうじゃないか。となると――さて、あいつが作る新世界はどうなるかね」
「どうにもなりはしない。クラックに新世界は作れない。ティアマトが与えた生命を握りつぶしたことを倒したと拡大解釈して疑似シンカへ至ろうと――そんなものは結局ごっこ遊びにすぎないのだから。疑似では、しょせんそれまでなのよ」
「はは、手厳しいね」
「救えんな、誰も彼も底が浅すぎる。こんなものはガキがいやいやして腕を振ってるのと変わらないだろうに」
「――入らないのかい? 中は地獄だろうけどね」
「……」
イエローシグナルは小屋を無視してまだ上空を睨み続けている。
その小屋はティアマトの住処で、ぼろなのも彼女の生家を再現しているからだ。そして、ティアマトの住処でありクラックが迎撃のために空間を弄った。音遠の言う通りにそこは地獄だ。
「……がはっ。ぐ――。一体、なにが」
「おや、起きたね。ええと……誰だっけ?」
「忘れるな、馬鹿が。この私を連れてきて、一体どのような了見だイエローシグナル。貴様、日本と戦争を起こすつもりか……!」
起きたと同時に気丈に睨みつけてきたその男は織田信長、改名して日本の頂点に立った政治家だ。
「ふむ。存外に元気だな。……それが政治家のバイタリティとやらか。しかし、貴様らはすでにティアマトと戦争を起こしたぞ。その下らん驕りは、世界と引き換えにするに足るものか?」
「ああ、うん。よくやるよね――ティアマトが与えた生命は、もうほとんど残っていないというのに」
「――やはり、ティアマトの反乱か。……おのれ! 世界を敵に回そうと言うのか!」
「いや、違う。別にあいつはお前たちのことをなんとも思っておらんよ。少なくとも、今は”それどころではない”だけだ」
「いやいや、あの子達を狙ったのは君たちだろう。反撃されることが信じられないという口ぶりだけど。……まあ、国民を盾にしてればやりたい放題と思っていたのかな」
「かはっ。ぐぐぐ……! だが、貴様らの好きにはさせんぞ。この地上は今を生きる人類のものだ。魔法少女などという化け物が、大きな顔をするなど!」
「だから問題なのよ」
イエローシグナルがきっぱりと断定した。これに男は唖然とする。
「……は?」
「来たぞ、貴様らの放漫が」
「ああ。白木院は何のつもりかと思ってたけど、あれの迎撃のために残ってたのか」
彼女がずっと睨みつけている空に目を向けていると――風切り音が聞こえてくる。それは強力なミサイル……核だった。
諸外国は、理解不能な状況を快刀乱麻を断つために最大威力でもってキューブを破壊するつもりだ。
「馬鹿な。……日本に、核を落とすだと!? 信じられん愚か者どもめ!」
「自分の胸に手を当てて考えられないのかしらね、こいつは」
「まあ、そもそもティアマトに手を出さなければこんな顛末にはなってない。欲は身を亡ぼすというが――」
「だが地球を滅ぼさせはしない。あの子達にも、そして米軍だろうが」
イエローシグナルが上空に手をかざした。それだけで、核ミサイルは効力を失ってしまう。
過去を引き出す魔法の応用、精密機械ならばその加工歴を複製して一つ”増やして”やるだけで簡単に自壊するのだから。真の魔法少女を相手するには認識された時点でアウト、こんなファンファーレを吹きながら落ちてくるなら撃墜してくれと言っているようなものだ。
まともに動ける人間はセカンドから生き残った幸運な1割、それでは対抗手段など練れるはずもない。むしろぶっぱなせただけでも褒めてやらねばならないだろう。その是非はともかく。
「用事は済んだ。突入するわよ、音遠」
「了解。ところでそいつの使いどころは考えているのかい、白木院?」
「ただの野暮用よ。雑用のついでね」
「12発の核ミサイルを片づけるのが雑用ね。まったく、君もティアマトの領域に入っているんじゃないかい? 僕みたいな一般人と変わらないレベルの魔法少女としては気遅れしてしまうね」
「そんなものじゃない……私も、あんたも」
「――くっく。まあ、度胸で負ける気はしないけどね」
「き、貴様ら何を考えている!? この私を、このような……!」
ティマトの与えた生命は機能を停止しかけている。それは彼だけではなく、彼女が生命を与えたすべての人間たちも同様だ。
ただ1割の人間だけが動ける中、クラックの魔法によって建物や道路が砂化しかけている。そんな滅びの中で、二人の魔法少女は不敵な笑みを崩さず地獄の門を開けた。
「さあ、蛇が出るか鬼が出るか」
「鬼ならどっかで戦ってる」
イエローシグナルが無造作に小屋の扉を開けた。
それは、ティアマトの領域を攻めた特殊部隊と同じように。だが、中はだだっ広いだけの空間で何もなかった。
「……攻撃も何も来ないね」
「言ったでしょう? ティアマトはそれどころじゃないと。アリスと一緒に鬼と戦っているのだから」
イエローシグナルは見たように語っているが、それはただの推測。けれどそれは正鵠を射ていた。
まあ、盤面を考えればそうなるだろうという当然の予想でしかないのだが。
すべてを灰燼に帰す正義の味方は、ティアマトとアリスが派遣した『セフフィロト』の馬に乗る『ナイトメア』の騎士と戦っている。そして、だからこそ二人に余裕はない。
”最後には必ず勝つ”トーチライトを相手にしているのだから。もっともいつも手遅れの彼女に任せては、クラックを両断する頃には人類史は微塵と砕けているだろうけど。
「ああ、だから。で、ここから見つける方法はある?」
それでも、拡張した迷宮空間は残っていた。しかし一度簡単に踏破されたそれは。
「過去にクリアされたものが、私のアーティファクト『オールドデイズ』を抑えようなどと片腹痛い。……走るわよ」
「了解」
「ま、待て貴様ら。まさか――ぎゃああああ!」
イエローシグナルはまだ信長を持っていた。人間の、それも生命力を失いかけている男の抵抗など意にも介さずに走り抜けていく。
「――いたわね、あんたら」
1分もかからずに最奥までたどり着いた。そこに居る三人を睨みつける。
「……白木院、さん。ティ、ティアマト……!」
「――」
息も絶え絶えのティアマトをアリスが支えて立っている。この二人なら距離など意味はない。ただ、トーチライトに距離を詰められたら終わる均衡を必死に保ち続けているのだろう。戦って、いるのだろう。
「そっちの馬鹿は意識がないようね」
「……クラック」
アリスがちらりと後ろを確認する。目から涙を流しながらも、しかし人形のように微動だにしない。まるで機械のようだ。
それはアーティファクトが目指す窮極とも異なる、ただ力に飲み込まれた哀れな魔法少女の姿だった。
「クラックを、たおしに来たの?」
「それならどうするの? あなたの保護者はトーチライトの相手で手一杯のようだけど。まさか、私と戦う気?」
「おい、白木院。あまりそんな言い方を……」
「――たたかう、よ。クラックの願いをじゃまさせない……!」
ただ流されるまま、何があっても耐えるだけだったアリスが拳を固める。間違っていようとも、もらった温もりに報いるために。
「……」
イエローシグナルはため息を吐き、「その様があのかっこつけの願いなはずないでしょうが」とこぼした。
「え? 白木院……さん?」
「――まったく」
天を仰ぎ、持った荷物を放り捨てた。その荷物、信長はくぐもった悲鳴を上げたが誰も視線さえ寄こさない。
むしろ一連の敵、その黒幕に値する存在なのだが一顧だにされることなく打ち捨てられている。
「そこでクラックを守るというのがダメなのよ。あいつは別に守られたいとも、壊したいとも思っちゃいやしない」
そのままかつかつと足音を立てて歩いて行く。そこに悪意や戦意など欠片も見えないのでアリスは困ってしまう。
クラックを倒そうと言うなら戦えた。今も、派遣したナイトメアとセフィロトの合体魔獣がトーチライトを相手にしているように。
けれど、こんな……無防備に歩かれては刃を向けることなどできない。
「あ……あの……」
「あいつの欲しいものなんて、いつだってコイツくらいのものだった」
いままでの負担とトーチライトの相手をしているせいでぜいぜいと喘いで、ここでのことに関心も払っていないティアマトを小脇に抱えて運ぶ。
「な――イエロー……シグナル? なんで……?」
「私は生徒会で、あんた達を祭り上げた責任もあるからね――」
「ま……って。ティア、は……」
「こんなバカ騒ぎ、さっさと終わらせるわよ」
そのままクラックの元まで歩いて行く。もう防衛反応すら残っていない。ただ魔法を出力するだけになっていたクラックには、目を向けることもできない。
「クーちゃん……!」
「初めてくらいはとっと済ませておきなさいよ。こんなものは大したことじゃない。奥手だから、こんな妙に思いつめる羽目になるのよ」
そのままティアマトを持ってクラックに押し付ける。
「……ん」
「む!?」
キスした二人を、イエローシグナルはそのまま手を放す。ティアマトがキスしたまま押し倒した恰好になった。
「え? ティーちゃん……?」
「あう。あうあうあう……ッ!」
クラックに瞳に光が戻る。
目を白黒させているクラックと、顔を真っ赤にして慌てているティアマト。クラックが身を起こしてそっと自分の唇をなぞる。
「僕……ファーストキス……だったのに」
「うう。……ティアだって、はじめて。だよ!」
頬を染めて、呆然としているクラック。
「ティーちゃん……? えっと」
「あうう。――もう、そんな言うならもう一度してあげるから!」
「え!? ……わ。む。んん――」
「ちゅ。ちゅう――」
まごまごしているクラックに焦れたのか、ティアマトがもう一度押し倒して強引にキスをする。
「……さて、白木院。これで騒動は終わりかい?」
「そうね。外で上空のキューブが消えた。フィフスの爪痕は残ったままだけど――じきにティアマトの魔法も復活する。そこで伸びている男も使えば私でも対応できる範囲ね」
「ふむふむ、二人よりもむしろ君の方が世界の支配者のようだね」
「世界を動かすのは神ではなく、それを奉り人々に語り掛ける巫女の方だった。それが政治家になっても変わらない。……そもそもクラックもティアマトにしても面倒でしょう、そういうのは」
「あはは、君に言わせれば国を操るのも雑事か。……しかし、俺が君について来た意味は何かあったかな?」
「特にないわね」
「――ちょっとくらいはかばってくれてもいいんじゃないか?」
「じゃあアリスの相手でもしてなさいよ。もっとも、あの二人の間でも簡単に割って入れてるみたいだけど」
アリスはクラックを押し倒したままキスするティアマトに抱きついていた。それを見ている二人はやれやれと肩をすくめた。
「さすがにそれは勘弁かな」
「なら、それをかついでついて来なさい。あの三人はここで休ませておくけど、こっちだってやることはたくさんある」
「……貴様ら」
地面に打ち捨てられたままだった信長が起きてきた。
「おや、ティアマトはまったく本調子でないというのに元気なことだね。ま、あの二人はようやく素直になれたんだ――君もこっちでお仕事だよ」
「まったく、人間どもの相手も気が滅入るわね……」
二人の魔法少女は信長を引きずりながらそこを去る。向こうの三人はと言うと、まだこっちが外に出てもいないのにいちゃいちゃしていた。
「わ。わわ――ティーちゃん? そんな大胆な……」
「えへへっ! クーちゃんはこういうのも好き?」
「うー。わたしも……」
「アリスはこっちね」
「ん……」
「クーちゃん、むすめに浮気したらダメなんだよ」
「ふふ。そんなんじゃないよ――」
完結させずに放置してしまいましたが、AIにイラストを描いてもらったついでに話も終わらせました。「二人は幸せなキスをして終了」ということで。
実は書いていた当時はここから異世界転生してチートで原住民を蹴散らすストーリーラインでしたが、微妙なのでお蔵入りしていましたと。
読了ありがとうございました。




